12期の広場
2014年5月1日
プロ野球では広島カープが予想を越える大躍進。阪神タイガ-スも負けじと頑張っていますが、遠い昔、広島市内に住み初優勝したその日に『便乗ドンチャン騒ぎ』をした思い出があるせいか、柄にもなく野球中継に見入ってしまいます。名前も顔も良く知らないル-キ-が球団を問わずに大活躍していますね。そのういういしく溌剌とした姿が新鮮でやたらにまぶしく見えます。やはり齢のせいなのでしょう。ゴールデンウィ-クも老体に鞭打って家の力仕事や雑事をかたづける予定が一杯。さてどれだけやれるか。何事も予定通りには進まず、先送りの先送りが常の今日この頃です。
今月号の記事にありますように今秋の同窓会の日時ほかの要項が決まりました。再び全国から馳せ参じてくれる友と再会できます。先月生物の小椋先生から『市岡高校12期生アルバム』(先生ご自身が作成されたもの)なるDVDを頂いたのですが、その中に2年次3年次の名前入りの学級写真がありました。名前と顔が一致するとそこからすっかり忘れていた別の物語が甦ります。今回の同窓会ではこのDVDを配布する予定で、懇親会は一層、盛り上がりそうです。
また本会の同窓懇親会、特別講演と二次会、これから先、あと何回出来るかなどと考えると、ことさらに思い入れが倍加、心が浮き立ちます。
特別講演をしてくれる辻紘一郎君は広島大学の学内ベンチャ-であったツーセルを率いる社長で、『12期の広場』3月号に出色のエッセイを投稿してくれました。今脚光を浴び続けている分子生物学や再生医療一筋に走り続けて来た学友からどんな話が聞けるか、これもまた興味津々です。
健康に留意し体調を整え、10月19日の日曜日に元気に集いたいと思っています。
さて今月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
- 「12期同窓会の開催日が決まりました。」 4組 酒井 八郎
- 「西表島トレッキング」 5組 泉 信也
- 「市岡の森でお花見」
2014年5月1日
代表幹事 酒井 八郎
北海道の黒田君、お元気ですか?九州の文屋さん、おかわりございませんか。そして全国の同期生の皆様いかがお過ごしでしょうか。
4月13日(日曜日)舞洲市岡の森でのお花見会の後、2年に一度の12期同窓会の開催を議題に第1回幹事会を開きました。ここには幹事さん13名が参加、1時間半におよぶ熱心な議論を経て、下記の要項を決定いたしました。ここにご報告申し上げます。
日 時 : | 平成26年10月19日 (日曜日) 午後1時 開会 |
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会 場 : | ホテルクライトン新大阪 2階 大宴会場 大阪市淀川区西中島2-13-32 TEL 06-6885-1211 |
会 費 : | 本会 ¥6,000- 二次会 ¥2,000- |
主内容: | 1) 同窓生懇親会 2) 特別講演 「再生医療と私」 辻 紘一郎 君 (8組) 3) その他 (企画立案中) 4) 二次会 (同会場でカラオケ他) |
同窓会の正式案内状は8月下旬に発送いたします。一人でも多くの同窓生が、一回でも多く、友と心ゆくまでお話ができますよう、誘い合って、たくさんの方々がご参加下さいますよう、お願い申しあげます。
もちろん、恩師の先生方もいつものようにお元気なお姿でご臨席賜りますようお願いするつもりで計画しておりますので、皆様からのお声がけも、よろしくお願いいたします。
受付ホ-ルでの握手に力が入ります。
-2012年10月- |
恩師を囲んでの集合写真の撮影
-2012年10月- |
2014年5月1日
4月13日(日曜日)午前11時から、お花見(此花市岡会主催)が舞洲の市岡の森で開かれました。これは毎年、4月の第二日曜日と定められた恒例行事で、今年も旧制中学校の大先輩をはじめ、恩師の先生方、同窓会の皆さん、吹奏楽部の在校生など市岡ゆかりの皆さん百数十名が集まりました。
天候はあいにくの下り坂で、曇天。気温も低めで、文字通りの「花冷え」でした。しかし12期を含めて同窓会の各期が記念植樹した多くの桜は今年も健在。ここを訪ねるのは一年ぶりです。今年は3月の気温が低かったので遅咲きの満開を期待したのですが、4月に入ってからの気温が一気に上がったせいか、散り始めていました。それでも木々はピンク一色、ハラハラと散る花の下で宴を楽しみました。
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2014年5月1日
市岡時代の仲間とは川歩きを、大学時代の仲間とは山歩きを楽しんでいる。
3月は沖縄の海開きを待って、八重山諸島に出かけた。ねらいは海ではなく、沖縄県の最高峰の茂登岳(526m、石垣島)登山、と西表島のジャングルの縦走。
本土には無い独特の自然と風物を楽しもうということである。
八重山諸島は日本の最南端にあり、唯一の熱帯雨林気候帯に属している。その中で石垣島は平地が多いので古くから開発が進み、飛行場もあって八重山の中心として賑わっている。西表島は石垣より大きい島だが、平地が少なく亜熱帯自然林に覆われ、川には多くの滝が懸かっている。観光が主産業だ。
両島とも生物相は豊かでイリオモテヤマネコに代表される固有種もたくさん知られている。また石西礁湖と呼ばれる多彩なサンゴ礁も魅力である。
ジャングルトレッキングは西表島の最長河川、浦内側(19km)の河口からマングローブの林をクルーズ船で遡上して始まる。あたりにはヒルギの呼吸根がひしめき、サキシマスオウが大きな板根を張りだして、亜熱帯照葉樹林の真っ只中を進む。軽装の観光客のなかで、重いザックに山靴のいでたちは浮いている。
軍艦岩で下船して歩きはじめるとほどなく、二段の大きなマリウドの滝を見下ろす展望台、さらに進んでカンピレーの滝。岩畳を浅い流れが洗う滑滝で、水遊びを楽しむ人もいるが観光はここまで。
足首や襟元にヒルとハブの対策をして、いよいよ山道に取りつく。足元は細く滑りやすいが、道標は島の南端の大富登山口までしっかり整備されていて迷う心配はなさそうだ。樹相はシイ・カシ・ヤシの類、スオウ、木性シダ、クワズイモ等が密生。さらに着生のオオタニワタリや蔓性植物が絡みつき、見通しのきかない山道は、風が通らずサウナの中を歩いているようだ。転石には苔がつき、粘土質の道は油断するとすぐ転ぶ。川の流れは緩いが、淵が多いために高捲く個所も多く、重荷を背負ってのアップダウンのくり返しは苦しい。手ごわいトレッキングになりそうだ。
続きを読む2014年4月1日
あばれまくったような冬将軍も東大寺のお水取りにお彼岸、そして選抜高校野球の開催など、時の移ろいにはなすすべがなく退場、今日から待ちに待った春、4月です。
高知の桜は満開。大阪市内より2~3度気温が低い私の住むニュータウンでも春色はそこかしこで見つけられます。岡山の二人の孫は4月から小学校、中学校の新一年生で、下の孫は一生懸命にランドセルを背負う練習をしているそうです。
4月とはいえまだ寒い日もありそうですが、春爛漫はもう目の前です。
今月は消費税8%がスタートする月でもありますね。
世間では消費税5%での駆け込み需要が騒がれました。身近な所で言えば、しっかりした隣家は屋根にソーラーパネルを取り付けましたが、私は高額商品を買う気も財力もないままにただ漠然とした不安を感じて傍観しているというのが正直な所です。
3月の大阪市長選挙も盛り上がりに欠けたまま橋本市長の再選という結果に終わったようです。
こう書いていくとなんだか気持ちが暗くなるようですが、やはり4月は桜。関西の桜は昨年に比べ少し遅いようですが、言葉を失うほど見事な桜にまためぐり会いたいと思っています。徳秀園(茨木市)の桜、万博記念公園(吹田市)の桜、背割り(京都八幡市)の桜など我が12期生とともに見た桜は、いまも脳裏に鮮やか、実に秀逸でした。噂に聞く海津大崎(琵琶湖・湖北)の桜、榛原の又兵衛桜に千年桜など、是非見ておきたいと思う桜がたくさんあります。
この4月13日(日曜日)は舞洲の「市岡の森」で市岡一色のお花見です。存分に楽しみたいと思っていますが、そこに村木君の姿はもうありません。喪失感がじんわり、ボディーブロウのように効いてきます。合掌。
さて「12期の広場」4月号のラインアップです。秋田 実君の文章が初登場です。ご覧ください。
- 「凡さんが逝った」 山田 正敏
- 「私の家庭菜園だより」 秋田 実
- 「豚汁会」「圓尾君の個展」の報告
2014年4月1日
永い闘病生活だった。
小生が凡さん(村木 雅章)と初めて会ったのは、56年前にもなる。高校1年夏の小豆島臨海以来で新聞部に属していた彼は、酒井八郎、松田修蔵 等と来ており、小生はどういうわけか彼らと気が合い、楽しく遊んだのが最初である。その後、プライベートでも新聞部の旅行に必ず誘ってもらい、毎年夏には一泊で若狭小浜や和歌山の友ヶ島に行ったり又、凡さんの松阪の実家に行き、近くの小川で、水遊びをした思い出がある。十代から大学を出るまでの青春の思い出である。
それはそうと、凡さんのニュックネームの由来であるが、酒井の話によると、凡さんの元々の名前は「平野雅章」で、当時「平野凡太郎」という喜劇役者がいてその「凡」をとり、凡さんというようになったとの事である。又、平野から村木になったのは御尊父が亡くなり奥方の実家 村木家を継ぐため養子になった為である。
彼の飄々とした風貌にぴったりのニュックネームではないか。
それぞれ勤めを持つようになってから会う回数は減ったが、小生が大阪に戻ったときなど、神戸の酒井の家に凡さんを呼び、張も加わり食事をしたり、泊めてもらったりして近況報告や学生時代の話に花を咲かせたものである。
8年前に大腸癌、6年前に肝臓癌、それから首に皮膚癌、その後肺に転移。その段階で医者の診察によるとレントゲン撮影では肺が真っ白で治療の仕様が無いとの事であった。4年前の事になる。治療に関しては、入院を断り、抗癌剤等の辛い治療を拒否し、通常通り毎晩のように夜9時頃になると近くのスナックに行き、ビールにチュウハイそしてカラオケを楽しんで帰宅。 しかし、2年前だったか、レントゲンで写っていた癌の影が消えた為、医者が不思議がり、彼の日常の生活を1から10まで報告を求められたと云う経緯があり、笑いながら自慢げに話してくれたのを思い出す。 細君 正子さんは20年前に肝臓癌で逝去されているが、自分の亡き後自分の子供達(3人のお嬢さんがいてそれぞれ結婚されている)の今後の生活の事も考えた人生設計もしていた。 |
![]() 卒業50周年記念同窓会時の凡さん
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それは、何時からか、松阪駅に近い場所に十数戸の戸建ての賃貸住宅を建設、経営していたのである。いつだったか、小生が90才まで生きたいと思っているというと、彼は77歳まで生きられればいいんだと云った事がある。その時はその訳を云わなかったが、77歳でその賃貸住宅建設費のローンの返済が終わると言う事であった。
昨年12月の中頃、電話を掛けて来た時の話である。「あくせく働いて借金を返済し続けて、77歳でこの世にハイさよならではつまらんとヤット気がついた。せめて1年でも半年でも、返済の済んだ賃貸収入で豪勢に遊んでみたい。」と苦しそうに咳をしながらも笑いながら言っていた。
そして2月17日朝に電話があり「とうとう身体が思うように動かんようになった。退屈で退屈で仕方が無いのでお前やいろんな人に電話している。」と さしたる話題ではなかったが、その時彼の死期を感じた。
それから10時間後の18時に息を引き取ったとの事である。 8年に及ぶ「癌」との闘いに堂々と対処した彼の生き様に敬意を表し・・・アーメン。
葬儀はなぜかキリスト教でする事に自分で4年前に決めていたという。参列者は100名以上とみうけられた。
2014年4月1日

市岡高12期生の皆様、昭和35年卒業以来、54年過ぎ、同窓生の皆様に初めて便りを出させていただきます。
これまで同窓会の行事に参加したことがなかったので、卒後の足取りをごく簡単に述べることとします。卒後1年は民間会社に就職、その後,「農」に興味を持ち、4年間は大阪府大農学科に籍を置き、農業土木専攻で卒業、そして兵庫県に技術職として奉職、土地改良一筋に、神戸市をはじめ、県下各地域の職場で37年間働き、定年退職後の第2の人生は、総合建設コンサルタント会社に就職、12年間を技術顧問として勤務し、昨年10月末で退社しました。現在は第3の人生(年金生活)を歩み、昭和44以来の加古川市に住居を構え、長男夫婦と同居、また、次男夫婦も、至近距離に家を構え、2人息子の孫が3人いるといった生活環境です。表題の家庭菜園は、県職時代に、地元農家の農地整備(田んぼの区画整理)工事を担当した関わりで、休耕農地の活用依頼を受けたことがきっかけでした。
![]() 一区画 800㎡ 5人が利用する菜園全景
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すぐさま、県職員の仲間に呼びかけ、近隣に住む5人が1筆 800㎡区画のほ場を菜園として利用することになりましたが、今では、更に1筆1000㎡を提供され、私を含め、県職OBが7人と現職5名の計12名が一人当たり100㎡から350㎡の規模で、野菜作りを楽しく営んでいます。 |
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2014年4月1日
3月2日(日曜日)お昼12時から母校同窓会の恒例行事である「豚汁会」が100周年記念会館で開かれました。
「豚汁会」は明治37年に校友会の事業として、年一回厳冬の頃を選んで教職員と生徒が共に豚汁を食したのが始まりだそうです。当日のことを書きしるした「100周年記念史」には以下のようあります。「今日はお采は要らぬというわけで御飯だけを持って登校する。・・・お代わりは自由で・・・二杯目からは豚肉の発見はアラスカの金鉱発見より困難といわれた。」
この豚汁会は大正7年、物価高騰のためにやむなく廃止。それ以後、昭和の初めに同窓会主催で一時復活、そしてまた中断。その後に玉田先生や諸先輩の発案もあって現在のような形で再開されたそうです。まさに伝統の行事です。
この日も、旧制中学校の大先輩をはじめ100名近い方々が参加されました。定刻の12時、佐藤同窓会会長の挨拶、乾杯につづいて豚汁会が始まりました。
まずは食堂関係者が心を込めて作ってくれた豚汁を食してから、宴がスタート。各テーブルは旧制中学、新制高校卒業生が入り混じり、楽しく賑やかな歓談でおおいに盛り上がっていました。会の終盤で参加者のショートスピーチがありました。自己紹介にとどめる方や3分間の制限時間を大幅に越える方がおられるなど、爆笑と喝采につつまれ、と同時に大先輩の意気軒昂さに圧倒されての2時間余りでした。
12期の参加者は上野裕通、川村浩一、岸川常正、酒井八郎、塩野憲次、武田博、田端建機、張志朗の各君9名に来阪中であった東京在住の山田正敏君を加えての10名でした。
同期生の皆さんはご覧のようにいたって元気、ひさかた振りの再会で、健康や日頃の生活ぶりなどの話がとぎれることがありませんでした。
会では平成26年度母校新入生の報告がありました。新入生は320名、なんと男女の比率が完全な女子優位で、男子116名、女子204名だそうです。大先輩から「おいおい野球部の新入部員数は確保できるのか」との声がでました。
また「過去4年間の主大学などへの合格者数」資料を頂きました。これによると昨年4月1日判明分で国公立大学合格者が現役・浪人を含めて47名、関関同立合格者が現役・浪人含めて256名でした。一昨年に比べると概ね増加傾向だそうです。豚汁会参加者からは一層の奮闘が必要との率直な声が聴かれました。
会の終了時に吹奏楽部OB・OGバンドの演奏があり、その伴奏で校歌を合唱してお開きとなりました。
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2014年3月1日
凍み大根干し 榎本進明君撮影
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- ローリングストーンズと再生医療と私 8組 辻 紘一郎
- 『写真短信』 二週連続の大雪 8組 榎本 進明
- 3月の修学旅行 (卒業アルバムから)
- 『舞州市岡の森のお花見でお会いしましょう。』
2014年3月1日
昨年の梅雨の最中、ボストン(米国)でのローリングストーンズのコンサートに行った。写真の左側が主役のミック・ジャガー。右側が相棒のギタリストのリース・リチャーズである。3万人を集めた会場は演奏2時間前から興奮の坩堝。開演すると同時にジャンプし、歌い、叫ぶ姿はまさに、ロックンロール。主役のミック・ジャガーは1943年イングランド生まれの70歳1962年から現在まで52年間、スターとして君臨している。
ローリングストーンズのミック・ジャガーこそスターである。あの迫力、あの声、あの汗、あの皺、あの体形。見習わなければならないあの反骨精神。同じ時代に活躍したビートルズが数多くの名曲を残しながら、コンサート活動では圧倒的にローリングストーンズの勝ちである。
このコンサートを見る動機は再生医療にある。毎年、6月にISSCR(国際幹細胞学会)が世界の各地で開催され、昨年はボストンであった。思い出すと、第1回は2003年のワシントンDCであった。その後、ボストン、サンフランシスコ、トロント(カナダ)、ケアンズ(オーストラリア)、フィラデルフィア、バルセロナ、サンフランシスコ、トロント、横浜(第10回)、そして今回の第11回ボストンとなった。全11回のすべてに出席した私。そのプレゼントが今回のローリングストーンのコンサートと日程が一致したことである。
ミック・ジャガーやキース・リチャーズの現役続行中の姿を見て、再生医療の実現に苦悩する自分を重ねて、中断することはできない。二人のように皺を年輪にして、舞台で元気一杯、ハーモニカを吹き、ギターを弾き、ロックするごとく、難病に効く幹細胞を開発して、製造許可・承認をとり、患者さんたちに届けるぞとの思いを強く固める、昨日、今日です。
18年前に癌が見つかり、緊急手術して、この世に戻った私が、無事、定年を越えて広島大学で会社を起こし、10年を経て、20人の研究スタッフと再生医療製品の開発に挑戦できることは夢のようです。国際幹細胞学会(ISSCR)は、今年(2014年)はトロント、2015年(第13回)はストックホルム(スウェーデン)です。
何とかもう一度、元気なローリングストーンに会うためにも、この学会には参加・発表を続けるつもりです。ミック・ジャガーとキース・リチャーズの友情の反骨精神に敬意を表して、今年の2月、3月に8年ぶりに日本にやって来て日本のファンを熱狂させること間違いなしのミック・ジャガーとキース・リチャーズに敬意を表して、私のローリングストーンズコンサート(ボストン2013・6.12)報告と再生医療に20年を費やした私と再生医療への挑戦の序章とします。
次回の投稿は夏頃になるそうです。また辻紘一郎君が勤務する会社のホームページがあります。「株式会社 ツーセル」で検索、是非ご覧下さい。
- 「市岡高校18期生同窓会」について
川端一平さんより: - 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
吉川初恵さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: