12期の広場

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古荘さんの里帰り歓迎食事会


前列中央がカナダ在住の古荘さんです。


 カナダ在住の山本久美子(旧姓 古荘久美子)さんが、1年ぶりに日本に帰ってこられました。例年通り夏休みを利用しての里帰りです。8月15日の来日、9月5日の離日の予定、約3週間の日本滞在だそうですが、前半は新潟から日本海側を北上して青森へ、そして仙台までの東北地方の旅行をしたとの事です。その後、福岡に足を延ばして幼馴染との再会を果たし、8月31日、市岡の同窓生との食事会となりました。

 古荘さんとの食事会はすでに十数回続いています。昨年は京都の貴船での川床料理でしたが、あいにくの雨で床に出られず、座敷での食事会でした。「来年は神戸がどうだろうか」と言うことで、今年は三宮の豆腐料理の「梅の花」になりました。

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2014大阪府立市岡高等学校12期生同窓会のご案内

 12期の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 早いもので、母校、市岡高校を卒業して55年の歳月が経過してしまいました。この間、私達12期生は昭和60年の第一回同窓会開催以来、10回の同窓会を重ねて、今年、お約束どおり、11回目の同窓会を開催することになりました。

 思えば本当に長い歳月を皆さんと共に重ねてきたわけで、楽しいことや、嬉しいこと、つらいことや、苦しいことなど、数えきれない思い出が走馬灯のように脳裏を駆けめぐります。また「100人を越える同窓会が続くのは、12期は仲が良いのだ !! 」と喜んだおられた、大先輩で恩師の玉田先生を始め、同窓会幹事の中井君、門田さんほか、沢山の同窓生との別れがありました。近年では、体育の西田先生、8組の平野雅章君も。もしかしたら、むこうでも同期会が始まっているかもしれません。

 私たちに残された時間の限りがあるだけに、今のこの時を大切に、是非多くの同窓生のみなさんと集い、楽しく語り合い、旧交を温めるとともに明日への新しい元気にしたいと思っています。

 お世話になった恩師の先生方もお招きいたします。

 また前回同窓会での小野義雄君の宇宙の話とは異なり、生身の人間の再生医療に関して、辻紘一郎君の講演を予定しています。

 クラスメートをお誘いのうえ、多数の方々のご参加をお願い申し上げ、下記のとおり、ご案内いたします。


-記-

2014大阪府立市岡高等学校12期生同窓会
日 時 : 平成26年10月19日(日) 午後1時から受付、1時30分開会
会 場 : ホテル クライトン 新大阪 TEL  06-6885-1211
大阪市淀川区西中島2-13-32(地下鉄西中島南方駅、西へ徒歩5分)
会 費 : 一次会 6,500円 、二次会 1,500円
  以上
 

「12期の広場」 9月号のラインアップ

 9月です。普段なら「いまだ蜩(ヒグラシ)の声を聞かず」などと書き始めるのですが、かくもすさまじい天候の乱調、豪雨、土砂災害を目の当たりにすると、気持ちが落ち込みます。 被害に会われた方々の悲しみや、無念さに寄り添い、そしてまた各地の同窓生とそのご家族のご無事を祈らずには居られません。

 

 今月号の「12期の広場」は10月19日の同窓会に向けての記事が中心です。同窓会は今回が11回目です。

 私達が42~43歳の頃の第1回同窓会は皆さん働き盛りで、成熟した大人が瞬時に高校時代に舞い戻ったあの高揚をいまだに忘れることができません。還暦を目前にした第4回は共に第二の人生に向かう不安と期待がみなぎった同窓会でした。第9回は卒業50周年記念同窓会でした。母校の第62回卒業式に招待され、50名近い同窓生と共に62期生の旅立ちを見守りながら感激を新たにしました。酒井八郎君は卒業生への祝辞の中で「一番硬い物質のダイヤモンドを美しく輝かせるには、やはり一番硬いダイヤモンドで磨くしかないのです。それと同様に人は人によって磨かれるのです」との意味合いの言葉を送りました。それはそのまま記念同窓会へのメッセージ。九州、東北からの遠来の友を含めての記念同窓会は格別なものでした。

 筆者のつたない感慨を記せば、学友との再会と交感は実にドラマチックで、同窓であることの誇らしい気持ちは勿論のこと、そこから多くの励ましや元気を得た、の一言です。なにより、同窓生の近況報告は、自身の生活と想いが共鳴するばかりか、笑いと示唆に満ちあふれるものでした。

 先日も、学友からのメールがあり、近況報告をかねて、下の文章が添えられていました。

 
  当然、/ 雨には負け、風にも負け / 雪はもちろん夏の暑さはアウト
  それどころか晴れた日も直ぐよれよれになり / 欲はあっても金も力もなく、
  いつもくたびれてだれている / あらゆることを逃げ回り / 自分のことだけでふうふう言い
  嫌なことは目そらし耳塞ぎ / そして忘れようと努め、
  西も東も南も北も何があっても / 自分の命の間だけは、大事になるなと祈り
  何事にもおろおろもたれ歩き / 人から、でくの坊、役立たず、恩知らずと思われ
  何の覚悟も出来ず、何時の日かを待つ / そういうものになってしまった。
 

 同年代のある文筆家の文章に「いくら忙しくても会いたい人がいればそれが最優先」と言うのがありました。まさに言い得ての妙と腑に落ちます。

 10月19日の第11回目の同窓会には、全国から馳せ参じる多くの学友のなつかしい顔あることでしょう。それを思うとじんわりと胸が熱くなりますが、はたしてそれは筆者だけの感傷でしょうか。

 

 さて今月号のラインアップは以下の通りです。ご覧ください。

 
  1. 幹事会が開かれ同窓会案内状を発送しました。
  2. 観天望気と再生医療と私 」               8組  辻 紘一郎
  3. 12期同窓会に参加するにあたって 」         7組  上野 裕通
  4. 同窓会でのサプライズ 」                2組  山西 邦子(旧姓 西海)
 
以上

幹事会が開かれ、案内状を発送しました。

 8月24日午後2時から12期同窓会幹事会が開かれました。

 ここには代表幹事の酒井君をはじめ、幹事17名が参加し、今秋の同窓会開催の細目を協議決定して、案内状の発送を行いました。

 参加された幹事さんは1組、八島節子さん、2組、西浦昌子、山西邦子、藤田克子、峰松幸子の皆さん、3組、石井孝和君、4組、酒井八郎、原清明の両君と古藤知代子さん、5組、段中文子さん、6組、畠平雅男君、7組、上野裕通、張志朗の両君、8組は末廣訂、川村浩一、川副研治、塩野憲次君の各君でした。

 まず、同窓生に送る案内状の最終承認を行い、次に式次第を協議し、当日の作業分担について基本的な合意を確認しました。

 同窓会の本会司会は、男子は8組の川村浩一君、女子は4組の古藤知代子さん、二次会司会は4組の原清明君に一任とすることを再確認し、その後案内状の発送作業に入りました。

 幹事会に先立ち、午前11時から北村先生が保管されていた一年次の夏休みの宿題の『読書感想文』の整理を行い、それを案内状に同封(発送者数150人)する準備を行いました。

 発送作業は3時から始め終わったのが、5時過ぎでした。宛先の貼り付けやその確認、補足など、今回は少し手間取りましたが、無事、作業を完了して合計概ね280通を発送しました。

 今回は数えて11回目、皆さんが古希を越えて初めての同窓会で、加齢を考えても意義深い同窓会になりそうです。特に、『読書感想文』の同封や『12期生アルバムDVD』の案内など、案内状の発送自体にも喜んでもらえる内容があり、幹事の皆さんも「きっと喜んでもらえるで」と力が入ったようです。

 10月19日に元気に集えることを願いながら幹事会は終了しました。
 


幹事会での議事進行のようすです。

皆さん真剣?に議論しています。

おーい、彼の住所が間違ってるのとちがうか。

ようさんあってなかなか終われへん。

観天望気と再生医療と私

8組 辻 紘一郎
 この絵は2009年の6月に描いた<瀬戸内海>で、私の作品(油絵)です。瀬戸内海の島々と空を再生させたつもりです。まずは空と空気の話です。

 「観天望気」はそれぞれの国、地方、地域毎に違います。その地方の環境や気象の変化の特徴を踏まえた独自の気象観察方法で、雲・風・気温・光などの状況から、これまでの祖先(先輩達)の経験を基に天気の変化を予測するものです。その地方の自然と係りの深い職業の人達に取材を重ねると、気象庁に負けないピンポイントの予報が可能になります。

 広島と東京を往復する生活を14年。広島大学歯学部での2年間の準備の後、広島市内の「観天望気」が少しずつできるようになりました。そのおかげで、会社は順調に発展し、20人の研究員と苦楽を共にしています。資本金は2億6750万円ですが、12年目の株主総会(6月27日)では赤字を計上しました。

 社会保険制度の確認作業や将来の年金問題に眼をつむって、「生涯現役」、「生涯現役」と念仏のようにつぶやいています。「生涯現役」のためには、「観天望気」は必須です。毎日、明日の天気(状況)を予測しなければ、前進できません。

 日本中が団塊世代の定年退職で騒々しい折、団塊世代の人達が「生涯現役」の決心をして定年をパスしたらどうなるでしょう。日本のGDP(国民総生産)や少子化対策や社会保険や介護保険など大きな影響が想像されます。誰か政治家で、「生涯現役」運動を叫ぶ社会改革者は出てきませんかね?どこの組織にも、評論だけして行動しない人間はいる。彼らは、確かに失敗はしないが、協力者はない。逆に、行動し挑戦する人間は、誰かがその姿を見守り、困難にぶつかった時に助けになってくれる。

 私の起業から12年間の道のりは、難問の連続でした。しかし困難にぶつかる度に、誰かが手をさしのべて、不可能を可能に導いてもらった「観天望気」のおかげだと思っています。ピンポイントの次の予測は欠かせません。自ら困難に挑戦する事が、ビジネスの原点であると同時に、自分自身の人生を豊かなものにすると確信しています。

 広島では「秋の南風は3日降らず」が観天望気です。
 

 そこで、いよいよ話の本番の私の再生医療に移ります。私を取り巻く現実は、少子化がゆっくりと進み、超高齢化社会はどんどん進んでいます。この現実への対応ビジョンこそが、再生医療へのエネルギーです。

 私のビジョンは、①要介護ゼロ社会の実現    ②生涯現役主義の普及  であります。①の実現のためにはイノベーションの創出が必須です。下図に示した再生医療の細胞たちの姿は、私のイノベーションです。

 特に最下段の4つの細胞が重要で、私の10年間の研究開発は真ん中の2つに集約されています。1つは、再生した組織・臓器の移植――幹細胞からの再生――軟骨。


 もう1つは、細胞移植――幹細胞――脳梗塞 です。これらのイノベーションの面白さは今年の10月19日(日)でお話しします。さて、<要介護ゼロ社会の実現>は可能でしょうか?
 

 乞う!おたのしみ!

12期同窓会に参加するにあたって

7組  上野 裕通

 この秋、12期同窓会第11回目が開催される。市岡高等学校卒業25年目、私たちが43歳の時に、第1回が開催された。あれからもう、30年が過ぎている。

 この30年間で知ることになった物故者は38名。何故そんなに早く逝ってしまったのと惜しまれる人たちだ。同窓会の知らせを受けたときに、鬼籍に入られた方のご冥福を静かに祈っている。

 「何故同窓会に参加するの?」という素朴な質問を自分自身に投げかけて見る。1回目から10回目まで皆出席だが、懐かしさであの時の友はどうしているだろうかという思いで参加した初回の動機と今回参加しようとする動機には違いがある。

 私は、60歳で定年退職し、69歳まで半ば公的な組織で勤めてきた。仕事への熱意が自分の生きがいでもあった。その職を辞して後、待ち構えていたように自治会長の仕事がやってきた。お世話になった地域のために少しでも恩返しをしなければという思いでお受けした。

 今年で2期、4年目を迎えている。育児に悩む親子対策として「子育てサロン」を月2回、高齢者の「ふれあいサロン」を月1回実施して、地域住民のふれあいづくりの場としている。子ども広場や公園の草刈り・清掃を毎月実施し、親も子も、隣近所の人たちも共に汗を流す中で地域の親睦と協力の輪が広がり、少しだが喜びを感じている。

 しかし、古稀を過ぎ、体力の衰えを感じると、余命を意義あるように過ごすには何をしてゆくかと考えるようになった。今、「今回の同窓会で会える人たちはどのように暮らしておられるか」に関心が高まっている。会って近況を聞かせて頂ければありがたい。

 多くの友が元気な姿で参加されることを期待し、意義あるひとときを過ごせる幸せに浴したいと願っている。

同窓会でのサプライズ

1組  山西 邦子 (西海)

 前回の同窓会から早や2年、この秋、また皆さんとお会い出来るのですね。楽しみにしております。

 母を5年前に見送り、そして近くに住む孫の面倒をみていたのが成人して一段落。多少体のあちこちに不具合が出ていますが、元気に過ごしています。

 3年前、自宅の近所に予備校が出来たのをきっかけに、ささやかなお好み屋さんを始めました。永く事務用品や文房具を扱うお店をしていた経験があるとは言え、勝手の違いに戸惑ってばかりでしたが、それもなんとか慣れたようです。1日3時間程度、無理せず気楽に続けています。疲れることもありますが、なにもせずにいるよりは、体を動かして子供や若い予備校生に接していると思わぬ感激や気づきなどがあり、気持ちに張りがでるようで、楽しいものです。休みの多いお店で、いつまで続けられるかわかりませんが、これからも頑張ってみようと思っています。

 年に4~5回、旅行に出かけます。大体2泊3日の旅が多いのですが、メンバーは市岡卒業以来ずうっと付き合っている同窓生2人と港高校を卒業した幼馴染の女4人です。このグループの旅行はもう何年になるのか数え切れません。今年の春、千葉県、茨城県を旅しました。私にとってこのメンバーでの旅行は最高の楽しみ、最大の喜びです。よくも市岡に学んでそしてこの友に巡り合ったことだと、心から感謝しています。

 市岡を卒業して50数年がたつというのに、同窓会で懐かしいお顔に出会いますと、すぐに、打ち解け高校生だった頃に戻ります。その頃の話題や先生方や旧友の話に花が咲きますね。

 前回の同窓会では思いがけないサプライズがありました。北村先生が1年生の夏休みの宿題の読書感想文を保管されていて、出席者に返していただいたのです。まるで突然、タイムカプセルが開かれ、自分が書いた原稿用紙を手にするなんて思ってもみませんでした。

 「イヤァ、字が間違っているわぁー」、「幼稚な文章を書いていたんやねー」、「宿題に間に合わせるため、大急ぎで読んだのを思い出すわぁー」など、同窓会が終わった後も話題になりました。当日欠席された友人に話すと、「私も返してほしい」と北村先生に連絡して郵送して頂いたそうです。友人は『野菊の墓』、私は『女工哀史』を感想文に書きました。時代が感じられますね。

 今年、群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録され脚光を浴びているのを見ると、また本を読み返し、女4人訪れてみたいと思っています。北村先生が保管して頂いたことに感謝、感謝です。

 今回の同窓会も楽しみに元気で参加したいと思っております。

「12期の広場」 8月号のラインアップ

 8月です。梅雨が明けたその日、朝早くからの激しい蝉しぐれに驚いたのもつかの間に、ここ最近のうだる猛暑には逃げ場がありません。京都在住の友人から時間に合わせて部屋を移動し暑さをしのぐと聞いた事がありますが、我が家の実状からはそれも叶わず、冷房嫌いにもかかわらずクーラーの効いた部屋に掛け込みます。これから約1か月半位この状態が続くのだろうと思うと、正直うんざり。夏を楽しんだ時代が遠く懐かしい。
 そんな中、届いた柴崎友香さんの芥川賞受賞の知らせは、文字通り気分爽快のビッグニュース。「文藝春秋」を購読し、芥川賞受賞作品にそこそこの関心を持っていただけに我が事のような驚きと喜びが込み上げました。世に文学書は星の数ほど存在しますが、その中にあってこの栄えある賞を射止められたこと、なにをおいても心からお祝い申し上げます。
 それにしても4回目の候補作での受賞とは。以前の3回の候補作作者が市岡高校の卒業生であったことに気が付かなかったこと、また読んでいなかったことは全くの迂闊と反省しながら、あたふたと本屋さんめぐりをする自分に、笑ってしまいますね。
 7月25日、ごく普通の駅の書店で20冊程、平積みされた「春の庭」(今回の受賞作)を見つけ、やっとの思いで手にしました。一気に読みました。
 最近の受賞作のいくつかで、読み始めて途中で投げ出すことがありましたが、「春の庭」は最後までしっかり読み通しました。文章が簡潔で、ごく普通の日常がさりげなくそして淡々と描写されているなあというのが強い第一印象で、読みすすむに従い、自分の薄皮をはがされるような感慨にとらわれたのが不思議でした。また、一点を深く静かに見つめる作者の眼差しがすぐ傍にあるように感じながら、興味深く読みました。涼しい時間にすずしい場所であらためて読み直し、じっくりと味わいたいと思っています。
 「市岡高校のDNA」と言うと少し面映ゆい感じがします。しかし、願わくばそのDNAよろしく、柴崎友香さんの更なる飛翔に期待したいと思います。今月号に榎本進明君が書いてくれた東京市岡会の記事の中に、柴崎さんの写真があります。ご覧ください。
  1. 東京市岡会がありました」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 8組 榎本進明
  2. 『写真短信』-圓尾博一君の個展がありました  ・・・・・・  7組 張 志朗
  3. 『トピックス』- 高校野球大阪予選 母校野球部敗れる
 以上

東京市岡会がありました

8組 榎本進明

 平成26年7月12日(土)13:00から新宿三井ビル54階で開催されました。
開催に先立ち、9:00から15期近藤太一さん主催のミニツアーがあり参加しました。
今年は山手線・日暮里駅に集合してお寺巡りが主。おりしも東京ではひと月早い新盆の施餓鬼でお寺は賑わっていました。前日に台風8号が関東を通過して暑い一日となりました。

 昨年のミニツアーはNHK文化センターの見学で主に室内でしたが、今年は暑い中テクテク8キロを3時間歩き通しました。谷中~上野までこんなに見るところが多いのかと驚きました。正午にこのツアーを切り上げて新宿に急ぎました。同窓会場に着いた時は身も心も頭の中も疲れ果てて、立食パーティーでも立っておられず座りこんでしまった始末。しんどかったです。

最初は駅を出てすぐの長久山・本行寺。江戸幕末長崎伝習所提督永井尚志(ながいなおゆき)の墓碑がある。
江戸時代宝くじ発売所跡、護国山・天王寺大仏。全生庵は阿部首相座禅寺、山岡鉄舟のお墓がある。

宝くじ発売と関係あるのか不明だが納骨堂の黄金の観音様がまばゆかった。 山岡鉄舟は勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた人。維新後は剣術道場を開き、無刀流を創始。書家としてもすぐれた人であった。全生庵には三遊亭圓朝のお墓もあった。

三遊亭圓朝のお墓の前で。
谷中の土塀を見て歩くのも楽しい。
第十五代徳川慶喜候の墓(神道式)
余生を駿府で過ごし大正2年(1913年)77歳で没しました。
東叡山・寛永寺の両大師。寛永寺開山慈眼大師天海大僧正、第十八代天台座主慈恵大師良源大僧正をお祀りしている。

 オランダ一等軍医ボードワン博士の胸像とレリーフが上野恩賜公園にある。医学講師として1862年から1871年まで滞日した。かつてこの地は寛永寺境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学付属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに1873年日本初めての公園が誕生するに至った。

 12期生の圓尾博一君が毎年出展している東京都美術館をはじめとする美術館群や上野動物園を過ぎると東照宮があります。ひときわ目に着くのは日本に一つしかない金箔の唐門である。祭神は徳川家康・吉宗・慶喜です。灯篭はお化け灯篭と言われるほど大きく。五重塔は隣の動物園の敷地内に建っています。



 

 最後に上野と言えば西郷さんがやはり有名ですね。そして彰義隊とその墓。

 ここまで来ると疲れ果てて息も絶え絶えでした。それにしても近藤さんのスタミナには感心しました。元気のいい人を連れて不忍の池まで案内されていました。私はここでリタイアいたしました。上野駅から乗り換えなしの山手線で新宿の同窓会場に向かいました。


 新宿三井ビル54階の「新宿三井クラブ」が会場です。12:30に開場。13:00開始ですので間に合いました。受付を済ませてまず水を一杯いただき一息いれて開始を待ちました。

 東京市岡会は今回で第55回を迎えました。卒業50周年を迎えられた16期の方々が優待客です。開始早々校歌斉唱と挨拶が彼らの役目です。少ない人数で気の毒でしたが、17・18・19・20期の方々が応援してやり遂げました。

 会長は12期三浦孝文君のお兄さんでいらっしゃる8期三浦宏文さんです。ロボットで有名な学者さまです。経済産業省の「ロボット大賞」審査委員長をされていて今年も100個人・団体が最終選考に残り、そのうち10に絞って大賞を決めるようです。懸案は軍事に流用されるリスクを抱えているようですが、純粋に先端性と独創性で技術が優れているものが大賞をとることになるでしょうとおっしゃっていました。科学者は純粋なのだなと感じました。

 来賓のご挨拶や会員のお話が続き、あっという間にお開きの時間となりました。写真を撮る間もなく慌てて会長に入っていただき証拠写真を撮りました。また降りるときにエレベーター内で奇しくも「中藤くみさん」のお姉様で7期の「たみさん」にお会いして記念の一枚を撮りました。何かのご縁を感じました。疲れたにもかかわらず爽やかなフィナーレでした。

左より北浦副会長、中柴、佐藤同窓会会長、三浦会長、山田、榎本
エレベーターを降りてロビー階にて
中央女性が「たみさん」

追記;この原稿を仕上げているとき(7月18日)に44期柴崎友香さんが芥川賞を受賞されたというビッグニュースが入ってきました。我がことのようにうれしく舞い上がりました。発表が12日より前であれば祝賀会になりましたのにね。写真を載せなきゃと探したところ、出てきた貴重な1枚はピンボケでした。それで昨年(2013年8月号)の「12期の広場」の写真をあわせて掲載します。また、この機会に再度昨年の8月号をご覧ください。4人の作家の方々が載っていますので。

野球部の宇賀神監督を中心に撮った写真は残念ながらピンボケ。でも載せたかった1枚です。監督、柴崎さん、ごめんなさい。宇賀神監督は「今年の市岡のブロックは厳しい」でも「高校野球はやってみなければわからない」とおっしゃっていました。意気込みを感じました。期待をしています。柴崎さんは相変わらず静かでした。この方が金字塔を打ち立てたのでした。
昨年の東京市岡会では「週末カミング」を持参しました。年に2冊のペースで書いています。
大先輩のジェームス三木さんとのツーショット。今後のお二人のご活躍が大いに楽しみになりました。

「マルオヒロカズ 御伽草子展」がありました。

 圓尾博一君(3年6組)の個展、「マルオヒロカズ 御伽草子展」が7月15日から26日にかけて大阪市西区北堀江のガレリアセロで開かれました。

 今回は「生命に潜む精霊をたずねて、御伽草子を描いてきた集大成」としての個展で30号から100号の大作が中心でした。

 行ったのが25日の午後2時頃。気温35度前後の猛暑のまっただ中でしたが、1組の濱崎洋子さん、4組の古藤知代子さんと私(張志朗)の3人で1時間半位、たっぷりと『圓尾ワールド』を満喫しました。また齢70を越えてもなお、自然体でありながら強い創作意欲をみせる圓尾君に大感激でした。

 絵画を写真でお見せするのは難しく、またカメラ操作に不慣れで申し訳ありませんが、中心作品の9点を掲載しますのでお楽しみ下さい。

 入ってすぐに「玄牝」と題した100号の油彩作品が展示されていました。以前、圓尾君が「12期の広場」に投稿してくれた文章の中にこの作品について触れている部分があります。それを以下に再掲載します。

 「最近、奈良の女性映画監督の作った「玄牝」(ゲンピン)という映画をみた。妊娠した女性の自然分娩に取りくむ老医師と施設の物語で、女性の分娩シ-ンがまざまざと映される。私など妻の出産にも立ち会っていない者にとっては、ど肝をぬかれてしまう。しかし何と神々しい。この映画の最後のテロップに「谷神死せず、これを玄牝という」と老子の詩が映される。私も5年前「玄牝」という題で作品を発表した。私の作品よりはるかにすぐれて奥深い作品であるが、この女性監督のテ-マに私は強いシンパシ-を感じる。

 生命を疎かにする最近の風潮の中で、生命という宇宙的根元の意味をみる人に少しでも伝えたい。そういう気持ちでこれからも作品づくりをするつもりです。」
 


玄牝

誕生

善財童子

一寸法師

浦島

金太郎

牛若

てんぐときつね

フライングボーイ