同期会

『趣味のギャラリー』―「陶芸のこと (2)」

8組   山田 正敏
 
 今回はわが陶芸クラブの詳細を紹介する。
「クラブの組織」
部長 (1名)
会計 (1名)
会計監査 :1名
業務 責任者(1名)、担当者(2名)
 A班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務幹事(1名)
H18年:(たこ)唐草(からくさ)(もん)象嵌(ぞうがん)土瓶と湯呑
 B班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務
              幹事(1名)
 C班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務
              幹事(1名)
 D班(新人研修班)・・・責任者:講師、補佐:副講師(2名)
   ( D班は1年のみにて、2年目以後はA、B、C班のいずれかに配属。)
「釉薬管理」: 釉薬の作成及び作業日に於ける釉薬の撹拌。
     統括責任者・・・1名
     A班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
     B班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
     C班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
「窯当番」: 素焼、本焼時に於ける作品の窯詰及び焼成管理。
      4班編成にて、それぞれ責任者:1名、担当者:3名。
      窯出は当日の作業班が全員で作業する。
「講師・指導援助体制」
 講師 : (1名)、 副講師  :  1~2名 
           指導援助 : 2~3名
「作業日」
  • A、B、C班はそれぞれ月2回、年24回のロクロ及び手びねりによる自主研修。
  • D班は第2、第4の土曜日に於ける月2回、年24回の講師による研修。
  • 講師・副講師によるロクロ研修は、陶芸クラブ専用で使用できる釉薬室を使用して、第1、3週の木曜日は講師の担当で、第2、4週の木曜日は副講師が担当して研修している。いずれも月2回、年24回である。
  • 各班の作業日以外の釉薬室使用による、6台のロクロ使用による自主研修については、希望者による6人を抽選によって選定している。 作業時間は陶芸クラブ全て9時半~15時迄で終わるようにしている。
「作陶」
  クラブで扱っている粘土は、「半磁土」「白土」「赤土」の三種類で、業者から一括購入して、原価でクラブ員に販売(1kg150円)。他の粘土の使用に関しては、自前で購入して使用しても可。
 さて、作品造りであるが、方法として、大きくは 「ロクロ成形」と「手びねり成形」がある。(その他、粘土をドロドロにして、型に入れて造る、「鋳込み」があるが説明を省く)ロクロ成形は電動ロクロを廻しながら、水ですべりを良くし目的の形に成形する。
 H19年:鉄釉(てつゆう)(つぼ) 高さ:30cm
             直径:16cm
 そして、壷とか、皿とか大きな器のような作品一ヶを作る場合に、必要な量の粘土で作る “一個引き“ と、茶碗とか湯呑、徳利、ぐい呑みのような小さな作品を数多く作る場合は、3Kg前後の粘土をロクロに設置、上から順番に作品作成に応じた量を判断しながら成形。その都度、タコイトを40センチほどに切った、シッピキという糸を使い切り離していく “数引き” とがある。
 手びねりの場合は、粘土を紐状にして積重ねていくので、丸くない歪な物や、超大物にむいているが製作に時間が掛かる。そして紐状粘土の接着部分を良く均して、必要な水分を使い平にする事と、その部分の接着に気をつけて、乾燥時にヒビが行かないように注意する事が大事である。又、乾燥の段階でどうしても歪が出たりするが、その為、緻密な乾燥管理が必要である。そしてその後、作品の大きさにもよるが、大体1~3日後、ある程度乾いてから底の“高台”を削って成形が完了する。
「素焼」
 成形完了後、大きさにもよるが、3~7日して完全乾燥後 素焼(月1回・年12回)となる。素焼は本焼と同じ電気窯を使用、最高温度750℃、焼成時間8時間。
土が石になり元には戻らない。焼成日は通常土曜日。窯出は3日後の火曜日。
「釉掛」 
 素焼完了後、各自、備え付けの釉薬(12種類ある)を掛けて本焼(月2回・年24回)となる。釉薬掛けは、自前で購入した釉薬を使用しても良い。
 釉掛は、直接、作品を釉薬容器に浸す「ズブ掛」と、柄杓などで「流し掛け」する方法と、霧吹を使う「吹き付け」等の方法があるが、全体として、いかに釉薬を均等に所定の厚さに掛けるかが、最大のポイントである。
「本焼」
 通常、素焼1回に付き、本焼は2回予定している。素焼は重ねて焼く事が出来るが、釉薬を掛けた本焼の場合はそれが出来ない。焼成日は素焼と同じく土曜日。窯出は3日後の火曜日。本焼温度は最高1240℃。本焼時間は15時間30分。酸化焼成である。
 本焼の窯出日は、その日の作業日の班員だけでなく、他班のメンバーも出てくる。クラブ員、全てが楽しみにしている最大のイベントでもある。
 小生、初心者の頃、出来上がった作品を手にとって見て、感じたことは、作品の寸法があまりにも小さくなっていることである。それは、収縮率の関係で、生の粘土から乾燥して約7%、本焼後にさらに約7%、トータルで寸法は約85%になると言う事で、これが粘土の最大の特徴であり、欠点でもあると言えよう。今後はその事を頭に入れながら、作陶時に寸法を決めなければならない。
 クラブに入って1年目だったか、自分の晩酌用の「ぐい呑み」を造るつもりが、出来上がって見るとあまりにも小さく、結局 ぐい呑みとして使うのは諦め、“楊枝入れ” として今も使っている。
 さて、本焼後の窯出が済み、各自、自分の作品を手にして良く出来た人、そうでない人、悲喜こもごもである。そうでない人からは、よくその原因を小生に訊ねられるが、その答えは難しい。成形段階でいかに丁寧に仕上たかどうか、釉掛で手際良く、釉薬を均等に掛けたかどうか。いつもその場に居合わせている訳ではないので答えに窮する事が多い。
 又、いい加減で、雑に造る人の作品が、本焼窯出後、たまに、素晴らしい出来の場合がある。これが陶芸というものかもしれない。
H19年:黒釉(くろゆう)白流(しろなが)し徳利と
ぐい呑み
「個人の必要経費」
 個人の必要経費としては、当初の入会金5,000円 、 道具代4,000円~5,000円、年会費14,000円 、粘土代はそれぞれ造る作品の種類、作品数によって違うが、茶碗一個造るのに要する粘土の量を、約350gとすると、0.35Kg×150円=52.5円 程度。 (釉薬作成、素焼、本焼経費は全て年会費に含まれている。電気代は市の負担。)
「作品展」
 年1回、10月頃「福祉センター」文化祭が2日間あり、他のクラブの作品展や、催し物があるが、陶芸クラブも協力して文化祭に花を添えている。
 他に、大体10月~12月に1週間の予定で他の施設を利用して作品展を開催するが、強制的に全員に1人3点出展のノルマが与えられる。
 これがクラブのメンバーの最大のプレッシャーになるらしく、2~3ヶ月前から、日頃怠けている人も必死に作陶に取り組む。しかし、これは高齢者達にとって生き生きしていると感じられる数ヶ月である。
「講師としての小生の役目」であるが、大まかには下記の通りである。
  • 全般的には手びねり、ロクロによる作陶及び釉掛の指導。
  • D班(新入会員)の1年間の「手びねり」による技術研修を副講師と共に、月2回(年24回)おこなう。
  • 入部2年目以降で希望者による1年毎のロクロ研修班(1班6名で2班ある)を副講師と1班ずつ受け持ち、月2回(年24回)基礎から指導。
  • 焼成後、良く出来上がった作品の選別・講評。
  • 1年間の全作業・行事の年間スケジュールの作成等々である。
 
最後に : この我等の陶芸クラブがこれほど充実し、発展してこられたのは、37年前(1979年)。
創部に努力され、その発展に尽力された先輩諸氏のお陰であり、それに協力賜った「船橋市役所 高齢者福祉課」のご理解のお陰である。

(次号につづく)

 H23年:和紙(わし)(ぞめ)螺旋(らせん)(もん)(つぼ)
高さ:30cm 直径:20cm

H21年:白釉瑠(しろゆうる)璃流(りなが
浅鉢セット(大小)




 H20年:和紙(緑釉(りょくゆう)片口(かたくち)(はち()
直径:18cm
H21年:黒釉(くろゆう)白流(しろなが(し抹茶茶碗

「12期の広場 」4月号のラインアップ

 4月です。いよいよ春本番です。
 今月号の上原さんの絵手紙も「蓮華草の花と蝶々」で、そこに「春が来た、野にも山にも、心にも」とあります。長くわすれていた唱歌『春が来た』そのものずばりです。嬉しくなって思わず口ずさんでしまいますね。蝶々は「もん黄蝶」、蓮華草は「亡き母と摘み草に行った時の思い出の花」だそうです。
 桜前線も北上中です。薄紅いろの桜が時とともに日本列島を染め上げる様子は、想像するだけですが、美しさをこえて壮麗でさえあり、それに寄せる人々の想いもそれぞれに格別なものであることでしょう。
 関西の同窓生は10日(日曜日)、『市岡の森』がある舞洲での「此花市岡会のお花見」に集います。この数日の冷え込みのせいで満開の時期がずれて、今年は爛漫の桜が楽しめそうと期待しています。また花見の後、同窓会幹事会が開かれ、10月16日(日曜日)に予定されている12期同窓会の具体的な準備が始まります。
 
 『 いのちふたつの 中に咲きたる さくらかな 』
        ( 『のざらし紀行』:松尾芭蕉 )
 
 現代国語を教えて頂いた田中順三先生が、この句を何回か前の同窓会の御挨拶で引用されました。この句は芭蕉が同郷(伊賀上野)の旧友で弟子でもある服部土芳と、滋賀県の水口宿で20年振りの再会を果したときに詠んだものです。田中先生はこの句を通して、同窓会に集う私たちの縁の奥深さとその得難さについてお話しされたように記憶しています。
 今年、私たちの多くは『後期高齢者』に仲間入りしますが、齢をかさねるごとに元気に学友と再会できる喜びは大きくなります。幹事一同、この桜に思いを寄せて、今秋の同窓会に一人でも多くの学友が集えるようにしっかり準備したいと考えています。
 
 さてわが「12期の広場」今月号のラインアップは、次の通りです。
 母校の伝統的恒例行事である「豚汁会」について末廣訂君がその報告と感想を書いてくれました。次に今月号から『趣味のギャラリー』のコラムを設け、その第1弾として山田正敏君の「陶芸について」を連載致します。『趣味のギャラリー』は絵、書、写真、手芸、俳句などなど、皆さんの趣味を紹介する欄にしたいと考えています。幅広い投稿をお待ちいたします。
 お楽しみ下さい。
 
1.  「久しぶりに豚汁会に参加して」              8組  末廣 訂
2.  『趣味のギャラリー』-「陶芸について ①」       8組  山田 正敏
以 上

『豚汁会』に久しぶりに参加して

8組  末廣 訂
 
 3月6日の日曜日、久しぶりに「豚汁会」に参加しようと心と体の準備をした。
 というのは、昨年の春に2回目の脊柱管狭窄症の手術をし、また8月末に左肩の腱板断裂で手術をして、3週間入院した。ところが9月に退院したものの、肩に固定ギブスがあり、不自由な毎日が1カ月ほど続き歩行が困難になってしまった。
左奥二人目が川村君です。
 その間、あらゆる治療をするも、回復のきざしなく年が開けてしまい、最近やっと杖をついて歩けるところまできた。
 数年ぶりの豚汁会、久しぶりに地下鉄弁天町に降りたが、出口をどう間違えたのか市岡への道筋がわからず足が痛いのでタクシーに乗った。ところが運転手曰く「市岡高校という名前は初めて聞く学校や」と途中車を止めて、大きな地図を出し調べ始めたのには大変驚いた。
 幸い5分前に会場につき、受付名簿を見ると、いつもと違って参加者が少なく30余名でしかも旧制中学OBは1名の参加しかなく、寂しい感じがした。
左から古藤さん、上野君、酒井君、
武田君です。
 我が12期生はそのうち女性1人を含む9名が参加して、1テーブルを独占している。久しぶりに参加したので、お互いの近況など話した。
 はじめに同窓会長の8期生佐藤会長から挨拶と学校の近況報告があった。冒頭黒板に書かれていた数字(320-289)の説明があり、市岡の受験者数が定員に31名足らないので、学校長は各中学校に受験の勧誘に奔走しているという大変ショッキングな話と、もし3年連続定員未達の場合は、廃校または他校と合併することが考えられるという話があった。
(残念ながら、最終5名の定員未達となった)
左から田端君、末廣君、岸川君、
塩野君です。
 今年の大阪府の高校入試は大きく変わり、学区はなくなり府下どこの高校へも志望校選択ができ、しかも受験のチャンスは今までの前期、後期がなくなり1回しかできなくなった。
 そのような中で、人気校は高い倍率で特に旧制中学校では天王寺高校(文理学)募集360名に対し応募468名、四條畷高校360名に556名、高津高校360名に543名と、旧制中学校で定員割れは市岡のみ。また普通科単位制導入の4校のうち、未達校は市岡だけである。市岡の進学内容や部活について最近の風評をネットで見ると、読むにたえない書き込みがあり、気分が悪くなってくる。母校の伝統の重みがここまで落ち込んでしまったということを考えると大変残念である。
 学校はじめ、OBや府教育委員会の心ある対応を願うばかりである。
 10数年前の豚汁会には学校長も出席して、学校の現況、進学内容の報告もあったが、昨今そのような式次第もなく、同窓会長の司会進行で参加者1人1人に近況報告の機会があったあと、OBによる吹奏楽部の演奏がはじまった。60期代の若い演奏者にまじわって、18期生2名が演奏に加わっていたのが心強く思った。演奏はふるさとや春の小川、NHKの朝のドラマのテーマ曲があり、校歌は3番まで全員で合唱した。
吹奏楽部OB・OGバンドの演奏です。
 今年から食堂の委託業者が変わったので、豚汁の味見を事前にしてくれたようで、いつものように美味しくいただいた豚汁であったが、今後とも市岡の伝統の重みを本当に大切にしたい気持ちを持ったのは私1人ではなかったような気がした豚汁会であった。
 1度も豚汁会に参加したことがないOBの方に、お互い誘い合って縦の同窓会・市岡の伝統の一部を味わってみるのもよいのではないでしょうか。
 我々12期はそのあと古藤さんの案内で近くの喫茶店へ全員行き、4月10日の舞洲の花見会、10月16日の12期同窓会の話で盛り上がり散会した。
 今回参加した12期生は 酒井、古藤、川村、武田、上野、岸川、塩野、田端、末廣の9名です。

『趣味のギャラリー』―「陶芸について (1)」

8組   山田 正敏
 
 昭和39年 大学卒業以来38年間、61歳でサラリーマン生活を卒業。その後の勤めについては一切考えず、生活については退職金、年金と僅かの蓄えで何とかなるだろう位の考えでいた。 問題は、仕事を離れた人生に於ける“暇”というものを、如何に潰し、残りの人生を楽しむかである。 就職するまで、高校、大学と懸命に励んだ「剣道」。その後40年近く止めていたが、その再開と「ゴルフ」、「海釣り」、「囲碁」、友人達との月1~2回の「飲み会」 等々、これで まあ何とか“暇”潰しは出来るだろうと考えていた。
平成15年頃の作品
タタラ作り長皿
 しかし、「剣道」は近くの剣友会に入会したものの、初日早々左足ふくらはぎ肉離れでダウン。2週間程度トレーニングを積んでの事であったがあまりの体力の衰えに愕然。そして再開を断念。「海釣り」は師匠としていつも同行させてもらっていた友人を交通事故で失い断念。
 結局 「囲碁」と 「飲み会」 だけで残り人生を楽しむには何となく寂しい気がしていた。
 「陶芸」 については小生なんら経験が無く、興味も無かったが、毎年、5月と11月に栃木県・益子市で「陶器市」が開催され、陶器の鑑賞を大いに趣味とする、我が女房殿のアッシーとして、50歳ぐらいから車の運転手を務め、ほとんど毎年のように年2回、陶器市に行くようになった。其処で、プロの作品を見たり、作陶の実演を見学したりする内、なんとなくやってみたい、又、自分にも出来るかもしれないと言う気になってきたのかもしれない。
平成17年頃の作品
タタラ作り花器φ24cm
 昭和50年、34歳で大阪から東京に転勤して以来、千葉県船橋市の夏見台団地という690戸の団地に住まいしているが、その東側に隣接して市の 「中央老人福祉センター」 がある。その「センター」には 書道・華道・水墨・詩吟・コーラス・カラオケ・茶道・日本舞踊・等々22のクラブがあり、その1つに陶芸クラブがある。そこに入会できる条件は船橋市民である事、4月1日付で満60歳以上である事の2点だけである。そこで平成14年4月入会。
 当時陶芸クラブの部員は104名だったと記憶している。
 この陶芸クラブに入って思ったことは、現在、小生の付き合いする仲間は、市岡の同期、大学土木科同期で関東に住まいする一部の仲間達、大学剣道部の仲間達であるが、おそらく、この陶芸クラブのメンバーが人生最後の仲間達になるであろうという事を感じている。
平成17年頃の作品
黄瀬戸釉皿φ23cm
 メンバーの年令は60歳~90歳前後、気の合う人、合わない人、耳の遠い人、足腰の不自由な人、月に何日も医者通いしている人、在籍中に亡くなる人、小生のこれからの人生が全て詰まっているような気がする。
 このクラブのシステムは未経験の新入会員は、1年間講師の指導のもと手びねりによる研修を受けることになっている。研修は、当時、月2回の金曜日であったが、やればやるほど面白く、やりかけの作品を自宅に持ち帰り、毎日毎日、女房殿があきれるほど、夜遅くまで土と格闘したものである。そして2年目以降は教室で、手びねりによる自主制作を先輩たちの指導を受けて、作陶する。
 当時、電動ロクロは3台しかなく、一部の先輩達が使う為、我々は手びねりのみの自主制作による作陶ではあったが、慣れてくると、益々のめり込み、他に用事が無い限り、センター作業室や自宅の一室を工房とし、のめり込んだ。
平成18年頃の作品
飛び鉋文茶碗
 さすがに女房殿も「電動ロクロ」を買うことを勧めてくれるようになる。金額は10万円を少し超えたが、センターで使用しているものと同じものを買い、益々の上達を確信していたが、これがなかなか思うようにいかない。
 先輩で上級者と思われる人の作陶を、一心不乱に見学させてもらったり、又、船橋の東武百貨店や東京三越百貨店で陶器市をやる時、たいがいプロによるロクロの実演がある。11時頃から昼食をはさんで1時から3時頃まで色々な作品の製作(水引きと言う)について、初めから終わるまで見学させてもらった事が、小生のロクロ上達にずいぶんと役に立ったと思っている。あまりに熱心に見学しているのでけっこう顔見知りになり、「何でも判らんことがあれば聞きなさい」と言って貰った時はさすがに嬉しくて、色々質問させて頂いた事を思い出す。
平成19年頃の作品  三島手茶碗
 見よう見まね、悪戦苦闘の毎日であったが、入会後8年、当時講師をしておられた先生が、高齢を理由で引退される事になって、その後任に部員の総意により、小生が選出され、福祉センター及び船橋市の同意を得て講師に就任。今年3月で満6年になる。技術的にはまだまだと自覚しているが、クラブ全員の技術アップの為、小生の益々の技術アップの為、精進し、もう一年講師を続け、後進に道を譲るつもりでいる。
 
(次号につづく)

「12期の広場」3月号のラインアップ

 「春は名のみの 風の寒さや  谷に鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声もたてず  時にあらずと 声もたてず」(唱歌『早春賦』から)
 
 春は弥生の3月です。冒頭に書きだした『早春賦』がぴったりの時節です。
 今しがたも駅近くまで行ってきたのですが、ダウンジャケットに手袋までしていました。それでも、陽だまりを選るように歩くと、日差しに春独特のもわっとした暖かさを感じられ、街路樹やちょっとした植え込みのそこかしこに若緑の点々とした芽吹きを見つけることができました。「春はもうそこに」ですね。
 これから関西では東大寺二月堂の“お水取り”、お彼岸、選抜高校野球の開幕と続く「春の階段」を登りつめて、爛漫の桜にめぐり会う事になります。やはり暖冬とは言え冬をやり過ごしての早春3月の感興は格別です。
 今月号の上原澄子さんの絵手紙は「雛祭り」です。添え書きに「少しずつ春が近づいていますね。今月はお雛様を描きました。顔がむずかしくて何度も描き直しました。」とあります。女の子のお祭りですから、私には経験がありません。お呼ばれもなかったのでショーウインドウのひな飾りを目にするだけでした。ふと、白酒やあられ、菱餅の宴はどんなだっただろうと、思ってしまいます。
 先日、母校の創立100周年記念誌を見ていて興味深い記録を見つけました。「校内マラソン大会」を覚えておられますか。マラソンと言えば、冬ですが、市岡高校では11月14日~22日の土曜日、短縮2時限の授業後に行われていました。距離は男子が10.2km、女子が6.8km(3年次の記録)です。コースは、普段使わなかった狭い裏門を押し合いへし合いして出て、安治川沿いを走り、天保山から折り返し、正門から入ってのゴールだったようです。
 そこに順位記録が残されており、12期の同窓生が上位に名を連ねていたのには「ビックリポン」です。
 高校1年次が第10回マラソン大会。団体成績では1位から3位まで1年生である12期のクラスが独占、個人男子で北尾晃君が2位となっていました。翌年の第11回大会ではなんと、個人男子、女子ともに1位から3位までを12期(男子1位 高市恒和、2位 北尾晃、3位 森武雄、女子1位 宮崎郁子、2位 中島久美恵、3位 大川澄子)が独占していました。3年次が第12回大会で、男子は駄目でしたが、女子はまたもや1位から3位までを12期が独占しています。1位がなんと絵手紙の作者の大川澄子さん、2位が宮崎郁子さん、3位が松谷美智子さんとなっていました。テニス部、バスケット部の所属で12期きってのスポーツウーマンだったのですね。脱帽することしきりです。残念ながら松谷美智子さんはすでに鬼籍に入っておられます。上位の颯爽とした韋駄天ぶりに比して、ダラダラと青息吐息で走っていた自分の姿が思い出され、「さもあろう・さもありなん」と納得しつつも少々恥入っています。
 
 さて今月号の12期の広場は次の通りですと書きたいのですが、残念ながら1本のみです。ご容赦宜しくお読みください。

1.  「市岡高校吹奏楽部第8回定期演奏会が開催されました。」
以  上

「市岡高校吹奏楽部OB・OGバンド第8回定期演奏会」が開かれました

 2月21日(日曜日)午後2時から阿倍野区民センター大ホールで開催された「市岡高校吹奏楽部OB・OGバンド第8回定期演奏会」に行ってきました。
 なくなった4組の内田勝章君に誘われて初めて定期演奏会に行ったのが、2011年2月。当時が第3回で、今回が第8回ですから、5年ぶりです。JR天王寺駅で降りて急ぎ足でギリギリ、開演に間に合いました。




 すでに会場は、ほぼ満席(会場は660席)。ようやく中央の右はしに空きを見つけて着席後、間もなくの開演でした。
 今回の演奏会は3部構成で、第1部がオリジナルステージ、第2部がアンサンブルステージ、第3部がポップスステージとなっていました。
 「コンサートマーチ『テイク・オフ』」(作曲:建部知弘)の演奏から第1部が始まりました。
 舞台一杯にOB・OG総勢56名のフルバンドが登場です。指揮は42期の赤塚弘一さん。『テイク・オフ』(離陸)の楽曲名通り、開演にふさわしい、華やかさと力強さに満ちあふれたダイナミックな演奏に引き込まれます。続いて「Music in the Air」(作曲:アルフレッド・リード)と「フライト-大空の冒険-」(作曲:ベンジャミン・ヨー)が演奏されました。
 「フライト」は「若いパイロットの大空での経験」を音楽表現したものだそうですが、あたかも機上から空と海と緑の島々を俯瞰するような感覚と爽快さ感じました。特に一般的な楽器以外に、洗濯機の排水ホースのような形のもの(これも楽器だそうです)を振り回して音をだしたのにはその意外性と調和にちょっと驚きました。
 第二部はリコーダー、クラリネット、サキスホーン、打楽器、各パートのアンサンブルです。
リコーダーは8名で「ハイホー」(ディズニー映画「白雪姫」から)と他1曲、クラリネットも8名とパーカッション1名で「情熱大陸」(作曲:葉加瀬太郎)、サキスホーンは7名で「ルパン三世のテーマ」(作曲:大野雄二)他1曲、打楽器は7名で「星物語-風の章-」(作曲:野本洋介)をそれぞれ演奏しました。OB・OGバンドの打楽器は大阪でも指折りのグループで一昨年のコンクールで金賞を取ったそうです。そのはずです。十種類を超える打楽器を使いながらの繊細で余韻一杯の演奏に目を瞠りました。
 吹奏楽の醍醐味はスゥイングです。それがはじけたのが第3部のポップスステージで、舞台と客席が一体になって演奏を楽しみました。第3部のテーマは『踊り』です。
 楽曲は「踊り明かそう(マイ・フェア・レディから)」に始まり「Shall We Dance ?」までの4曲です。演奏も再びフルバンドです。したがって迫力は満点です。また各所に変調が入り、「あれっ、これってボサノバ?」などとスゥイングの自由自在さが際立ちました。
 演奏途中にソロが入る、掛け声が入る、最前列に並んでのダンスが入る、「ちびまる子ちゃんメドレー」では客席にまでおりて菓子袋を配るなど、盛り上がりは最高潮です。
 客席も手拍子で答え、中には体を揺らす人がいるなど、楽しさが会場中に充満しました。こうしていよいよエンディング。
 鳴り止まないアンコールの大拍手に答えて2曲-NHKの朝ドラ「あさが来た」の主題歌「365日の紙ヒコーキ」とスマップのヒット曲「JOY」が演奏されました。
 5年前の演奏会でご縁ができた高橋正憲(18期のトロンボーン奏者)に幕間、ちょっとご挨拶し、写真を撮らせて頂きました。18期ですからOB・OGバンドでの最高齢者でしよう。しかしご覧のように若々しく、今回の舞台でも抜群の存在感で、溌剌とした演奏をきかせてくれました。
 後日、お礼の電話をしてお話したところ、観客数は560人、また観客のみなさんにお願いしたアンケートの回収数が250数通、今までで一番多かったそうです。
 「精いっぱいの演奏が客席に届き、それがはねかえってきて演奏が一層、変わって行きます。これが生演奏の最大の魅力ですね。それを今回も味わうことが出来たことを大変嬉しく思っています。特に『楽しかった』『無料はありがたい。いつまでも続けて下さい』など、素朴ですが、感動的なアンケートのコメントにはいつも泣かされますよ。」と明るい声で語ってくれました。
 ほとんどが社会人であるOB・OGバンドの一番の悩みは、日常生活と仕事をやりくりしても十分な合奏練習の時間がとれないことだそうです。そんな中にあっての演奏者と客席の得難い交歓は、第8回を数えた定期演奏会を実現したからこそのものでしょう。
 そのご苦労に思いを馳せながら、市岡高校吹奏楽部OB.OGバンドの皆さんの更なる活躍を期待し、また応援して行きたいと素直に思いました。
(文責: 張 志朗)

【高31期】市岡高等学校31期生同窓会のご報告

 
31期生幹事代表  山本 好男

平成28年1月23日(土)に31期生の同窓会を開催しました。
当日は、8人の担任の先生方のお元気な姿を拝見することもでき、140人の出席を得て、55歳の再会に、大いに盛り上がりを見せました。
次回は、5年後の2021年の再会を約束して、お開きとなりました。

「12期の広場」2月号のラインアップ

 2月です。
 1月は、予想外の暖冬で、正月三が日をはじめ、下旬まで暖かい日和に恵まれましたね。
お蔭で毎年2月頃、わが家に「春一番」を告げる庭の水仙がなんと、お正月の花に仲間入りして玄関を彩りました。そればかりか、はやばやと蝋梅までもが満花、今はメジロが飛んで来てさかんについばんでいるありさまです。加齢の身ですから、暖かいにこしたことはありません。しかし並みはずれた天候不順は、それを喜ぶ気持ちよりも、穏やかならざる心地がして不安にさえなります。
 年明けから暗いニュースが続いてそんな気持ちに拍車がかかったようで、あらためて、今年が良い年になりますようにとの願いを強くしています。
 大寒を迎えた先日、ようやくのように厳しい寒波が日本各地を襲い、雪をふらせました。関西も今冬一番の冷え込みでした。水盤の氷は見事な厚氷に、ウッドデッキは真白になりました。やはり季節の移ろいにはゆるぎがないようです。寒風の中、祝祭が過ぎた後の日常の手ごたえと、春を待つ心とが入り混じるたしかな2月、如月がここにあります。
 上原澄子さんの今月の絵手紙はやぶ椿です。添え書きに「急に寒くなりましたね。富士山が真っ白になりました。今月は村崎裕昭さんからいただいた柚子の絵手紙も送ります」とありました。したがって今月号の絵手紙は二枚、上原澄子さんと村崎裕昭君の作品です。
 お二人の絵手紙の交流の始まりは、平成17年7月21日の東京12期会の1泊2日箱根旅行がきっかけでした。この旅行には関東在住ほかの19人が参加して、お天気に恵まれた箱根を存分に楽しんだそうです。宴会の席上、各人の自己紹介で上原さんの趣味が絵手紙であることを村崎君が知り、その後、上原さんの手ほどきを受けて、めきめき腕を上げられ、今では上原さんが教えることがなくなったと言うほどの腕前と聞いています。市岡の同期として素晴らしい出会いが出来たと上原さんは感激されているそうです。
村崎裕昭君の作品です
 6回目を数えた上原さんの絵手紙に加え、村崎君の絵手紙に感謝、感謝です。「12期の広場」に寄せて下さるお二人の気持ちに心が暖かくなります。
 こんな日には何が何でも鍋と熱燗です。幸いに同窓の友人から届いた京都の「生ゆば」もあります。身も心も元気にして2月を乗り切りたいと考えています。
 
 さてわが「12期の広場」2月号のラインアップは二編です。
「リレー投稿 つれづれに③」は新人の「1月の寒い朝 ごんべ」さんの登場です。お楽しみ下さい。

1.  「リレー投稿 つれづれに ③」            1月の寒い朝 ごんべ 
2.  「市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました」
以上


『リレー投稿』  - つれづれに -  ③

筆者が愛読している「現代俳句」と所属している「山河」の記念号
 暮れから年明けにかけて恩人が立て続けに亡くなった。「人間は死ぬものなり」と知りつつ、身近な死の衝撃は大きい。
 早や1月も過ぎようとするが、衝撃は感傷に変わりつつあり、時の癒しの早さにとまどう昨今、好きな俳句を読みかえしながら「人間の肉体」を題材とする句を見つけた。
 「からだとこころ」は一体である。
 とりあげた句は「からだ、またはその一部」を詠み「こころ」は云わない。体は滅するが心は滅びない。死者はいつでも側にいてくれると知って心が安んじられた。
 「人間紀行」と称し、拙い鑑賞を試みたのでお付きあい願えれば幸いである。
 
人体冷えて東北白い花ざかり         金子兜太(とうた)
 肉体とは頭のてっぺんから足の先まで外皮に包まれた全体を云い、類語に身体、対義語に霊体、精神などがある。人体とは自然科学的な表現だがその外観は頭、首、胴体、手、足に分けられ五体と云い、霊的なものを加えて六体と云うこともある。この骨太な兜太の句は六体をまるごと地吹雪の中に立たせ、哀しいまでに美しい。ダ・ヴィンチは「画家は自然を師とすべし」として美の真実に迫るため夥しい数の解剖図を描いたが、人間の体は未だに自然界の謎である。
 
しぐるるや 蒟蒻(こんにゃく) 冷えて (へそ) の上      正岡子規
 数多い病床吟詠の一つだが、苦痛を訴えず、腹を温めるはずの 蒟蒻(こんにゃく) の冷たさを云い放つことで上等のユーモア、俳味が生まれる。長患いの中で鍛えられた心の強さと生への執着が「死は近づきぬ。文学はようやく佳境に入らんとす」の凄絶な言葉を生む。
 
(はらわた)に春 (したた) るや (かゆ) の味         夏目漱石
 子規に誘いこまれて俳句の道に入った漱石の句は余技、低徊趣味とそしられることもある。修善寺で「卒然として閃いた生死二面の対照」を感じた後のこの句は、『朝寒や生きたる骨を動かさず』、とともに「自然はよく人間を作れり」と観じた漱石の句の白眉といえる。病は俳句の肥やし、だそうだが健康は大切にしたい。
 
なきがらや秋風かよふ鼻の穴          飯田蛇笏(だこつ)
 鼻孔が句材になるとは新鮮な驚きだ。蛇笏の句の格調の高さを些かも損なうことなく、秋風を通わす虚ろな穴を拡大することで哀切の情をいっそう深めている。子息の龍太が、『手が見えて父が落葉の山歩く』、と尊敬する所以である。
 
万緑の中や吾子の歯生えそむる        中村草田男(くさたお)
 人が初めに覚える言葉は人体のパーツである。目、鼻、口、耳、おてて、あんよ。草田男の代表作とされ、「万緑」を季語として確立したと云われるこの句では白い歯と濃い緑を対比させ、自然界と人間の生命力をためらうことなく祝福、讃美している。赤ん坊の肉体や動作は驚きであり、創造者への畏敬ともなる。
 
陽炎の我が肩にたつ (かみ)() かな        松尾芭蕉
 元禄二年、奥州への旅立ちの春である。うららかな春日、旅支度の肩に立つ陽炎に、高揚感と先へのかすかな不安、こころのゆらめきを感ずる。
 
 新しい年を迎え、我々にもそれぞれにまた人生の新しい旅立ちが待っている。
 
1月の寒い朝 ごんべ

市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました。

 市岡OB写真クラブの第7回作品展が1月7日から12日にまで、大阪天満宮近くのMAGギャラリーで開催されました。
 1月10日の日曜日、年初めとは思えない暖かさに誘われるように、見に行ってきました。会場は前回と同じ場所。この日は、丁度、「えべっさん」の日。周辺には有名な「堀川戎」に加えて、「大阪天満宮戎」もあり、日本一長いと言われる、天神橋筋商店街は大変なにぎわいでしたが、作品展のシックな会場は別世界。OB・OGの暖かく、思い入れにあふれた作品をゆっくりと鑑賞することができました。
 会場入り口近くに下のような挨拶文が掲げられていました。
 「私たち市岡OB写真クラブは、市岡高校OB・OGとその家族や友人たちが集まって、月に一度撮影に出かけ、母校で例会を開いています。
 旧制中学の卒業生から社会人として忙しく活躍中の会員まで年齢差30歳あまり。写真を撮ること、見ることを楽しんでいます。第7回を迎え、少しは上達したかなあ、というところです。どうぞごゆっくりご高覧ください。仲間入りしようという方は是非どうぞ。」
 出展された作品は撮影者数が19名、一人2作品の38点でした。最高齢の片山孝雄さん(旧制中学42期)の「柿一葉」(撮影場所:和歌山県かつらぎ町)、「岩壁の紅葉」(撮影場所:滋賀県高島市)はじめ、モチーフは主として風景写真です。その風景写真も、花びらに光る水滴から、雄大なネパールの山々に移ろう暁光まで実に多彩で、これがアマチュアの写真なのかと、感じ入ることしきりでした。
車のボンネットに映る建物・題名は「ゆらぐ」
 遠景があったり、近景があったり、接写があったり、カメラアングルも多様で目を瞠ります。撮影場所も、体調不調で自宅の庭がその場所であったり、国内では北海道利尻島、遠くはネパールや桂林、ハワイにまで及んでいます。
 何より、老いてますます磨きがかかる森羅万象への感性には、ただただ驚きながらも励まされるばかりでした。高校7期、山田美代子さんの「ゆらぐ」は、神戸市の駐車場で自動車のボンネットに映し出された建物の姿を撮ったものだそうですが、その現代的なセンスがとても力強いと感じました。
 わが同窓生の高見政博君の写真は「レースの飾り」と「稚児のかざぐるま」です。山好きの彼らしく双方とも高山に咲く、可憐な花です。「レースの飾り」はハナウド(長野県白馬)、「稚児のかざぐるま」はミヤマホツツジ(長野県小谷)だそうで、草花をこよなく愛する彼の気持ちが鮮明に伝わる写真です。「稚児のかざぐるま」の題名は奥様と一緒に考えたそうです。私のカメラ操作が不慣れで少々、実物とは色合い他が異なっていますが、ご覧下さい。
「レースの飾り」
「稚児のかざぐるま」

 結成されて10年の市岡OB写真クラブ。13期の中務敦行さんをリーダーとして20数名が参加していますが、その作品展も7回目です。ますますの充実ぶりにこれからがさらに楽しみになりました。ちなみに、今回の作品展には延べ120名余りの方々が訪れたそうです。
(文責:張志朗)