12期の広場
2018年5月1日
連日の暖かさで、ここベイエリアの遅咲きの桜もほとんどが散ってしまい、満開の桜の下でのお花見にはなりませんでしたが、市岡ゆかりの地、特に20周年を迎えた「市岡の森」に集うのはやはり心浮き立つものです。
来賓の方々、先輩はじめ同窓生の皆さん、そして母校吹奏楽部の現役高校生、総勢約200人が参加されました。12期生は、1組の八島節子さん、鈴木政子さん、高橋三和子さん、2組の北浦昌子さん、3組の石井孝和君、清水誠治郎君、小牟礼康子さん、4組の酒井八郎君、竹田裕彦くん、原清明君、古藤知代子さん、5組の段中文子さん、6組の井東一太郎君、松田修蔵君、7組の上野裕通君、田端建機君、張志朗君、8組の上山憲一君、川村浩一君、末廣訂君、八島平玐君、以上、21名が参加しました。
定刻の12時から記念式典が始まりました。司会は高校23期の木村正敏さんです。冒頭、主催者を代表して佐藤充利全体同窓会会長(8期)が挨拶されました。佐藤会長は市岡の森創設からの20年を振り返りながら、
これからも市岡の森とそこで続くお花見を含めた諸行事が受け継がれていってほしいと話されました。続いて、来賓である市岡高校の福島秀晃校長が、挨拶されました。
福島校長は最初にお祝いの言葉を述べられた後、今年、320名の新入生を迎えたこと、特に、公立高校の入学志願者数では、府立高校上位ベスト5に入ったことについて話されました。また、在学生たちが、勉学に、部活に、学校行事にと、良く頑張っていることにふれられながら、吹奏楽部が昨年の大阪府大会で金賞を受賞したことや志望大学への入試で一定の成果をあげつつある事例を紹介され、同窓会の変わらぬ支援を要請されました。
吹奏楽部の金賞受賞は、府立高校では二校の内の一校です。その一校が淀川工科高校と言いますから、金賞受賞がいかにむつかしい関門であったかが分かります。また、大学進学では一層の頑張りが必要のようですが、大阪市大医学部への合格者が出るなど、今後の展望は明るいようで、嬉しくなりました。
式典では大阪市港湾局の薮内弘局長の祝辞が代読されました。

記念式典の最後は、市岡高校吹奏楽部による「記念コンサート」でした。演目は「奇跡のつぼみ」ほかで、市岡高校の“応援歌”である「花になれ」も演奏され、最後に吹奏楽部の伴奏で「校歌」を歌い、記念式典は終わりました。
記念式典閉会後は、恒例の花見の宴です。葉桜ばかりとは言え、同窓生が車座になって弁当をつっつき、杯を酌み交わすのはやはり楽しいものです。この日はおおむね晴れでしたが、前日までの暖かさにくらべると、気温は低め、おまけに風があって絶好のお花見日和とはいきませんでした。
しかし、祝宴は十分に盛り上がったようです。ギターを持ち込み、歌声喫茶顔負けの歌声をひびかせるグループまでありました。12期の同窓生21名も、いつもの“あずまや”を独占して楽しみました。今年もまた、4組の原清明君が上物の焼酎、一升瓶を持って来てくれました。「昼間のお酒は良く酔うなあ」と言いながら、結構飲みました。1年ぶりの再会になる人が多く、近況報告や健康のこと、同窓生の消息など、話題はつきなかったようです。
2018年5月1日
1時間では、会場は広く作品も多くて駆け抜けた感じでした。このあとの懇親会も楽しみに集まっているので、居酒屋に移動して2時間ほど懇親を深めてお開きとなりました。
2018年4月1日
4月、卯月。春ですね。関西各地の桜は例年より早く満開になりましたが、私が住む町は標高が高いせいでしょうか、少し遅めです。この拙文を皆さんに読んで頂いている頃に満開を迎えそうです。
しかし、あちらこちらにあるコブシやモクレンは、白やピンクの花を、枝一杯に付けて今が見ごろです。消防署の前にたくさん植えられた水仙は、見事に咲きそろって黄色の花がこぼれおちるよう。また、陽だまりのゆきやなぎは、可憐な白い花が連なった枝を静かに揺らしています。家々の庭先には、名前の知らない草花が咲きほこり、丸裸の街路樹は、その枝先に点々と新芽を付けました。我が家の庭も賑やかになり、いよいよの「爛漫の春到来」を実感しています。
今月の8日(日)、大阪のベイエリアである舞洲で、恒例の「市岡の森のお花見会」があります。今回は「市岡の森」が出来て20周年を迎える節目のお花見で、全体同窓会主催の記念式典が同時に開催されます。ここには我が12期同窓会が植樹した二本の桜もあります。「市岡の森」が出来た頃、玉田先生が「森は人が集う場所、末永く市岡のきずなが強まるように」との主旨を話されていたことを思い出しました。20年を経て、桜咲く「自彊(じきょう)」の碑の前に集えることを嬉しく思っています。
母校の今年の入学志願者は、定員の130%を越えたと聞いています。結果、320名の新入生が無事入学し、明治34年創立の永い校歴に新しい一頁が書き加えられます。これまた、たいそう喜ばしいことで、学校長と教職員の先生方、現役生徒の皆さんはじめ、関係者各位のご努力の賜物と、心から感謝しています。
先日、ふとしたことから企業人事担当者が新入社員採用時に、出身校、特に出身高校に着目しているとの話を耳にしました。着目点が偏差値か、何か、その詳細はわかりませんが、高校時代に自身の「人としての骨格が決まった」ことを思い起こし、一定納得ができました。
高校は、少年から青年への第一歩。中学生であった昨日と高校生になった今日の環境の変化に驚き、多彩な恩師や学友に面食らって大きな刺激を受けたことを鮮やかに覚えています。そして高校生活を通して、人生観をはじめ生きる力の大部分を培ったのではと感じています。時代は変わり、将来を見通すことがさらにむつかしくなった社会に在るだけに、市岡の伝統である「自彊」や「質実剛健」、「自主自立」の今日的意味は、思いのほか深いものがあると言えそうです。
新入生は私達の孫のような世代です。まさに今、人生の壮途に第一歩を踏み出す後輩たちに、心からのエールを送り、その頑張りを見守って行きたいと思っています。
さて、わが「12期の広場 」4月号のラインアップです。記事は以下の二編、お楽しみ下さい。
1. 「2018年 豚汁会の報告 」 ・・・・・・・・・・・・ 8組 川村 浩一
2. 「『一枚の写真』 昭和の大阪駅前旭屋書店付近 」
2018年4月1日
同窓会恒例の「豚汁会」、毎年3月の原則として第1日曜日に母校・同窓会館で行われています。今年は3月4日、大阪の最高気温が21℃、コートが邪魔になる程の春の陽気でした。
12期生の出席者は酒井君(4組)、古藤さん(4組)、田端君(7組)、岸川君(8組)、塩野君(8組)、末廣君(8組)、川村(8組)の7名。私は1992年から参加させてもらっていますが、多少のメンバー入れ替えはあるものの毎年この程度の出席者数です。これからも頑張って出ようと思っています。関西在住の皆様も遠方の方も3月第1日曜は豚汁会、4月第2日曜は此花市岡会の舞洲お花見会と母校同窓会の行事があると覚えておいてくださいね。その昔の3年間、ともに過ごした仲間との屈託のないバカ話も楽しいものです。
まず、佐藤会長のあいさつ。
今年の入学希望者数は定員の90名オーバーとかで「廃校」の恐れが少し(?)遠のいたとのことです。でも大阪ベイエリアの人口減少がはなはだしいので、先行き安心はできないともおっしゃっていました。
ついで今回ただ一人の旧制中学の大先輩・浅見忠彦さんのご発声で乾杯。浅見さんは中学40期生、皇紀2600年(昭和15年)に入学され敗戦間際の昭和20年3月に卒業されたとのことです。もちろん卒業式などなし。平成7年3月、母校の卒業式に出席し中学41期の皆さんと一緒に、50年ぶりの卒業証書を授与されたそうです。90歳。お元気でした。
勤労動員のこと、大空襲のこと、終戦後の混乱など先輩方のご苦労は大変でしたが、我々は幸せな時に生まれたものです。子供や孫もいい時代を享受してもらいたいものです。
じゅうぶんアルコールが回った頃、参加者一人ひとりの近況報告。9期生は17人参加されていました。
最後は恒例の吹奏楽部OB、OG(18期生から66期生)による演奏。
「イン・ザ・ムード」(ジョン・ガーランド作曲)、「初恋」(村下孝蔵)、「和田アキ子メドレー」「ひばりメドレー」そして校歌の合唱。アンコールは「ピンクレディメドレー」。
会長をはじめお世話くださっている方々ありがとうございます。いつまでも続けてもらいたいものです。

このあと、周君を見舞い喫茶店でおしゃべりして解散しました。
この日、参加した12期の皆さんは、加齢による多少の不具合はあるものの、元気です。酒井君は毎日店に出て、終日、接客に奮闘していますし、末廣君は福島区の歴史研究会の会長になって、頑張っています。古藤さんは、町内会のお世話で忙しそうで、私と言えば京都三昧。ボケないために少々の仕事(ISO審査員をしています。もう来なくてもいいと言われるまで続けてやろうと思っています。)とお茶のお稽古。年に1回ほどのお茶事と数回のお茶会を楽しんでいます。
十ン年後の豚汁会に12期生が最長老組としてグループで参加したいなと思っています。私も頑張りますので皆さんもその時まで体力、気力を温存しておいてください。
2018年4月1日

この写真は昭和38年頃に大阪駅前旭屋書店付近を撮影したものだそうです。6組の井東一太郎君が、メールでわざわざ送ってくれました。そのメールに以下の文章が添えられていました。
「『市岡12期の広場』で古荘さんの歓迎会で旭屋書店の話が出ていましたが、我々の時代では懐かしく感じる場所です。その時代の大阪駅前の写真を高校10期の先輩からいただいていました。ご本人の了解を得ましたので、広場に掲載していただいてもOKです。写真は、高校10期玉井信之氏の提供です。」
この文章にもあるように、ここは実になつかしい場所で、今はその面影を探すすべが無いほど変わってしまった場所でもあります。市電がまだ走っていた頃で、自動車やバスもあの時代の古い形です。三輪トラックで荷積みをしている姿まで写っています。
映画の広告用看板は、ペンキで描いたこんな看板だったのですね。左はピーター・オトゥル主演の「アラビアのロレンス」、右は看板の上のマークから推測すると、松竹映画の邦画のようです。題名が「真っ赤な恋の物語」と読めますが、どんな映画だったのか、全く記憶にありません。
4年前の「12期の広場」10月号に、ニックネーム「井の中の蛙」さんがこの付近の想い出を書いています。そのくだりを一部抜き出して下に添付します。
『古い話であるが、旧大阪駅の南正面に木造2階建ての「旭屋書店」があってしばしば通ったものである。高校時代はここで主に参考書を、社会人になってからは文庫本や仕事に関連した専門書などを買った。培風館の「数Ⅲ精義」(岩切精二 著)を学友に薦められて買って帰り、それだけで賢くなった気分になったのもここ。二十歳すぎの悩み多き時期に「人間のしるし」(モルガン)を買い求めて行ったが探せず、やむを得ず同年輩の女子店員に聞いた所、「宗教書ですか?」と言われて慌てた事もここ。よほどにやせ細って暗い顔つきをしていたのだろう。』
皆さんにとっても思い出の多い場所でしょう。また写真に写っているものが何か分かる方も居られる思います。是非、それを投稿して下さい。
2018年3月1日
3月、弥生の春です。風の冷たさは相変わらずですが、待ちに待った春はもうそこかしこにです。夜が明けるのもぐうっと早くなり、駅に向かう道すがら浴びる朝日も、高くなりました。そしてなんともありがたい暖かさで、自然と背筋が伸びます。今年の2月は、日本列島全体がまれにみる厳しい寒波に覆われ、雪がほとんで積もらない関西でも、積雪や路面凍結による被害や交通マヒがありました。気温が氷点下を記録することもあって、露出配管の給水管が凍結して破裂しないかとヒヤヒヤ。孫は何度も雪合戦が出来たと喜んでいます。寒がりの私は、雪合戦などとてもとてもで、どこに行くのも手袋が欠かせません。お蔭で、手袋を二回も落としました。三回目の手袋を「100円ショップ」で買い求めたのですが、何と品切れの店が何軒もあったのには驚きました。それほどに、寒さが厳しかった言うことでしょう。
これから「雛祭り」「東大寺二月堂のお水取り」「春のお彼岸」「選抜高校野球」と、「春への階段」を登り切って、桜咲く爛漫の春です。今しばらくは「三寒四温」に注意が必要なようですね。
先月号でピョンチャン(平昌)冬季オリンピックは、時差がないので寝不足にならないと書きました。どうしてどうして、結構な夜更かしを繰り返しました。
「冬季五輪史上最多のメダル獲得」との報道が躍るように、日本選手の活躍は目を瞠るものがありました。また雪上、氷上競技の種類の多さ、その醍醐味や奥深さを再認識。そして、選手たちの心技体と精進、それにまつわる物語に感動と勇気をもらい胸が熱くなりました。
特にひたむきに競いあい、そして深くリスペクトしあう選手の姿は、勝ち負けや損得、面子にこだわる世界を飛び越え、人の美しさを鮮やかに浮かび上がらせた感動的なものでした。今月、開催される「冬季パラリンピック」がまた楽しみになります。
さて、わが「12期の広場」3月号のラインアップです。記事は、8組の辻紘一郎君が社長をしている「株式会社 ツーセル」(広島市)訪ねた、以下の二編です。お楽しみください。
広島を訪ねたのが1月23,24日の二日間ですが、その後の2月5日、辻紘一郎君が「JVA2018」の中小機構理事長賞を受賞したとの知らせが届きました。「JVA2018」は日本の「未来を切り拓く起業家とベンチャーキャピタリスト」を表彰するもので、今年は、11名が受賞しています。地方都市からの受賞は、広島県の辻君と新潟県の方のお二人、また細胞を使った再生医療関連では辻君を含めてお二人のみです。今後さらに注目を浴び、期待されるものとして共に喜びたいと思っています。
| 1. 「細胞再生医療のもう一人の旗手、辻 紘一郎君」・・・・・・・・ | 7組 張 志朗 |
| 2. 「自然治癒とは何か」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 榎本 進明 |
2018年3月1日
1月23日から24日にかけて、8組の榎本進明君と一緒に、辻紘一郎君が社長をしている(株)ツーセルの本社(広島市南区比治山)を訪ねました。目的は、今なお現役、元気一杯にツーセルを牽引する辻社長の活躍ぶりと先端的再生医療分野で実績を重ねるツーセルの姿を目の当たりにすることです。昨年の東京12期会で、榎本君に広島行きの計画を話したら「旅行を兼ねて行ってみたい」と返事があり、すんなり決まりました。そして、大雪で交通混乱が起こっていた首都圏、横浜から例の腰痛対策用のコルセットを装着して来てくれました。
榎本君は仕事で何回か広島に来たことがあるとの事ですが、私は30代に6年程住んだことがあります。広島市は中四国最大の都市で、都市機能と人々の生活とのバランスの妙があり、瀬戸内とそれにそそぐ川と山並みに囲まれた美しい街でもあります。なつかしさがこみ上げました。
(株)ツーセルの本社は広島駅からタクシーで15分程度の市街地中心部にある、「広島産業文化センター」ビルの11階にありました。ここには本社機能と要の製剤化技術開発設備「gMSCセンター」(細胞培養を主にしている)があります。
「市岡の自負を胸に」
午後2時頃、ちょっとドキドキしながら訪問を告げて、社長室に案内されました。社長室は窓から瀬戸内や島が眺望でき、明るく、虚飾を排して実に機能的です。この日も膝軟骨再生細胞治療 製品の治験(患者さんを対象にした移植治療試験)が始まっているせいか、電話連絡や打ち合わせが多かったようで、活力にあふれていました。「忙しすぎて迷惑では」との思いがよぎりましたが、辻君の満面の笑みと「遠路はるばる御苦労様」の言葉に気分がほぐれ、いつもの「市岡のよしみ」です。彼はこの時間まで昼食もとれなかったようで、食事をしてもらいながら、再会を喜び、いろいろと話をしました。
まずは、辻君の写真入りで印刷されたプロフィールを頂きました。1941年生まれの次に1960年大阪府立市岡高等学校卒業の文字が光っています。1964年信州大学農学部卒業後、中外製薬株式会社に入社、1985年東京大学で農学博士号を取得、「開発研究所実験動物・安全性センター長・メディカル事業部部長」を経て、2001年に退職、同年に科学技術振興機構(JST)のプレベンチャー事業「骨・軟骨再生療法チーム」サブリーダー、2003年に株式会社ツーセルを起業、社長に就任とあります。また、座右の銘は「自然流(じねんりゅう)で行こう」だそうで、「力まず」「はしゃがず」「嘆かず」「腐らず」「おごらず」とあります。同窓会で会うたびに感じていた辻君のかわらない明るさと元気、形にはまらない発想やチャレンジ精神が、座右の銘とダブってうれしくなります。
会社規模について聞きました。広島には本社と「gMSCセンター」、出汐(でしお)オフイス/ラボがあり、東京の文京区に「東京オフイス」があるそうです。資本金は10億8250万円、従業員は50名です。
起業16年目に入ったツーセルとはどんな会社なのかを知りたいと思って辻君を訪ねたのですが、これがなかなか難しい。ツーセルの資料によれば、「間葉系幹細胞をターゲットにした、研究・開発・上市(マーケティング)の一貫体制を持つ価値創造会社」とあります。まず「間葉系幹細胞(MSCと言います)」ですが、成体幹細胞の一つで、人の骨髄、脂肪、臍帯、滑膜(関節周囲にある組織)などに含まれています。この幹細胞が骨、軟骨、腱、脂肪、神経に分化する能力をもっているので、これを抽出し、培養すると同時に、それを再生医療に実用化するための研究や開発を行い、薬や治療法として医療現場に提供する会社と理解しました。したがって事業の内容は、多岐にわたっています。末尾注①をご覧ください。
「優れものの“無血清培地”」
2階の製剤化技術開発設備「gMSCセンター」を案内していただきました。辻社長と彼のお嬢さんである黒田経営企画部部長代行にその説明を聞きました。この施設では、大阪大学から提供を受けた滑膜組織から、まず目的の間葉系幹細胞を抽出します。そしてそれを初代として培養し細胞の数を増やします。次にその幹細胞を継代としてさらに培養し、実用化のための人工的組織(gMSCⓇ1)にするツーセルの肝心要の設備、いわば幹細胞の工場です。ビルの一角に、壁・床・天井を二重に設け、電気設備や、エアコンをビルのそれとは独立した系統にした完全なクリーンルームだそうです。ここで活躍しているのが、無血清培地のSTKⓇ1、2、3。これはツーセルが研究開発し製品化した"すぐれもの”のひとつで、すでに「STKⓇシリーズ」として販売されています。STKは、本技術の発明者の頭文字だそうです。「gMSCセンター」は人の自然治癒力に全幅の信頼を置く辻社長の想いがつまった施設です。ここには第1培養室から第3培養室、そしてそれに関わる各種先端精密機器があります。私達が見学(ただし窓越し)できたのは第3培養室の一部のみでしたが、品質が安定していて、しかも元気がよく、安全でフレッシュな幹細胞をつくる意気込みが窓越しに伝わってきます。しばらくすれば、この施設がさらに大規模になり、将来の工場の心臓部として稼働することになるのかと思うと胸が躍ります。
「“絵描き”のスピリット」
夜、三人で食事をしました。広島駅の駅ビルにあって瀬戸内の美味しい魚介類を食べさせてくれる気さくな居酒屋です。老齢にあるとはいえ、「三人寄れば」何とか、いわんや成績はさておき、個性が際立つ市岡の同窓生。飲むのも食べるのも話すのも止まることがありません。細胞についてのトンチンカンな質問をしては、辻君を困らせたようですが、答えはよどみなく、研究と開発のプロフェツショナルならではの明快さでした。やはり楽しい話は高校時代の話、特に初めて聞いた美術部の話は印象深いものでした。授業を抜け出し部室で絵をかいていると、授業中の杉野先生が「これからが良い所、辻を呼んで来い」と山田正敏君が呼びに来た話には爆笑です。当時の美術部は日本の近代絵画の革命児と言われた小出楢重を大先輩にもつ自負があふれていて、大阪の府立高校の中にあっても高いレベルだったそうです。後に陶芸家になった徳本正孝君、デザイン画の才能が光っていた加藤訓子さん、なつかしい名前が出てきました。恩師で強い影響を受けたのも先頃亡くなられた、美術部顧問の梶野先生だそうです。3年次の担任でもあった数学の杉野先生、生物の水野先生はじめ多くの恩師のお名前も出ました。彼は、今も時間を見つけては絵を描いています。彼にとっては絵を描くことが、リフレッシュすること、自分を見つめること、思索すること、そして、今日に続く創意とエネルギーを生み出すことなのかも知れません。社長室の窓から見える安芸の宮島の弥山(みせん)や春、桜でピンクに染まる黄金山は、それを刺激してやまないようです。
翌日、彼の描いた絵がたくさん飾られている社長室でインタビューもどきの話が続きました。辻君が最初に話してくれたのが「常識」をこえる事です。幾つかの例をあげながら話してくれましたが、普通定年を迎える60才を越えて仕事をやめるのではなく、新規事業の起業に身を投じ、その社長を15年にわたり務めている事に始まり、東京ではなく、中四国第1の都市とはいえ、地方都市である広島で先端的なバイオベンチャーを牽引している事や、ツーセルの研究・開発でも多くの特許や周辺技術をユニークに組み合わせて相乗効果を引き出している事など、その説得力は抜群です。
バイオベンチャーにおいて資金提供をうけることは、事業成否の決め手になり、現実に多くのベンチャーが挫折しています。また市場規模が莫大なゲノム創薬にかかわる分野だけに経済的・社会的・倫理的問題をはらみがちです。それらについて辻君の立ち位置は、驚くほど原則的で、コンプライアンス遵守です。
昨年5月、大塚製薬がツーセルの第三者割当による募集株式を引き受け、再生医療について連携する契約を結びました。辻社長は3億円の資金調達と新分野の中枢神経疾患領域への研究と実用化の加速もさることながら、「何よりもツーセルの社会的信用が大きくなった」と笑っていました。
「実用化にあと一歩」
2016年4月にライセンス契約を結んでいる中外製薬(ライセンスとロイヤリティで60数億との報道もある)と、昨年11月に膝軟骨再生細胞治療製品(gMSCⓇ1)の第Ⅲ相比較臨床試験(治験)の第一例目手術実施が発表されました。この治験は、70床例を目標にしているそうです。第Ⅲ相(フエーズ3、とも言われる)治験はもっとも厳しい内容。調べてみるとここに至るのには、最低10年の歳月と莫大な資金が必要です。それを質問すると「私達は15年をかけてここまできています」と、胸をはっています。臨床試験を終えて、医療現場に提供されるのは早くて2年先。それも世界初と言われる革新的な他家での膝軟骨再生治療製品です。その間、いくつものハードルを克服し、ツーセルが作る「gMSCⓇ1」(同種他家移植用の再生医療細胞製品)の安全性と有効性を確立していかなくてはなりません。辻社長を訪ねている間にもそれに関する連絡・協議と思われるものがいくつかあったようです。辻君の対応は、気持ちが良いほど明快で、自信にあふれるものでした。
ツーセル資料に「私たちツーセルでは社員一人ひとりをジャックと呼んでいます。」とあります。童話「ジャックと豆の木」のジャックの冒険に重ねあわせてのことです。ホームページにも「発見伝-みんなのアンテナ」(社員の気づきを各自が書いたもの)と言う読物がありますが、それからも社内のチャレンジャーらしい自由な発想をうかがえます。信頼に値する「ジャックの仲間達」の先頭にたっているのが、辻紘一郎君なのです。
MSC(間葉系幹細胞)は骨・軟骨への分化だけではなく、神経や腎臓、膵臓にも分化する細胞であることが分かっていますが、すでにツーセルは大塚製薬と連携するなど、脳梗塞などの中枢神経領域への実用化へと歩み始めています。
12時前、辻君との話は時間切れになりました。12時半頃の新幹線で東京出張、この日も昼食はバタバタと、車中の駅弁になったようです。榎本君も新横浜まで同行しました。
「見果てぬ夢」
二日間、彼からたくさんの話を聞き、柄にもなく、人の病や人体の神秘、特に幹細胞と再生医療について考え、教えててもらいました。辻君は、病に向き合う時、「根治療法は無いのか?」と思い、「細胞を使った再生医療の可能性に興奮した」そうです。大学、中外製薬で研究・開発に携わっていただけに、その興奮は"運命(さだめ)”と思うほど押さえがたいものであったでしょう。人体は数十兆と言われる細胞の精緻な調和と働きにより生をつなぎます。そして、それは生命の深淵と見果てぬ夢-難病の根治治療の可能性を示しています。
彼も今年が喜寿。すでに人生の第四コーナーを回った、同じ市岡12期のあの辻君です。しかし今なお、夢の真っただ中、辻紘一郎君は、細胞再生医療のもう一人の旗手であり続けていると言えるのではないでしょうか。注① ツーセルの業務内容
1) 医療用の遺伝子や細胞、試薬や医薬品、材料などの販売 2) 医療機器、医療器具の開発・研究とその販売 3) 遺伝子と細胞の診断法や培養法に関する研究開発と装置の製造および販売4) 再生医療に関するシステムの開発・販売
2018年3月1日
しかし、電車が定刻通り動いているか不安であり、少し早めに家を出る。新大阪駅で7組の張志朗君と待ち合わせているので、遅れることだけは避けたい。半分祈る思いで横浜を出発した。しかし、そんな心配はなく新幹線は定刻通り新大阪駅に着く。20番ホームでは既に張君が待っていた。駅弁も買ってくれていて、一路広島に向かう。辻紘一郎君には昨年の11月に東京での12期会で会ったばかりであるが、今回はじっくりと彼から『ツーセル』の話を存分に聞くことが目的であったので、楽しみが大きくてウキウキしていた。彼と同窓会で会っても、いわゆる雑談をしている時に『自然治癒力』の話はでるが、こちらも腰が痛いとかの相談をして名医を紹介していただくのがせいぜいで、即効的なモノを求めていた。中身をほとんど知らないままに別れていたのがもどかしかった。
今回、彼を訪問して2日間、徹底的に教えてもらって『自然治癒力』の奥深さの穴を埋めることが出来たのは筆者にとっては大きな収穫であると同時に、彼の仕事の偉大さに感銘したことであった。考えてみると世の中が進化して病気にかかることも、治ることも、その原因がわかってきている時に、あらためて『自然治癒力』を声高に言われても、『そんなのはわかっている』という先入観があって、それ以上の質問もしてこなかったのであった。今回、筆者の愚問に対しても、彼のわかりやすい説明と『実験からわかった真実』を聞かされて、謎が解けたことで、彼の偉大さを実感したことは幸せであった。
1.不思議な力
それでは何がわかったのか。不思議な力が解明できたことである。2日目の仕事が終わったお昼過ぎ、彼も客先との打合せのため東京に出張ということで、のぞみ号で話す機会を持てた。そこで、まだモヤモヤしていたことがあったので、『自家と他家』について聞いてみた。
2.自家と他家
まず、素人の筆者及び読者の方は、自家は自分、他家は他人、とご理解ください。
自分の細胞は安心、他人の細胞は危険。筆者はこのような常識を何となく持っていたのが現状。それは『拒否反応』がある。『がん化』するという不安である。結論から言うと、彼は『世界で初めて』この疑問を克服・解決したのがすごいところである。
母親が赤ちゃんをお腹に宿した時に、母親と赤ちゃんは『自家』だと筆者は思っていた。実は間違いとのこと。『他家』なのである。『そんな馬鹿な』が本音でした。しかし、彼の中外製薬(株式会社シー・エス・ケー実験動物研究所)での数多くの実験から導いた結論であった。でも、当時は彼の結論を誰も見抜けず・信用せず、社内ではこれ以上仕事を先に進めさせてくれなかった。それでは自分でやってみようと起業した動機となったのである。
母親はO型、子供はB型、そのような親子がお腹の中で血管を通して栄養補給のため血液が循環している。これは明らかに『他家』の二人であるとのこと。『そう言われてみると・・・・』が本音。しかし、この考え方がベースにあって、現在の膝関節の病気を治すために『治験』に入って、現在、
第3フェーズ(許認可の1歩手前)まで進んでいるのが現状。3.世のため、人のため
1人の細胞で何万人にも投与でき、病気を治せるのは素晴らしいことであるのは言うまでもない。自分の細胞は自分にしか使えない、というのに比べて、格段に量産性があることが素晴らしい。このような夢に向かって邁進しているのが、彼と50人の仲間達である。ツーセルのオリジナルTシャツにもその文字が躍る。
4.次は脳へ
残念ながら膝は膝にしか使えないようだ。それで次のターゲットは脳だ、と彼は言う。
脳梗塞の人を助けたいとのこと。元巨人の長嶋さんに右手でキャッチボールをさせてあげたいと熱く語っていたのが印象的であった。神経細胞の再生は、膝と理屈は同じことであるから今から楽しみにしている。
5.五年きざみ
彼は相当前から自分の体と相談しながら、コントロールしながら、生活をしている。
その習慣は、今から思えばいい習慣となっている。短時間に効率よく物事が進んでいる。しかし、焦っているようには見えないのは、芯が一本通っているせいだろう。
そして、記憶力が全く衰えていないと感じた。メモを取る暇もないようだ。
テキパキとスタッフに指示を与えているのを目の当たりにして感じた。6.量産は自分たちの工場で
今は量産前なので、いわば手作りで、自分たちで培養して作っている。同じビルの2階にその工場はある。でも生産量は少ない。量産はどうするのだろうと筆者は想像した。ファブレス工場での生産か?と。しかし生産工場は自前でやりたいと言う。喜寿を迎えてこの生命力、ただものではない。やはりその生い立ちにさかのぼらないと一本芯の通った精神力は解明できないのではないか、と思った。
7.絵画が好き
絵を描くことは、誰かの真似をすることではなく、常識にとらわれないことが重要。
忙しくても絵は相当量を今でも描いている。この『常識にとらわれない』ことが『常識外のこと』をやる原動力になっていることに間違いない。市岡で培った美術部での体験が今でも忘れないと語っていた。それが大学へ、会社での研究へ、そして今に続いているとのこと。ブレがないのが良かったとも語っていた。8.最後に
今の我が母校は廃校の危機に立っているのは悲しく思う。これを何とかするには、やはりトップのリーダーシップが必要ではないか?どのようなものかは、その人が考えるべきだが、筆者は『自由』ではないかと思う。辻君は『自由人』だと思ったからだ。彼にあなたならどうする?と聞いてみたが愚問だった。『そんなのわからない』と言われた。いい先輩がたくさんいらっしゃるが、それが今に繋がらなかったら『即効薬はない』と思う。強い運動部は、在校生が、毎年・毎年、卒業していっても、いつまでも強い。人間はそこで学んだ全てを持って卒業後も持ち続ける。辻君は今も市岡イズムを持ち続けている。当時の先生の授業中の言葉、考え方、入学式の校長先生の言葉、みな覚えていて、自分なりの咀嚼を加えて生きている。彼が社員に『常識外』を強調しているのは、一言で言えば『自由人』でないと言えない言葉だと感じ入った
ツーセルにはいたるところに彼の絵や、オリジナルのTシャツが壁に貼られたり吊るされたりしている。社長室のドアはいつもオープンで社長と話ができるようになっている。『先進的な仕事はこのような環境から生まれるのだなあ』と、後ろ髪を引かれる思いでツーセルをおいとましたのであった。ありがとうございました。


2018年2月1日
2月、如月です。3日が節分、4日が立春ですが、これを書いている窓の外は雪。今冬一番の寒さが足元から這い上がってきます。旧暦の月の雅称や二十四節季と、実際の季節感がもっとも大きくずれて感じられる時候の一つが、この月ではないでしょうか。
しかし1月の20日の大寒からは、それにぴたりでしたね。狙い澄ましたように、極寒の寒波が日本列島をつつみ、以来、『世は冬将軍の天下』で、厚着をして暖房器具にへばりついても、寒い・寒いが口をついて出てきます。
雪に埋もれた庭の水仙はいまだに蕾が小さく、固そうです。蝋梅も、一輪・一輪と小さな花を咲かせては寒風と雪にうち震え、あげくは野鳥のついばまれるままになっています。蝋梅は可憐な花で、下向きに咲く黄色い花びらが蠟で出来たように見えるのですが、見事な花の連なりを見るのはいつの事でしょう。また、梅のように香立つといいます。我が家の小さな木、一本ではとても無理と思いつつも、それに期待し、春を待ちたいと思っています。
2月9日から平昌(ピヨンチャン)冬季オリンピックが始まります。1998年の長野以来、20年ぶりのアジアでの冬季オリンピックで、2020年、東京でのオリンピック開催を控え、関心が高まっています。時差がなく、その感動がリアルタイムに伝わることから、テレビ観戦にもことさら、力が入りそうです。
オリンピックは世界最大のスポーツの祭典であり、世界の人々の平和の祝祭です。38度線の近くでこのオリンピックが行われることの意味は格別と言えそうで、世界から集うアスリート達の心技体の息詰まる熱戦は、一層の感動をよび起こすことになるでしょう。
日本の選手団には、フィギヤースケート、スピードスケート競技や、ノルディック、ジャンプなどのスキー競技他の多くの氷上、雪上競技でメダルが期待されており、特に日本選手の金メダル獲得には、テレビを前にしたリビングも歓声に包まれそうですね。大いなる感動を期待したいと思っています。
さて、わが「12期の広場」2月号のラインアップは以下の二編です。 お楽しみ下さい。
| 1.「 シャンソン・ライブコンサート」 | 8組 榎本進明 |
| 2.「 第9回市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました。」 | 7組 張 志朗 |
2018年2月1日
昨年・2017年11月26日(日)に大石橋宏次夫人・美沙子さん(あい美沙子)のシャンソン・ライブコンサートが新宿御苑近くのChampagne(シャンパーニュ)で行われました。東京12期会から5組10人が参加しました。大石橋夫妻はもちろんのこと、泉夫妻、村崎夫妻、山田夫妻、西條夫妻、榎本夫妻の5組です。
このコンサートは毎年11月に行われますが、今回は「西條夫妻の金婚式」のお祝の会もコンサート終了後に計画されていました。小生と家内の二人は所用で参加できませんでした。
また、今回はマリBUNKOさんとの「コラボ・コンサート」でした。毎年3名でしたが、2名は初めてとのことです。今春にマリさんが、「あい美沙子さんのコンサート」を聴きに来られたときのお話で、意気投合されてこの企画にされたとお聞きしました。3人と比べて、歌う曲数やトークが増えて、歌はじっくりと、そしてトークは笑いも交えて、お二人の絶妙な掛け合いを聴けたのは幸運でした。ピアノはいつもの尾崎隆次さん。歌い手さんとの息はぴったりでした。
(写真は上段・左があいさん、右がBUNKOさん、下段・左は二人のトークショー、右は尾崎さん)




さらに、あい美沙子さんは「共演者のマリBUNKOさんとはシャンソンコンクールの会場で良くお目に掛かり10年くらい前からの知り合いでした。その内お互いのコンサートに応援に行く仲になり、ついには二人でのコンサートに至りました。BUNKOさんはシャンソンよりもファドをお得意とされている歌い手さんで、その歌唱力には定評があり、パワーもあり且つ聡明な素晴らしい女性と競演させていただけて思い出に残る今年のライブ・コンサートでした。(感謝)」としました。
村崎君もBUNKOさんのことを『やや野太い声でパンチの効いた歌唱が特徴で、個人的には、やはり「摩天楼」やアンコールで歌われた「アムステルダム」のように、感情を素直に力強く表現する曲がお似合いのようにお見受けしました。なお、一部(前半)で歌われた2曲のファド(ポルトガルの民族歌謡)は物憂く、切ない歌唱で、個人的に結構心を打つものがありました。』と感想を語ってくれました。
毎年のことながら、あい美紗子さんの歌唱は、豊かな表現力とビブラートを効かせた伸びのある声が特徴で、それぞれの曲に味わいがあり、深く心に響きました。特に彼女の曲への思いを込めたお話をお聞きしたとき、彼女は「私のモットーであります“自分らしさが伝えられたら”今年もそんな気持ちでステージに立たせていただきました。」と熱く・静かに、次のように語っていらっしゃいました。
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時は魔法ね・・・この歌は昔の彼と再会した時の淡い思い出の歌です。私は自分の思い出を少しお話しました。大阪の元彼と東京に嫁いだ後に偶然公園で出会った時(場所が悪かった?それぞれ男女トイレから出て来て、あ~~ら?どうしてここで逢ったのかしら?)その驚きの瞬間を思い出して歌っていました。
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哀しみのソレアード・・・この歌は今年金婚式をお迎えになられた西條ご夫妻にプレゼントさせて頂いた曲でした。歌のせりふの中で、
♪この広い世界の片隅でめぐりあい、愛し合い、そして別れてゆく二人でも、さよならの代わりに一言だけ言わせてください。「貴方に会えて私は幸せでした」と言う歌詞が私は大好きです。 -
慕情・・・2016年4月から9月末まで放送された倉本聰氏脚本のテレビドラマ“やすらぎの郷”のテーマ曲を中島みゆきさんが歌っておられます。ドラマの色々な名場面を思い出しながら聴いて頂きました。
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陛下お茶をどうぞ・・・この曲は陛下が2019年4月30日で生前退位なさることが決まりましたので、昨年に続き聴いて頂きました。天皇陛下のお人柄が忍ばれる後世に残したい一曲ですが、歌い納めが近くなって寂しいです。
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人生は過ぎ行く(La vie s'en va)・・・この曲は大阪弁に置き換えた新曲で、あい美沙子の独自の世界で歌わせて頂きました。最後のせりふ「行かんといて あんた」は、いつか来るであろう瞬間を想像すると思わず絶句してしまいそうになりました。
村崎君もさらに続けます。「今回のコンサートは、お二人の特徴が絶妙に組み合わせられていて、近年になくすばらしい公演であったと思います。 それぞれの歌唱の違い・特徴が、お互いに相手を引き立たせる(際立たせる)という、まさに絶妙なスペシャル・コラボ・コンサートでした」と。
(左の写真は前列左があい美沙子さん、右がマリBUNKOさん、中列が左から村崎夫人、西條夫人、泉夫人、山田夫人、榎本夫人、後列左から村崎、泉、西條、大石橋、山田、榎本)
コンサートが無事終わった後の「西條君の金婚式」に参加できなくて、心残りがあります。ここから先は昨年金婚式を迎えた自分自身を思い出された想像です。ご覧の写真のように筆者にも「ハグをせよ」とのご指示が皆様からあり、強要させられました。家内とハグをしたのは思い出されないほど昔のことでした。内心うれしかったです。「さすが同級生」と今では感謝しています。2017年は、我が家は大変な1年でしたので、特に感じ入るところがあります。
おめでとう西條君と令夫人。いつまでもお幸せにと祈っています。この後に続く方たちも「はずかしがらずに素敵なハグを」と期待して、本レポートを締めます。
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