12期の広場

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「12期の広場 」 12月号のラインアップ

 12月、師走です。さすがに寒くなりました。早々と我が家では、石油ストーブが活躍中です。
 1年の最後の月だけに、加速する時の流れへの戸惑いや、多事多難、決して平穏ではなかった日々への感慨など、いろいろあって、ちょっとした焦りみたいなものを感じてしまいますね。
 平成最後の12月。またその平成とほぼ重なった同窓会が最終回を迎え、喜寿に付合するように、77人が集まったことなどを思い起こしながら、1年の締めくくりにふさわしい12月になればと考えています。
 
 今月号の花は、洋花のラン、デンファレです。初めて聞く花の名、初めて見る美しい花で、穏やかな心持ちになります。
 高見政博君が送ってくれた5枚の写真の中から、これを選びました。そのメールに次のようにありました。
 「朝晩急に冷え込むようになりました。季節はもう晩秋ですね。今年も後40日余、いつの間にか忍び寄る老いを感じています。遅くなりましたが、12月の花です。12月は自然界で咲く花は山茶花など限られていて、適当なものがありません。どれにするか迷っていておそくなりました。そこで、今月は不本意ながら温室の花で、洋蘭にしました。写真はデンドロビュームファレノシプス、通称デンファレです。」
 思えばこの月に良く目にする花は、やはり洋花のようです。特にクリスマスが近くなると、大阪や神戸のショッピング街は、ポインセチアであふれかえります。大阪での万国博覧会開催も決まりました。これから関西の町なかで耳慣れない外国語を聞く機会が、さらに増えることでしょう。
 関東在住の同窓生のS君から、大阪万博の2025年に又会えるのかとのメールがありましたが、“齢84才、会えれば全く目出度いことですね” と返信しました。7年後も元気でいるだろうか・・・・・、はてさて如何なりますことやら。
 
 2018年最後の「12期の広場」のラインアップは、以下の通りです。
 「喜寿の同窓会」の報告文と、参加された10人の方々に書いていただいた文章を載せました。お楽しみください。
   
1. 「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会が開催されました
2. 「同窓会に参加して」・・・・・・・・・・・・ 
2組 久保 幸子 3組 石井 孝和
3組 高橋   要 4組 重松 清弘
4組 藤田 勝利 5組 梶   英子
5組 山本久美子 6組 松田 修蔵
7組 柏木 赫子 8組 稲田   紘
      以 上






 

「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会」が開催されました

 10月28日、午後12時50分から、ホテルクライトン新大阪で、「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会」が開催されました。今回の同窓会は大阪での最終同窓会、また喜寿の節目を迎えた同窓会です。 
市岡高校第12期生同窓会  平成30年10月28日  於:ホテルクライトン新大阪
 
 当日は有終の美をかざるにふさわしい見事な秋晴れ。これで終わるのかとの一抹の寂しさがあるとは言え、二年ぶりの同窓生との再会に心浮き立つ一日になりました。
 12時頃からの受付で、一時は受付前がごった返す有様で、この一日に寄せる熱い気持ちが溢れます。同窓会には福井金治先生ご夫妻と、はるばるカナダから来られた山本久美子さんはじめ、国内は、北は北海道、南は広島までの日本各地からの同窓生77名が参加されました。
 12時50分から同窓会本会に先立ち、「海老江村」と八坂神社に伝わる「頭屋と宮座神事」のビデオの映写がありました。これについては本会の中で、その当事者のお一人である末廣訂君から更に説明がありましたので後でふれます。
 続いて写真撮影がありました。今回初めての全員集合の記念写真。会場一杯を使った撮影で、この5倍を越える学友と母校を巣立ったのかと感無量です。
 1時40分頃から本会が始まりました。司会進行は張志朗君(7組)、段中文子さん(5組)のお二人です。
 最初に物故された方々への黙祷をささげました。前回同窓会以後、8組の橘實君、6組の久保武治君のお二人が亡くなっておられます。
 幹事会を代表して4組の酒井八郎君が挨拶されました。
 酒井君は33年にわたる同窓会を振り返りながら、恩師の先生方や同窓生皆さんのご協力、またご家族のご協力に深い感謝を述べられました。また、大阪での同窓会は終了しますが、豚汁会や舞洲のお花見、全体同窓会の総会などを通して、これからも同窓生の絆を大事にしていきたいと話されました。
 福井金治先生の力強いメッセージと乾杯の音頭にあわせて、全員で乾杯の盃をあげ、歓談会食に入りました。
 おいしいお食事とお酒、久しぶりの再会に会場は、最初から大盛り上がり。初参加の方も、顔がわかるだろうかと不安に思っていたようですが、瞬時に高校時代にタイムスリップして懐かしさとうれしさが込み上げてきたようです。
 難病を患いながらも動ける今が大切と、思い切って出て来て本当に良かったと言っておられた同窓生が複数人おられました。
 今同窓会では、特別プログラムを準備していました。その最初として末廣訂君から、「頭屋・宮座神事」についての説明がありました。末廣家は江戸時代からの宮座衆で、ご本人も何年か前に「頭屋」を務めています。毎年12月15,16日に行われるこの伝統行事は、何百年も続いており、現在大阪府の無形民俗文化財に指定されています。古式豊かな神事とその継続と伝承は、大きな驚きと感動を呼んだようです。
 暫く歓談を続けた後、特別プログラムの第二弾である「合唱」「趣味の写真」「独唱」「社交ダンス」「健康体操」が始まりました。ここで女性の司会は、古藤知代子さんが、ピンチヒッターで登場しました。
「合唱」は2組の皆さん。曲目は高校時代の合唱コンクールで優勝した「南国土佐をあとにして」です。指揮はあの時と同じ杲田慶子さんで、往時を思い出させるのに十分でした。
 「趣味の写真」は6組の高見政博君のお話しです。高見君は病気療養のため、卒業は13期です。なんと12期の私たちが卒業する時に、
在校生代表で送辞を読んでくれたそうです。見事な写真の数々に見とれていた時にハプニング。何を勘違いされたのか、福井先生が飛び入り、お蔭で高見君の話は中断してしまいましたが、美しい写真をもっと見たいとの声がしきりでした。
 「独唱」は、同窓生きっての美声の持ち主である1組の鈴木政子さん。曲目は「冬酒場」で、大喝采でした。
 さて期待の「社交ダンス」は酒井八郎・段中文子組。お二人ともダンス歴がうん十年の踊り手で、期待にたがわない見事で、艶っぽいダンスです。演目は「ルンバ」、曲は「ひまわり」です。大向こうから何度も声がかかりました。
 最後の「健康体操」は嶋田ハルコさんです。嶋田さんには前回にも講演をしていただき、たっぷりと汗をかかせていだたきましたが、その指導はさらに磨きがかかったようで、一気に会場の雰囲気をたのしく、ユーモアたっぷりに盛り上げて下さいました。手拭いを使った、シンプルな体操ですが、姿勢が良くなり、元気が出たようです。
 特別プログラムの後、しばらくご歓談の時間を取って、恒例の「遠来の友のスピーチ」に移りました。
 遠来の友のトップバッターはカナダから来日された、5組の山本久美子(旧姓 古荘)さんです。仲良しの柏木赫子(7組 三重在住 旧姓 後藤)さん、児玉恭子(4組 東京在住 旧姓 青木)さんと一緒に登壇しました。山本さんは初参加で、58年ぶりの同窓生との再会です。
 続いて、札幌市在住の3組の黒田昌男君、市岡東京12期会のメンバーで、仙台在住の6組佐藤裕久君、東京在住の泉信也君(5組)中柴方通君(6組)、千葉在住の重松清弘君(4組)、神奈川在住の榎本進明君(8組)、杲田慶子さん(2組 旧姓 鵜飼)、静岡在住の上原澄子さん(1組 旧姓 大川)、愛知在住の小野義雄君(6組)、広島在住の辻紘一郎君(8組)、大阪在住の稲田紘君(8組)の皆さんがスピーチされました。

 スピーチはどれもがそのお人柄と、歩まれた人生の滋味にあふれるもので、ユーモアと機智が随所にちりばめられたものでした。
 同窓会も終盤です。
 酒井君の指揮で、校歌を一番から三番まで声を張り上げて歌いました。
 閉会の挨拶を副代表幹事の北浦昌子さんがされました。北浦さんは、楽しい同窓会になったことについてお礼を述べられながら、数首の短歌を披露され、皆さんお元気お過ごし下さいと結ばれました。北浦さんが詠まれた短歌の内の二首を以下に紹介います。
 喜寿迎え 素直に嬉し この人生 忘れはしない 市岡時代
 喜寿となり ますます栄えある12期は 哀愁ただよう有終の美
 午後5時過ぎ、同窓会本会は、全予定を無事終了して閉会となり、小休止を経て、二次会に移りました。
 二次会会場は1階のカラオケ兼喫茶スペースです。集まった同窓生のほとんどが、これに参加され、二次会も大盛況です。
 二次会の司会進行は、6組の松田修蔵君と7組の柏木赫子さんです。最初に6組の井東一太郎君が「手品」」を披露し、その後、カラオケとお喋りになりました。
 カラオケは時間一杯、途切れることがありません。また、喫茶スペースでは幾つものグループが出来てお喋りに夢中です。ケーキとソフトドリンクが主でしたが、さらにビールにお酒で酒盛りを始めるグループもあり、元気がはじけていました。
 最後の同窓会、名残はつきませんでしたが、午後7時半ごろに全予定を終了し、散会となりました。

同窓会に参加して

2組 久保 幸子(小西)
 
 かえりみますと、12期同窓会に10回くらい参加させてもらっていると思います。学生時代のあたたかい幸せを感じる楽しい想い出がうかびます。
同窓会場にて 福井先生の左が筆者です
 その一つの想い出に、何年か前に、私の親戚が私宅のすぐ近くの山に立派な“桜の苑”を所有されていて、そこの若奥様のご好意で、お花見をしたことがあります。同窓会幹事さんやご家族様が沢山来て下さり、満開の桜の下でお弁当を広げ楽しい酒宴が開催されましたことが忘れられません。二回目は、その若奥様の別邸で美しいお庭を眺めながらお座敷で、お食事会をし、にぎやかに歓談、楽しいひとときを過ごせました。 (写真奥・正面が筆者)  

 私はそのころは、まだ幹事さん達ともほとんど交流もなく、このころ一度に沢山の方とお出会い出来、びっくりしました。代表幹事の酒井さんはじめ幹事皆様の心のこもった御尽力で「12期生喜寿の同窓会」に至りましたことにとても感謝しております。機会があれば、東京12期会にもお訪ねしたいです。ありがとうございました。皆さん、健康長寿でがんばりましょう!!
3組 石井孝和
 
 
二次会でやっと一息。右から2番目が筆者
 有終の美を飾ろうと企画された「12期同窓会」では、私は亡き川西康雄君の後を引き継いで写真撮影の担当に就きました。その機材は4~5年前、娘からプレゼントされたソニーのデジタルカメラでした。
 会場のクライトンホテルには午前11時前に到着、建物の外観や準備されたホールの撮影を済ませ、受付、開会に備えました。
 張・段中両氏の司会で始まった本会を式次第に合わせ撮影し続けました。カメラのスクリーンには、舞台に立って身振り手振りを入れて語る人、歌う人、カラフルな衣装で華麗にジルバを披露した酒井・段中組のダンス、それにタオルを巧みに使って会場の雰囲気を盛り上げた嶋田さんの“健康体操”と、生き生きとしたした表情が映っていました。  
 テーブルに次々運ばれる料理をそれぞれが楽しみながら、膝を交えて歓談する笑顔もアップにして撮ることができました。


 20年あまり、“写真日記”をつけ続けている私は、当日一日に100回以上シャッターを切り、“喜寿”に集う仲間の元気で活力に満ちた笑顔にレンズを通して出逢えたことが、とても印象的でした。
 3組 高橋  要
 
 「近ごろ時間に背中を押される気がして・・・・・」と油絵が趣味の知人、頭の中で画題が尽きないのでしょう。そんなこともあるものかと齢を忘れて暮らしていたところへ“最後の同窓会”の案内、出し抜けに12期生の年齢を通告された思いでした。
福井先生に「肩もみの奉仕」 実は背中を押している?

 最後の宴のなかで思い出された詩のプリントは、国語科が分担してガリを切り謄写版で更紙に印刷した近現代詩のアンソロジ-、その続きで神沢先生の話になりましたね。独特の風貌と身のこなしで映画「道」や「昼下がりの情事」の話に熱の入ったこと、東京みやげは「・・・・その続きで浅草のストリップ劇場に入ったんだ、入りは疎らで寒々とした客席に身を縮こめる男が時折「〇〇ちゃん」と踊り子に声を掛けているんだ・・・・・」
 さて、最後ですね。来週から湖北へ薪作りに出かけます。倒木をチェ-ンソ-で輪切りし、斧で割って自然乾燥させる単調な作業です。雪が来る前に、体が動くうちに、せめて5年分は貯えておかなねばなどと思っている私も、どうやら時間に背中を押されているようですね。
4組 重松清弘
 
 今回大阪での同窓会のために色々準備していただいた幹事の皆様に先ず感謝申し上げます。大阪での同窓会は今回が最終回ということですが、航海中の船が何かあれば母港に帰るというその母港がなくなるわけですから、ちょっとショックというか複雑かつ寂しく感じています。
それから今回は喜寿になる人あるいはなった同期の集まりでもあったわけで、この人生の節目にどう対応すればいいのか私自身迷いつつ参加しました。
 人生には3つの坂があるという。上り坂、下り坂、そして「まさか!」という坂である。これまでの76年の人生で、自分はまさに、この3つの坂を何度も経験してきた。この坂の勾配や長さはそれぞれ違うもので、一週間程度のものから、数年に及ぶものまであり、人生がバラ色に見えるほど有頂天になるほどの感激を覚えたものから、これまで上りつめてきた高みから一挙に崩れ落ちたという感じのするものまで様々である。しかし、私は同年代の他の多数の人々と同様戦後の経済成長の波に乗り、来年は今年よりきっと良くなるであろうとの希望をもって、生きることが出来ただけ幸せだったと言える。そして公私にわたりホドホドの結果を得て、現役生活を終わることが出来た。勝ち組、負け組などとイヤな言葉があるが、さしずめ自分は「分け組」くらいかと思っている。ところが今の若者世代は物心ついたころにはバブルもはじけ不況ばかりで、経済成長を全く経験していないと言う。これに格差社会の顕在化と共に、全くかわいそうな時代である。
 さて人生80年時代と言われるが、冒頭の3つの坂のうち、私にはもはや上り坂はなく、あるのは下り坂と、「まさか!」だけであり、私にとっての人生を終末に向かって如何に生きるか、すなわち如何に最終地点に軟着陸させるかが、現在の課題である。   
惜しまれる同窓会と65年ぶりの同窓会
4組  藤田 勝利
 
 酒井代表幹事をはじめ、市岡12期同窓会幹事のみなさん、33年の長きにわたりお世話いただき本当にありがとうございました。
 今回も、カナダや北海道など各地から77名の参加者で大いに盛り上がりを見せてくれました。
海老江宮座神事保存に活躍される末廣さんのように、いろんな分野で活躍されている私たちの仲間の紹介。締めの小寺さんの短歌など、毎回楽しみにしてきました。
同窓会場にて 写真の左端が筆者

 この市岡12期同窓会が今回で最終回となったのは惜しまれてなりません。酒井代表幹事の案内状にあった「今までの形の同窓会」の開催が困難でしたら、気楽に集まれる形に変えて再会できるのを願っている皆さんも多いのではないでしょうか。
 さて、最終回となった市岡12期同窓会とは別に、65年ぶりの小学校のクラス同窓会を来年5月に開催することを計画しています。
 実は、この5月にバルト三国に行きましたが、そのツアーに小学校の同級生も参加していたのです。卒業後64年も経ってますから、顔も名前も全く覚えてませんでしたが、3日目にバス通路を挟んで隣に座り、その人が大阪弁丸出しで話すのを聞き、別の人が「大阪の方ですか」と聞き「大阪の福島出身」と答えるのを聞いて、福島
リトアニアのカナウスの、旧日本領事館
(現在:杉原記念館)の杉原千畝氏の机
で撮った写真です。
小学校、担任は平田先生と確認して、ようやくわかった次第です。奇遇なので、来年5月にできるだけ多くの同級生に声をかけて集まる約束をしました。  
 年賀状のやりとりをしていた二人と、下福島中学校の同窓会名簿を頼りにあれこれ探しまわった結果、市岡同窓の貴田宗三郎さん、山田正敏さんなど、12名から参加の意向を受け、来年5月12日にホテル阪神で開催することになりました。
 でも、2組61名の内 まだ37名の方が消息不明です。今回の同窓会でも何名かにお願いしましたが、どこで繋がりがあるか知れませんので、12期の広場も借りてお願いします。
 福島小学校2組同窓生で消息不明の方々は以下の通りです。 

 安部史郎、市橋嘉剛、井上博方、岩井宏、梅本佳央、大溝輝雄、大谷佐武郎、兼子雅嘉、鈴木進、島村揆、進藤清、当麻吉宏、富山隆雄、田邉欽一、永岡義雄、日高勇雄、牧野孝、増山良樹、阿佐節子、宇田川テル子、尼岸(旧姓高橋)好子、伊藤幸子、大西悦子、金沢(旧姓村田)加代子、木下明子、久保田喜代子、菖蒲照子、武井百合子、為田弘子、中川恵子、西脇(旧姓小川)俊子、藤川久子、森橋(旧姓松浪)祥子、安井祈美子、山脇静子、湯浅太ミ子、弓前勝代
 消息をご存知の方は、是非連絡をお願いいたします。
 
 HP委員追記 : 連絡は、同窓会幹事または「広場」HP委員宛にお願いいたします。 

5組 梶 英子
 今回が最終の同窓会とのことで、久しぶりに参加しました。
同窓会場にて 写真右端が筆者
 1985年から33年18回開催とのこと幹事団の皆様本当にご苦労様でした。
 その間長らくご無沙汰したので、お話しながら相手の方の昔の面影思い出せてホットしたものです。そんな中で変わらぬ福井先生のお元気そうなお姿が懐かしかったです。
 私は病弱児童で、中学・高校共にまともに体育の授業を受けたことがありません。でもそんな私に三年生のマラソン大会を最後だから、折り返しの朝潮橋の八幡屋市立運動場まででも走ってみようと勧めてくれた友達があり、始めてまともに?体育授業に参加しました。
 ところが、思いもかけず最後まで走れたのです。おまけに時間内で順位も最後から何人かを数えるところにありました。それから技術のいる体育系の競技はだめとしても、足をただ進めるだけの運動なら何とか出来るのではと、山登りを始めました。
 山は空気がいいし、可憐な花を楽しむことも出来ます。山頂から見る雄大な景色は格別です。特別な山を求めなければ、山登りは私でも参加できる運動です。そんな山登りの原点は三年のマラソン大会にあります。この歳になって大抵の方々は体調不良で山を卒業されましたが、お蔭様で私はまだ登山を続けていて、昔の私を知る人達にあきれられています。
 もう体の部品はあちこち劣化して取り換えが必要のようですが、何とかもう少し頑張ってみようと思っています。
筆者は謙遜されていますが、今も3000m級の山を登られているとは驚嘆です。左は南アルプス荒川岳の主峰で、アプローチが長く奥深い山です。右は立山連峰の薬師岳。昭和38年のサンパチ大雪で愛知大生13名が遭難死した、これも行程の長い山です。

5組 山本久美子(古荘)
 
 10月28日に開かれた大阪での最後の「市岡12期同窓会」にお誘い頂き有難うございました。
私にとって最初で最後の同窓会です。
 同窓会前日の思いがけない前夜祭、当日の同窓会本番、そして2次回3次会と夢のような3日間でした。
上の写真は、校歌斉唱の筆者(左)
高校卒業以来の長い歳月、いろいろな人生を歩んでこられたであろう皆さんが、会場に集まった途端に高校時代に戻ったかのように一つの輪になり、旧交を温める様子に大きな感動を覚えています。
 また、10月12日、母校同窓会館での幹事会に参加させていただき、幹事の皆さんの行き届いた事前準備に触れることが出来たのも有意義なものでした。
  卒業以来初めて参加し、皆さんに溶け込めるだろうかと少し不安だった私を、60年のブランクがなかったかのように迎えて下さった皆さんの暖かさが身に染みております。     
左の写真は、健康体操に精を出す筆者(中央)
 最後に33年もの長きにわたり市岡12期同窓会に携わってこられた方々のご尽力に敬意を表して、皆さまの益々のご健康を心より願っております。
「宮座」神事にびっくり
6組 松田 修蔵

 同窓会での末廣君の講演で初めて海老江八坂神社に残る「宮座」神事を初めて知りました。福島区で毎年12月の夜更けに、このような素朴だが格式ある行事が江戸時代の初期から引き継がれ、執行されていたことに驚き、敬意を覚えました。
 海老江の人たちは八坂さんの夏祭りへの愛着心はとても強く、ご祝儀の金額も半端でない、とよく聞きました。遠くに行った親戚も祭りの時期には帰ってきて一緒に祭りを楽しむという、その背景が分かった気がします。大阪府無形文化財に指定されたこの宮座の神事を継承して行くのは携わる方々にとって大変エネルギーの要る事だと思います。地域に残る伝統を守る重みと痛みを感じました。
 私はこの神事を家族に見せたくて、無理を言って末廣君にビデオのコピーをもらいました。ありがとう末廣君!
神事のビデオ画像に見入る同窓生
                                        
7組  柏木 赫子(後藤)
 
 12期 最後の同窓会が終わりました。 33年間の長きに渡って、酒井さんはじめ幹事の皆さんが、12期会を牽引して下さって有難うございました。
 私の高校生活は、25年振りに開催された第1回目の同窓会まで封印していました。
 7組の落ちこぼれで、各教科、特に数学、物理に苦戦したことが強烈な思い出で、灰色の高校時代と思い込んでいました。
 初めての同窓会で、張君が、“かっちゃん”と声をかけて下さったあの日から、友との語らいで色々な記憶が蘇り、会を重ねるごとに市岡に学べた幸せを感じるようになりました。落ちこぼれでも理系の男子ばかりのなかの紅二点、勝原みつるさんと共に学んだことが、今では一番の尊い思い出となっています。
2組は11人参加。積極的に2組のコーラスに参加する7組の筆者(右から2番目)
 12期の仲間達の友情の絆はこの33年間に、より一層深まりましたね。
 とにもかくにも 大変お世話になりました。「12期の広場」の編集も、毎月の原稿集めに御苦労されているのではと思っていますが、毎月の一日を楽しみに拝読しています。
 “涙をふいて”のディュエットは、同窓会での楽しみのひとつでした。お二人の“涙をふいて”を聴きたいためにホテルに一泊するようにもなりました。
 同総会の思い出は尽きませんが、心からお礼申しあげます。有難うございました。
最終同窓会に出席して
8組 稲田 紘
 
談笑中の筆者(左端)
 「12期生喜寿の同窓会」と銘打たれた今回は、77歳の節目の年での開催である。 今回が最終回のためか、参加者数は奇しくも喜寿の年齢と同じ77名もの多数に及んだ。
 今回、筆者が名前を度忘れした学友の数が以前より増え、自分の老化を思い知らされた。
 プログラムとして、海老江村宮座・頭屋神事の紹介のような毛色の異なるものも含めて種々の企画がなされ、各出演者も熱演であったが、会場が少々騒がしく、出演者の声が聴き取りにくかったのは残念であった。
御崎先生のお返事と同窓生の近況ハガキの掲示
 会場外では欠席者についても近況を記したハガキが掲示されたが、筆者にはよい企画に思えた。そして今後、ハガキではなくHP「12期の広場」、を用いて、学友の動向について知らせ合うことができればと願った。
 カラオケを主とする2次会では、終わりに全員で「高校3年生」を熱唱したが、これを歌いながら、60年ほど前にタイムスリップして、高校生活が懐かしく思い出された。
 このように、最後まで楽しかった同窓会を、13回にわたりお世話いただいた酒井八郎さんをはじめとする幹事諸氏に深く感謝します。また末筆ながら、12期生の学友諸君の今後のご健勝とご多幸を祈念します。

「12期の広場」 11月号のラインアップ

 11月、霜月です。秋の深まりは、思いのほかの急ぎ足ですね。
 残暑に台風、おまけに長雨が続き、さわやかな秋はどこに行ってしまったのかと思っていたのですが、急に気温が下がり、今や晩秋の風情、もう立冬が目の前です。
 今月号の花は、「ノコンギク」です。高見君が送ってくれた写真の中からこれを選びました。うす紫の花弁と黄色い花芯が鮮やかで、愛らしいですね。
 菊は秋の代表的な花。すぐに思い出すのは、見事な大菊や、菊人形の菊ですが、送ってくれたそれは、ひっそりと咲く野の小菊です。添えられた文章は、『「ノコンギク」です。いわゆる「野菊」と言われているものです』とありました。細やかで優しい眼差しの彼らしい写真と思っています。中学か高校生の頃に、伊藤左千夫の「野菊の墓」を読んだこと、それを原作とした木下恵介監督の映画「野菊の如き君なりき」を見たこと、そして切ない気持ちになったことを思い起こしました。
 
 先日、13回目の12期同窓会が、無事に終わりました。喜寿を迎えての最終同窓会でしたが、それはそれは格別で、楽しく、味わい深いものでした。報告文は今月号に間に合いません。写真を何枚か載せますのでご覧ください。また、今回も返信葉書でたくさんのメッセージや消息がとどきました。歳月が凝縮されたように、多彩で濃密、心に響くものです。「近況短信」として纏めましたのでお読みください。この二つの記事を準備しながら、33年間にわたる私たちの同窓会が、一堂に会して語りあった同窓会であり、近況報告などを通して全同窓生と交歓してきた同窓会でもあったのだと、今更ながらに強く感じています。
 近況の全てにふれることはできませんが、どのお便りも、母校市岡高校と、共に学んだ学友への自負と感謝が、じかに、あるいは行間に溢れています。また、同窓会を引っ張ってきた幹事会と、代表幹事の 酒井八郎君へのねぎらいの言葉もあって、胸が熱くなります。
 難病と果敢にたたかっておられる方、辛いリハビリ途上の方をはじめ体調不良の方。しかし、苦境にあっても強い気持ちであることが、うかがい知ることが出来ます。また大阪を遠く離れ、北は北海道から九州、はては海外で生活される方もおられますが、その中のお一人から「田舎で一人暮らしております。菜園の野菜作りをしながら晴耕雨読の日々です。」と、清々しい近況を頂き、嬉しくなります。
 仕事に趣味に励んでおられる方や、語学勉強に精を出して居られる方など様々です。「生涯青春」との言葉を書いて頂いた方には、思わず拍手したくなりました。また「ゆっくりと老いを受け入れて一日一日楽しんでいます。」や「写経三昧で、時々、少しずつ終活です」との言葉には、背筋がピンと伸びます。
 思えば、市岡高校入学が1957年ですから、市岡で結ばれた絆は、61年に及びます。それは父母と過ごした歳月や、家族と過ごす歳月より長いと言えるかもしれません。
 
 筆を休め庭に出、澄明な秋の日差しの中に立てば、「この絆を大切に忘れません!! 」と書かれた人の言葉が、やさしく全身を包み込んでくれるようです。
 
 『 鮮やかに 18才は よみがえる プール 藤棚 ファイヤーストーム 』  (北浦 昌子)
 
 さて、わが「12期の広場 」 11月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 
1.  「2018 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会が開かれました
2.  「同窓会33年に寄せて -④ 」              4組    酒井 八郎
3.  「近況短信 ② 」 - 出欠返信葉書から -
以   上

2018 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会が開かれました。


 10月28日(日曜日)、2018 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会が、ホテルクライトン新大阪で開催されました。ここには恩師の福井金治先生ご夫妻と同窓生77名が参加されました。午後1時から本会が、午後5時から二次会が行われ、午後7時過ぎに散会となりました。その詳しい報告は、今月号に間にあわないので、12月号に掲載し、今月号は、写真を中心にした、速報といたします。今回初めて、プロの写真屋さんにお願いして全員の集合写真を撮りました。上の写真は私たちのカメラで撮ったもので、老眼の私たちにとって、少々、見えにくいのですが、ご容赦下さい。
 そのほかの写真も、100枚をこえて撮影されています。手元にある写真の内、笑顔が楽しい写真12枚のみを掲載しますので、これまたご容赦下さい。





「 同窓会33年に寄せて ④ 」

4組     酒井 八郎
  (12期同窓会代表幹事) 
 
 12期の皆さん、7月の西日本豪雨に大阪北部地震、今夏の酷暑、さらに9月の北海道地震に、連続して日本を襲った猛烈な台風など、天変地異に振り回されたこの数か月ですが、異変を乗り越えて無事お過ごしでしょうか。
 10月28日に開催された大阪での最後の12期同窓会は、前回を上回る77人のご参加と、恩師、福井金治先生ご夫妻をお迎えして、無事終了することができました。ありがとうございました。  
 
たくさんの恩師の先生方がご臨席下さいました。
(1985年11月の第1回同窓会)
各クラスの幹事さん、クラスメイトのお誘いがあって、更に、奥様、ご主人、ご家族の皆さんの応援があって、33年間の長きにわたり同窓会を続けることができました。心から感謝申し上げます。
 特に今回は、出欠返信葉書の中に体調不良を記載されておられる方が多く、毎回参加されていた方が「残念ながら、今回は・・・」とそれを欠席の理由に挙げられ「皆さんにどうぞよろしく!!」と添えられてありました。ああそういう齢になったのだといまさらながらに実感しております。
 市岡高校を卒業して25年が経った昭和60年(1985年)、森君から「八チャン、同窓会をやろうや!」と声を掛けられたのが、12期同窓会の始まりでした。
 東急イン梅田に100名を越える同窓生が集まり、玉田先生から「100名を越える同窓会ができるとは、12期みんなが、仲が良かった証しだ!」とうれしいお言葉をいただきました。 
 
中央が筆者の酒井君。25年ぶりの再会に、皆さん笑顔で嬉
しそうですね。(1985年11月の第1回同窓会)
それから5年毎の開催が続き、還暦を迎えてからは、2年毎に開催されてきました。恩師の先生方のご臨席と全国からたくさんの同窓生のご参加を得て、毎回大いに盛り上がりました。
 市岡高校が創立100周年記念を迎えた時には、舞洲の市岡の森に桜を記念植樹し、私たちが母校を卒業して50年の節目には、第62回卒業式に44名が招かれ、初めて春に卒業50周年記念同窓会を開きました。そして南校門前にはつばきを、市岡の森にはさくらを植樹し、記念文集「みをつくし」を発行しました。 
 また東京でも12期の同窓会を開こうと動きだし、すでに8回、大阪での開催の翌年に開催され、大阪からも毎回数名が参加しております。
 これまで、すでに鬼籍に入ってしまった幹事の中井君、門田さん、そして毎回みんなの写真を撮り続けくれた川西君をはじめ、幹事全員が心を一つに協力しあって、運営を続けることができました。
 4年前の同窓会では、高校1年の時の夏休みの宿題の読書感想文を、北村先生から参加者に手渡し返却して下さいましたが、思えばこれが先生からのお別れのメッセージとなりました。
 いつなにがあってもおかしくない年令の12期生ですが、これからも健康に留意いただき、
母校が春の選抜に出場した時、応援に駆け付けた12期の皆
さん。12期の標識を持って集合中です。  (1995年3月)
市岡の絆を胸に若々しい心と元気をもって、お過ごしくださるようお祈りいたします。
 大阪での12期同窓会は終わりますが、3月の第1日曜日の母校での「豚汁会」、4月第2日曜日の舞洲市岡の森のお花見会、6月の全体同窓会の総会などと、誰もが参加できる集いが開催されますので、声をかけ合って参加し、これからも12期生のつながりを保っていきたいと思っています。 
 これまで長い年月、ご参加いただいた方はもちろん、いろいろな事情で参加できず、「みなさんによろしく」と返信をくださった同窓生の皆さん、ありがとうございました。
 そして一緒に12期同窓会幹事会のメンバーとして共に活動を続けていただいた各クラス幹事の皆さんに心から感謝申しあげます。

「 近 況 短 信 (2) 」 ―同窓会出欠返信葉書から―

 井上 松子(旧姓 唐津 ) (1組 大阪府在住 ) 欠席
 今年は例年に比べて地震、台風が多い様ですが、幹事の皆様には本当に長い間、12期生の為に続けて頂きまして有難うございました。最終回に出席できなくて申し訳なく思っています。どうぞ皆様に宜しくお伝え下さい。又いつかお会い出来る日を楽しみにして居ります。
 
 上原 澄子(旧姓 大川 ) (1組 静岡県在住 ) 出席
 裏庭の栗の実が落ち始めました。12期生最後の同窓会のお知らせをいただきました。私は今年の3月に、口内炎の大きな手術をしました。頬がまだ腫れていて迷ったのですが、思い切って出席することにしました。幹事の方達のお骨折りに感謝いたします。恩師の先生方、同窓の皆さんありがとうございます。楽しみにしております。
 
 島田 美代子 (1組 兵庫県在住 ) 欠席
 幹事の皆様、お疲れさまでした。膝関節の痛みで整形に通院しています。他には絵写経と21日の写経と、写経三昧で、時々、少しづつ終活です。

 野田 道子 (旧姓 小野 ) (1組 大阪府在住 ) 出席
 返信が遅れて申し訳ありません。12期最後の同窓会という事で、今まで長い間、お世話頂き本当にありがとうございました。いつのまにか、こんな歳になった事に、私自身が驚いております。
 
 八島 節子 (旧姓 軽矢 ) (1組 大阪府在住 ) 出席
 思いがけず1月末にマンションに引っ越して8か月余り、色々整理をして、以前の4割くらいの物で暮らしています。 生け花は相変わらず!! 納得のいくことはありませんが、続けています。花は花、人も花という思いです。
 
 荒川 安子 (2組 東京都在住 ) 欠席
 東京へ転居して4年になりますが、日常の生活にも馴れ、御近所の皆様とも仲良く、老人会の催物にも楽しく参加しております。時々、お医者に行き健康状態を見てもらい、年令に応じた生活を日々送っています。皆様に今回お会い出来ないのが残念ですが、生涯青春の気持ちで、御多幸をお祈り致しております。
 
 久保 幸子 (旧姓 小西)(2組 大阪府在住 ) 出席
 33年間も、大阪での同期会を支えて下さった幹事様達に、深く感謝致します。そのうちの何回かに出席させていただき、いつも楽しく、懐かしいひとときを過ごさせていただきましたことは、生涯に残る思い出になることでしょう!! この絆を大切に、忘れません!! 
 
 藤居 くみ (旧姓 中藤 ) (2組 滋賀県在住 ) 出席
 10年前からパーキンソン病を患っています。毎日近くの山に登ったり、リハビリに励んでいるので、大して進行していないのですが、姿勢が悪く、相当迷いました。でも思い切って出席しますので宜しくお願いします。
 
 峰松 幸子 (旧姓 二口 ) (2組 大阪府在住 )出席
 無事に喜寿を迎えることが出来たことに、感謝しております。日替わりメニューで、何かと体調不良がありますが、毎日、趣味や孫の守り(最近は反対に守られる事が多くなりましたが)をしながら、ゆっくりと老いを受け入れ、一日、一日楽しんでいます。代表幹事の皆さまには、長い間、本当にありがとうございました。感謝、感謝申し上げます。
 
 吉岡 佳子 (旧姓 大沢)(2組 大阪府在住 ) 欠席
 最後の同窓会という事で、是非ともと思っていましたのに、羽曳野市女性部の御役の為、出席できません。(市政60周年式典)残念です。長い間、幹事様には、お世話になりありがとうございました。楽しい思い出でいっぱいです。皆様、いつまでもお元気で
 
 花田 紀代子 (2組 奈良県在住 ) 欠席
 12期生最終同窓会にご案内頂き、幹事様、お世話頂いた沢山の方々に、心より感謝させて頂いております。成績が悪い私が、市岡に入学させて頂く事が決まった時の驚きと喜びは、今も忘れられません。卒業してからも、楽しい思い出ばかりで、孫達にも「自慢の学校」だと話しております。皆様のこれからの人生も楽しい事、笑顔が出る様な事に、沢山出会われますように、私も楽しい日々を過ごせますように、毎日を小さな事にも感謝させて頂きたいと思います。有難うございました。
 
 藤本 加奈子 (旧姓 井堀 )(2組 兵庫県在住 ) 欠席
 昨年はパリで8泊し、リュクサンブール公園、ブローニュの森、ジヴェルニーのモネの庭など、ガーデニングを満喫しました。そうそう、マクロン大統領の選挙の投票所にも出かけましたよ。今年は何故かチャンスがなく、来年春にモナコやニースなど、又、南仏に出かける予定です。幹事をして下さった方々、長い間本当にお世話さまでした。
 
 黒田 昌男 (3組 北海道在住 ) 出席
 幹事の皆さんいつも御苦労さまです。ありがとうございます。感謝!! 北海道は9月の台風21号の暴風雨と、続いて大地震の被害をうけました。沢山のお見舞い、ありがとうございました。幸い大きな被害もなく、電気復旧も早く、ほぼ普通の生活に戻って、元気に活動しています。昨年は、2度の心臓手術を経験しましたが、喜寿を迎え、残る人生、世界遺産100を巡る旅を達成するため、“地球一周の船旅”に再度挑戦し実現したい、自分らしく、自然体で心豊かに人生を送りたい。
 
 清水 誠次郎 (3組 兵庫県在住) 出席
 先月(8月7日)喜寿のよろこばしい日を迎える事が出来ました。3日間、4人の孫達と白浜の美しい浜辺で妻と共に楽しむ事ができました。感謝です。
 
 加藤 博司 (4組 大阪府在住 ) 出席
 出席できることに感謝し、グローバルにガンバッテいます。
 
 寒川 詔三 (4組 大阪府在住) 出席
 12期生同窓会は「人生は実に不思議で素晴らしい出会いに溢れている」という日野原医師の言葉通りのコミュニティーでした。今は教会生活をベースに仕事を続け、音楽、合唱団、ゴルフなどでエンジョイしつつ、ピンピンコロリで天の御国へ旅立つことを祈り、歩んでいる日々であります。幹事会酒井代表をはじめ、幹事の兄姉に、心から感謝しています。
 
 進藤 司 (4組 兵庫県在住 ) 出席
 このところ台風21号の風雨、北海道の大地震など、落ち着きの無い日々が続いていますが、市岡12期、最終同窓会のご案内を頂き、これまでご苦労していただきました幹事の皆さまには感謝しております。卒業以来半世紀以上たちますが、市岡でつながった絆を大切にして、これからも歩んでいきたいと願っています。年を重ねることに喜びと楽しみを感じて、悔いなく残された人生を過ごして行きたいと思っています。
 
 西田 穣 (4組 大阪府在住 ) 出席
 返信遅くなり申し訳ありません。今回が最後の同窓会とのことですが、長い間幹事役、ご苦労様でした。当日を楽しみにしております。
 
 前川 光永 (4組 大阪府在住 ) 欠席
 どうにか元気で、ボケ防止の為に仕事にも出かけています。最近、酒を飲むと血圧の低下がひどく、酒は生ビール1~2杯に控えています。皆様に会うとうれしくて飲み過ぎ、迷惑をかけてしまいそうなので、残念ながら今回は、自重することにしました。今回で会は最後ということで残念ですが、又会いたいです。酒井君をはじめ幹事の皆さん、ありがとう。皆様ありがとうございました。
 
 宮下 惈 (4組 大阪府在住 ) 出席
 孫10名(男1、女9)人数自慢!! 毎年7月28日~29日、北海道の富良野で“へそ祭り”があります。(富良野は北海道のへその位置らしい)長女と三女が大阪で結婚したのに富良野に移住。その関係で集まれるファミリーが集合するのが、我がファミリーの恒例行事! 10人の内訳、長男(女1)長女(女1、男1)二女(女3)、三女(女4 内一組双子)
 
 村田 守男 (4組 大阪府在住) 出席
 永年12期生の支えとして頑張ってこられたこと、感謝にたえません。本当にご苦労様でした。
 
 古藤 知代子 (4組 大阪府在住) 出席
 大勢参加頂けたら嬉しいですね。
 
 稲葉 勝也 (5組  兵庫県在住 ) 出席
 二代の御代を無難に生き抜かれた学友のみなさん、おめでとうございます。平成最後の同窓会です。強い絆で結ばれた12期生、仲良しの皆さんと、この度もお会い出来る事が何よりうれしいことです。いつも通りに存分に楽しみたいと思います。最後にこれまで会の為に御尽力いただいた酒井会長はじめ幹事の皆さん、他の方々に、心から感謝の意を申し添えます。ありがとうございました。
 
 小川 朋邦 (5組 東京都在住 ) 欠席
 長らくの幹事役、御苦労様でした。小生、一度は出席したかったです。
 
 坂口 明(5組 兵庫県在住 )欠席
 2年生の夏休みに、坐骨神経痛になって青春時代を失った気がした。その高校時代に、幾何の面白さで数学を教えてくれた東野さん、ユトリロの絵から絵画に興味を持たせてくれた鵜飼さん。今も感謝の気持ちで、年賀状を送っています。70歳まで仕事ができたのは家族のお蔭で、今は8人の孫たちと遊ぶのを楽しみに過しています。幹事の皆様にはお世話になり、ありがとうございます。
 
 西垣 尹久子 (旧姓 今田)(5組 奈良県在住 )欠席
 ご連絡ありがとうございます。28日は高知の孫の演奏会で参加できません。そして私は大阪に住んで、心斎橋の老舗の呉服屋の仕事をしています。平成6年には大阪の西尾市長より、技能功労賞を頂きました。3月にはひ孫が生まれまして、本当に夫婦そろって元気でおります。幸せです。
 
 三上 正義 (5組 奈良県在住 ) 欠席
 いつもお世話になっています。残念ながら病気療養の為、欠席させていただきます。皆様によろしくお伝え下さい。

 井東 一太郎 (6組 大阪府在住 ) 出席
 喜寿といっても喜べない。元気の分かれ目この近況を出す前に、病院の検査でCEAが基準の3倍強2回目の検査のときは、台風20、21号、更にパートナーの認知症でストレス増加この検査もストレスで上昇したのかと思うのですが、次の検査は40万人に一人死亡とのことでその一人になれば100%死亡同窓会に参加できるのは検査次第。パートナーの認知症は毎日のこと。認知症にならないようにしましょう。
 
 小野 義雄 (6組 愛知県在住) 出席
 元気にしています。所用のため二次会は、欠席させて頂きます。
 
 片山 逸雄 (6組 大阪府在住 )欠席
 前略&前略。今マレーシアに居るので、お会いできません。これが最後ということで告白します。悲しいかな優秀な仲間に囲まれた市岡の3年間は、私の人生の中で自分を見失った時代だったのです。Best friend 田中敏明君は、小学3年生を腎臓病で失い、予告通り70才で逝きました。教室から市岡の中庭にあった池の鯉が、浮き沈みするのを眺めていて先生に注意され、私でなく自分が怒られたのを、彼はぼやいた。Idolも見つけたのだが、その時は口がきけずじまいだった。など etc、60年もたった。
 
 佐藤 裕久 (6組 宮城県在住 ) 出席
 一昨年、人並みに体調を崩しましたが、若き日、補欠役を演じていたためか、復帰は急速で、今、生活を楽しんでいます。理・文系を意識せずにモノ・コトに関わる人生です。(生活のこと)なお;ペンネーム:西生(さいしょう)を使っています。漢字の“西”や“生”の意味が一人歩きすることは止められませんので、説明略でお許し下さい。これまで先生という言葉がありましたが、先死という言葉は余り好まれず殆ど使われておりません。おわりに、私がお会いしたすべての「先死」の方々に、お礼とご冥福を。<西生 記>
 
 中柴 方通 (6組 東京都在住 ) 出席
 酒井代表幹事様、幹事の皆様。この同窓会によって人に会うことができました。東京からの参加が皆勤だったのは、皆様のおかげです。有難うございました。
 
 松田 修蔵 (6組 大阪府在住 ) 出席
 常日頃、健康のためと心に言い聞かせて、洗濯や風呂掃除など家事に勤しんでおります。この度は、二次会の司会を仰せつかり緊張しております。皆さまの温かいご協力を、お願いいたします。
 
 伊東 慎一郎 (7組 兵庫県在住 ) 出席
 地元の老人会の麻雀部(脳梗塞のため左手しか使えませんが)とカラオケ部に入り、楽しんでいます。
 
 大西 佑治 (7組 千葉県在住 ) 欠席
 幹事ご苦労様です。小生三年前から四つもの病魔に順次襲われ、以降、五年生存率40%?をクリアーすべく奮闘中の身ですので、遠出は難しく、残念ながら同窓会には欠席させて頂きます。盛会をお祈りいたします。皆様に宜しくお伝え下さい。東京同期会が良き思い出です。
 
 張 志朗 (7組 兵庫県在住 ) 出席
 現在スマホに挑戦中。これがなかなか使いこなせず、困っています。今風に仲間入りと目論んだのですが、全くの思惑はずれになりそうです。やはり老人は老人らしくしていなければなどと、ちょっぴり反省しながらスマホをいぢっています。
 
 新田 隆三 (7組 兵庫県在住 ) 出席
 あれもこれもと老化現象を数える日が多くなりました。一方、早朝からの体を動かすアルバイトも10年を経ました。おかげで体調はすこぶる良。
 
 緒方 宏文 (旧姓 戎田)(8組 東京都在住) 欠席
 子供達との会があり、残念ながら出席できません。大阪も6年程行っていないので、遠く感じるようになりました。この年令になると、世界が大きく見えます。自分の世界が小さくなっているのでしょう。皆様お元気で

 川副 研治 (8組 大阪府在住) 出席
 幹事諸兄の皆様には、本当に長い間ご苦労様でした。小生も幹事の末席をけがしておりましたが、体調不良とはいえ、全然お手伝い出来ず、心苦しく思っております。返信、遅くなりました。申し訳ありません。
 
 岸川 常正 (8組 大阪府在住 ) 欠席
 同窓会で50年目の母校卒業式出席がありました。(同時に佳編文集も発行)この時、皆さんの立派な有様に沢山の喜びを味わいました。殊更、印象に残っています。
 
 徳山 健二 (8組 兵庫県在住 ) 欠席
 1.この7月13日、何年かぶりに夏の高校野球大阪府予選での市岡高校の応援に行きました。伝統のユニホーム姿の後輩達を応援し、遠い昔の市岡高校を思い出しました。
 2.今回が大阪での最終回の同窓会になりますこと、さびしい限りです。しかし通算12回もの同窓会にご尽力賜り、心から感謝申し上げます。今後とも12期生の皆様のご多幸を祈念いたします。
 
 萩原 貞雄 (8組 東京都在住) 欠席
 入学以来61年もの永きに亘り、市岡という同窓のお蔭で楽しい交遊ができました。それも幹事さん、ホームページ委員の皆様の努力によるものです。この機会にお礼申し上げます。これからも変わらずお付き合いの程、よろしくお願いします。
 
 林 栄作 (8組 大阪府在住 ) 出席
 この歳になりますと、何か病が出るものですね。でも体が動くことは有難いこと。私も感謝の思いを持って参加させていただきます。永い間、おつかれ様でした。
 
 八島 平玐 (8組 大阪府在住 ) 出席
 新しい処にも慣れて、元気に過しています。相変わらず、和弓と彫り物に励んでいます。
註:添付したカットは同窓会当日配布の“栞(しおり)”です。

「12期の広場 10月号のラインアップ 」

 10月、神無月です。スーパーの店頭に梨、葡萄、柿がずらりと並び、近くの小学校から運動会の歓声が聞こえてきます。秋ですね。
 今月号の花はコスモス。高見君から送っていただいた6枚の写真の中からこれを選びました。
 
 高見君のメールには、『「暑さ寒さも彼岸まで」とは昔の人はよく言ったもので、ようやく酷暑は過ぎたようですが、まだまだ暑い日が多い様に思います。10月の花です。秋の花としてコスモスは定番ですが、一輪をアップにしてもさえません。かといって、全景を捉えるのも難しくて、これというのがありません。』とありましたが、どうしてどうして、画面から飛び出してきそうな鮮やかなコスモスの花と、遠くかすむ奈良法起寺三重の塔、そして青い空、さわやかな秋風が吹きわたり、今月号のカットとして最高の写真です。コスモスはこの時期の人気の花ですが、これが明治時代に伝わったとの説がある外来種。かくも日本の景色に溶け込み、季節感一杯に秋景を彩るのは、ちょっとした驚きです。身近でなおかつ可憐・清楚なこの花を高見君の花を愛する心とベテランの撮影技法で見事に表現されています。
 花言葉には「美麗・調和・謙虚」があり、ご存知のように最近では「秋桜」とも呼ばれています。
 
 今月の28日、大阪での最後の「12期同窓会」が開かれます。すでにその出欠を知らせる返信用葉書が帰ってきており、その中の近況報告欄にさまざまな近況と感慨が記されていました。その内、9月15日までに到着したものを、「近況報告(1)」として今月号に掲載しますが、原稿を整理するために読み進める過程で、“同窓会33年への思い”を、新たにしています。
 同窓会が始まったのが昭和60年、定期開催になって最初の同窓会が平成2年です。そして平成が終わろうとするこの時期に、同窓会は最終回を迎える訳ですから、「12期同窓会」の時間軸は平成と重なっています。また私達にとってこの期間は、壮年期から老齢期に向かう、人生の要の時期でもありました。
 母校卒業後25年目の第1回は、再会の喜びと懐かしさに湧き立った同窓会とすれば、それ以降は、ともに生き、そして共感する、実に味わい深い同窓会であったようです。
 同窓会への出欠は別にして、日本全国はじめ海外に住む同窓生の消息を知るだけでも、心は豊かになり、また、数えきれない程の出会いは、笑い転げ、感じ入り、悲しみを共にした記憶に溢れ、今を頑張る学友たちの奮闘や生活ぶりから、心を染める励ましと元気と勇気を得ました。特筆すべきは、社会との距離が離れ始め、「老いと別れ」に向き合う中にあっても、なお得難い新しい友に巡り会えたことでしょう。
 よく言われますが、「たかが同窓会、されど同窓会」です。是非、最終回の同窓会においで下さい。
 今同窓会では、“市岡と12期に感謝 !! そして12期生を支えてくださった方々に感謝 !! ”を合言葉に、多くの同窓生と大いに語り、大いに楽しみたい、そして「わが市岡」を胸に刻んで、老境最後の坂に向かう第一歩を、ともに踏み出したいと願っています。
 
 さて、わが「12期の広場」10月号のラインアップは次の通りです。お楽しみ下さい。
 
1. 「近況短信」  (同窓会出欠用返信葉書から)
2. 「同窓会33年によせて ③ 」  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・5組  段中 文子(旧姓 高田)

 以  上

「 近 況 短 信  (1) 」―同窓会出欠返信葉書から―


 金本 美智子   (1組  高知県在住 )
 主人、私、共に体調不良の為、残念ですが、欠席いたします。皆様によろしくネ。
 お世話下さった方々に心から感謝しております。お元気で!!
 
 鈴木 政子 (旧姓 酒井) (1組  大阪府在住 )
 77才を迎え、毎日元気に飛びはねていますことに常に感謝。でもいつも明日はどうなるのかわからない年令なので、今日、この時間を大切にと心がけています。残りの時間、人生を大切に、有意義に過ごしたいと願っています。


 山西 邦子 (旧姓 西海 )(2組  大阪府在住 )
 いつもお世話さまです。
 酒井さんのお蔭で今まで同窓会を続けられたと感謝しております。幹事の一角に加えて頂き、お役にたたなかったけれど、楽しかったです。これからもよろしくお願いいたします。
 
 北浦 昌子 (旧姓 小寺) (2組  大阪府在住)
 ご案内ありがとうございます。酒井会長さんはじめ、各クラスの世話人さまには本当にお世話になっております。皆さまのおかげです。最高の12期会ですものね。同窓会会館への道順も間違うボケのこの私を皆さまよろしくお願いいたしますネ。


 
 石井 孝和  (3組  滋賀県在住 )
 最後になる「12期生同窓会」が有意義な催しになりますよう! 皆さまますます元気でありますよう。“100歳健康寿命の時代”、日々、“心と体”を育みましょう。
 
 福積 康光  (4組  大阪府在住 )
 例年の韓国旅行と重なり欠席です。5月末からの多難(水道管破裂、振り込め詐欺、北部地震の余波、21号の石起こしの突風等)は生きている証しか。自適迄の道は遠く彼方の夢。だけど自戒は人にやさしく、手を温め合いたい。逃げ道はない。今日は(大谷)翔平が、先週までは(池江)璃花子が輝いている。(でも地球は厚真で震度7の揺れ!)出来ることをやる。
 

 酒井 八郎  (4組  兵庫県在住)
 森君から『同窓会をしようや』と声をかけられたのが始まりで、12期同窓会がスタート。これまで34年の間に、5年毎に4回、60才からは2年毎に、卒業50周年記念をはさんで9回、大阪での同窓会を持つことができました。その間、東京でも12期同窓会がスタートしています。各クラスの幹事さん、参加してくださった方々、そして、いろいろな事情で不参加でも近況報告や声援を送って下さった皆さん、心から感謝しています。ありがとう!!
 
 藤田 勝利  (4組  大阪府在住 )
 体力、記憶力の衰えを少しでも遅らせようと、相変わらず、インドネシア語、韓国語、囲碁と近隣散歩、歴史散歩を続けています。
 この5月にバルト三国のツアーに参加したところ、たまたま小学校の同級生と一緒でした。名前も顔も覚えていませんでしたが、他の同行者の助言もあり、判明したのです。来年5月に65年ぶりの同窓会を開くべく準備中です。
 
 乾 嘉代子  (旧姓 松本 ) (4組  奈良県在住 )
 酒井様をはじめ幹事会の皆様、御苦労さまです。個性的で厳しく、しかも包容力のある先生方と良き友に囲まれて過ごした市岡の3年間は、私の宝物です。年月を経るにしたがって私の心の中で輝きを増してゆきました。人生の最終点であるX day を意識する年令に達した今、最高に光っております。恩師の先生方、12期の皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
 梶山 由紀子  (4組  兵庫県在住 )
 皆様お元気ですか。私は現在糖尿病と胃癌ステージ2で手術して5年目になりますが、元気にしております。今は膝が痛く、杖をついて歩いております。最後の同窓会に行きたいのですが、体力がありません。いつも同窓会の面倒を見て下さった酒井さんには感謝しております。皆様いつまでもお元気で居て下さい。
 
 丸橋 米子 (旧姓 坂本 ) (4組  京都府在住 )
 半世紀ほど昔、奈良の田舎で女子校の教師(国語)をしておりました。1学年、3クラスの小さな学校でした。私の情熱ばかりが空回りした、下手な授業でした。その時の人たちから、10月28日に同窓会があるとの知らせをもらいました。彼女たちも結構なおばさんになって最後の同窓会とかと思います。12期同窓会は欠席させていただきます。
 
 黒田 任子  (旧姓 松山 )  (4組  大阪府在住 )
 毎回、お世話さまです。最終同窓会で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。幹事会の皆様、本当にありがとうございました。
 
 児玉 恭子  (旧姓 青木 )  (4組  東京都在住 )
 喜寿77才ですが、「目出度くもあり、目出度くもなし」 毎日の小さな出来事をワイワイと楽しみながら過ごしております。9/3~5 敬老会旅行、9/7都主催敬老会、9/8誕生会、9/17ふれあい秋祭り・・・忙しいです。最後の同窓会、久方の大阪を楽しみたいです。
 

 阿部 清二  (5組  神奈川県在住 )
 いつも連絡ありがとうございます。永年にわたる同窓会のお世話いただき、感謝しています。大学卒業後関東に在住、大阪が遠く感じる日々です。同窓会の当日は私が幹事をしている懇親クラブの一泊旅行(箱根方面)と重なり、欠席します。盛会を祈念します。
 
 段中 文子 (旧姓 高田) (5組  大阪府在住 )
 元気に動けるうちに毎月のようにスケッチをかねた旅行を楽しんでいます。同窓会で皆さんに会えるのを楽しみにしています。

 
 大石橋 宏次  (6組  東京都在住 )
 申し訳ありませんが、都合により欠席いたします。皆様によろしくお伝え下さい。
 
 圓尾 博一 (6組  大阪府在住 )
 酒井さんはじめ幹事の方々に厚く御礼申しあげます。
 まだまだ元気でまた会える日を待っています。
 


 安彦 建夫  (7組  兵庫県在住 )
 平成の最後の夏は、(さい)多し。これで納まり、新しい年号からは静まるのか、あるいは始まりか?これを読まれている貴方と同じ気持ちです。たぶん。永い間、お疲れさまでした。
 
 小原 靖夫  (7組  神奈川県在住 )
 お便り有難く、又長年のお世話に感謝申し上げます。
 当日、別件の祝賀会に招待されており、誠に残念ですが、欠席させていただきます。私は77年を振りかえり、この年までよく生かせていただいたと驚くばかりでございます。市岡高等学校はその飛躍の基礎を作ってくれました。感謝いたしております。盛会をお祈り申し上げます。
 
 田端 建機  (7組  大阪府在住 )
 専業主夫として家事全般、働いています。ただし大幅な手抜きです。料理は適当我流です。けれど顔をしかめて飲み込まないといけない程、ひどいものは作りません。暇つぶしは多種多様で、 モーツアルト、ベートーベンの音楽 、本、テレビ、ブラブラ自転車、ナンクロ等のパズル、一日48時間ほしいくらいです。金はなくても充分楽しんでいます。体はあちこちほころんでいますが、まあ、動けます。
 
 別宮 信彦 (7組  京都府在住 )
 再顧用未だ毎日出社している。昼飯は烏丸で錦市場を散歩し、夕方は早めに帰宅。読書とビデオを居眠りしながら見ています! 80才で地獄詣での予定です。
 
 三宅 馨  (8組  奈良県在住 )
 永らく幹事役をご苦労様です。同窓会が続けてこられたのも偏に幹事さんの苦労の賜物いえましょう!! 拍手!! 私は足が弱っているので参加は見送らせて頂きます。盛会を予感しています。
 

 村崎 裕昭  (8組  神奈川県在住 )
 人生100年時代と呼ばれる長寿命社会。与えられた余命に感謝するとともに、いかに有意義に過ごすか?「人生100年時代の生き方を探す旅」をこれからも続けてまいります。
 33年間の長きに亘る「12期同窓会」の企画・運営に携わられた関係者に心からの感謝と敬意を表します。ありがとうございました。
 
 榎本 進明 (8組  神奈川県在住 )
 全体同窓会の集まりがなくなるのは寂しいですが、幹事さんのご苦労を思えば、時代の流れだとおもいます。でも同窓生とのおつきあいは続きますので寂しくはありません。個人としては、体調は徐々に良くなってきているので、秋以降に川歩きを再開できると思っています。このようにして、同窓生とは何かにつけてつながっていこうと考えています。
 
 川村 浩一 (8組  京都府在住 )
 相変わらず、ISOの審査員を続けています。茶事同好会の会長として、京都を満喫しています。
 
 末廣 訂  (8組  大阪府在住 )
 喜寿を迎え、老いゆく身体にムチを当て、何とか生きています。最後の同窓会・・・楽しみです。お世話になります。
 
 山田 正敏  (8組  千葉県在住 )
 当日は小生が17年所属している船橋市の福祉センター陶芸クラブの年1回の展示会の最終日にて参加できません。大阪での同期会がこれで最後とは、寂しいかぎりです。東京はもう少し続けたいと思っています。皆様によろしく。
 
 椎間 賢一  (8組  奈良県在住 )
 最近になってようやく無駄な力が抜け、角のない円いスイングができるようになりました。エイジシュートをねらっています。(ゴルフ)人間のカドはまだ取れていません。

「同窓会33年によせて ③」 

5組 段中 文子 (旧姓 高田 )
 
 
 1995年堂島ホテルでの卒業35周年記念同窓会。左から、
梶、高橋、今田、津田、鈴木さんの皆さん。右端が私です。
 12期の同窓会を今年で一応終了しようという話が6月30日の幹事会ででた時に、ああいよいよそんな歳になったのだなと感無量でした。 
今年で33年13回もの同窓会のお蔭で、市岡に学んだ時にはクラスが同じになった人とだけの知り合いが、今ではクラスも関係なく学年全体でお付き合いできるお友達になっているのは何と言う幸せでしょう。長年色々な分野で立派なお仕事をされてきた皆さんと、同期生というだけで対等に話をさせてもらえるなんてとても有難いことだと思います。
 同窓会が始まったのは、1985年(昭和60年) 卒業25周年 ホテル東急イン梅田からですから今年2018年(平成30年)10月28日のクライトンホテル迄、33年間13回の同窓会を重ねています。30年以上も前の事を思い出すのはちょっと無理なので、まず写真の整理からはじめました。初期の頃はアルバムに収めていましたが、後半は封書のままなので全部揃うだろうかと心配しながらの作業でしたが、揃ったときは嬉しかったですね。
 写真を眺めていると、誰もが笑顔で語り合っている様子が浮かんできます。その中にはもう逢いたくても会えない人達もいて、寂しい思いと共に貴重な写真になっています。
後列左から酒井、川西、新田さんの皆さん。前列左から張、平野、私、
武田さんの皆さん。2000年、グランビア大阪「レストランアブ」です。
 
 毎回そんな写真の数々を食事もとらずに写してくれていたのが、5組の川西庸雄さんです。 市岡高校の写真部から始まり、仕事をしながら同窓会の写真撮影、現像、焼き増しと、一人で引き受けてくれていました。 私も同じ5組だったので、「そんなに写真ばかり撮らないで何か食べたらいいのに」と毎回声を掛けるのですが、夢中でカメラに向かっていました。「写真を見れば学年全員の名前が分るのは僕くらいだろう」と言っていたので、撮影しながら一人でも写し漏れがないように、名前を確認していたのだろうと思います。残念ながら前回の2016年のクライトンホテルでは、もう彼の姿を見ることが出来ませんでしたが、その活躍ぶりは今でも忘れがたく感謝あるのみです。  
 
 いつも思うのですが、1,2組の女性達の華やかな事、
 2014年クライトンホテル。毎回出席
してくださった北村先生を中央に、左か
ら金本、鈴木、私、軽矢さんの皆さんです。
若い人から見れば年相応と言われるかもしれませんが男も女もさすが市岡卒業生だけあって、賢く良い年の取り方をしていらっしゃると、嬉しくながめています。3組以降は女性の数が少なかったので、クラス写真では女性の減っていくのが寂しいです。私のクラス5組では今田尹久子さんだけがいつも顔を見せてくれますが、3回目のホテル堂島では6人も揃っています。鈴木良子さん、津田田鶴子さん高橋津奈子さん、梶英子さんとそれぞれの事情があってなかなかお逢い出来なかったのですが今回は最終回なので、またお声掛けをしてみようと思っています。
 第6回は2004年 市岡高校創立百周年を記念して母校内に建設された記念会館で同窓会を開催したので、卒業後はじめて学校を訪れた人も多かったことでしょう。舞洲の市岡の森に12期生がソメイヨシノを植樹したのもこの時で、毎年舞洲のお花見に集まるきっかけとなりました。同窓会がなくなっても市岡の森に行けば皆に逢えると思えばもう安心です。
 
 2004年母校創立100周年記念会館での同窓会。「自彊の鐘」の前で記念撮
影した内の一枚です。前列左から、北村先生、御崎先生、江本先生、福井先生、
田中先生、吉田先生です。
 
 第9回は2010年3月4日。ホテル大阪ベイタワーで卒業50周年を祝う同窓会です。
 当日は朝から雨でしたが在校生の卒業式に招待されて40数人が式典に参列させてもらいました。控室から会場までは廊下の両端に並んだ生徒達が拍手で歓迎してくれて嬉しい交流となりました。午後からは学校近くのホテル大阪ベイタワーでの同窓会でしたがこの時の参加者は先生5名を合わせて74名と大盛況でした。
 卒業50周年を記念して創られた文集「みをつくし」を覚えておられますか?
 恩師の原稿5編と学友45編 合わせて128ページの素晴らしい冊子です。久しぶりに読んでみると、卒業後50年の生き方がにじみ出るようで、バラエテイに富み、真面目ななかにもユーモアがあり、本当に面白くて引き込まれました。在校中に作った文集と違うのは、生きてきた歳月の重みでしょうか。ぜひ再読されることをお勧めします。
 大阪での同窓会は今年で最後となりますが、忘れてならないのは東京12期会の存在です。
 東京在住の人達を中心に20名程が、二年毎に集まり交友を深めています。催しをするときには大阪にも声を掛けてくれるので、昨年11月はカナダにお住いの山本(古荘)久美子さんも加わり酒井八郎代表幹事をはじめ7名が参加して、東京組とともに24名が集いました。
 霞が関ビル35階での同窓会と、翌日のスカイツリー最上階からの眺望は、首都東京のすべてが分った気分になりました。今迄にも2005年の箱根小旅行、2006年の熱海初島と参加しましたが、大阪から来てくれたといってはいつも大歓迎を受けました。
 全国から同窓生をお迎えする大阪の同窓会で、この暖かいおもてなしをしっかりとお返することが出来たら最高に嬉しいです。10月28日のクライトンホテルの最後の同窓会では、出来るだけ多くの人と笑顔を交わし、語り合いたいものです。