12期の広場
2018年1月1日
重松清弘(4組) |
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当日は大変お世話になり有難うございました。幹事役、お疲れさまでした。
さて私の感想ですが、一年前から友人との再会を楽しみにしていた同期会ですが、その日11月11日は、一瞬にして2時間で終わってしまったという感じでした。
場所探しが大変だと思いますが、出来ればせめて3~4時間あればよかったのではと思っています。
それではどうぞ良いお年をお迎えください。来年の大阪を楽しみにしています。ご健勝を祈ります。
児玉恭子(青木 4組) |
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今回の同期会、幹事様にはひとかたならぬご苦労をおかけし、心から御礼申し上げます。特に榎本様におかれては、ご自身コルセットを付けてのご参加、ただただ感謝申し上げております。
全員解散後、柏木さん、山本さんと翌日も東京にて楽しみましたが、合わせて二日間、本当に楽しい同期会を過ごせたことは、ひとえに幹事様のお陰と深く感謝致しております。
今回の同期会へのコメントに特別なものはありませんが、スカイツリー展望回廊から、自分の住むタワーマンションが見え、それを同期の方に話しながら、多くのことを思いおこしました。私は、東京にきて50年以上経ちます。その長い歳月と思い出の感傷をもって同期会に参加することができました。その他、今までの同期会ではあまり話し合う機会のなかった方とお話しができて、また再会も約束できて良かったと思います。その上、解散後、柏木さん、山本さんと同宿し、さらに翌日も東京各所を散策し、たわいのないおしゃべりができて、こんな楽しい機会はなかなか得られないと思っております。
なお、同期会での数々の写真を楽しみに致しておりますので、よろしくお願いします。幹事様には、本当に心から感謝申し上げます。
村崎裕昭(8組) |
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先日は、皆様と共に大変楽しい一時を過ごすことが出来、ありがとう御座いました。
人と会う機会がだんだん少なくなってきた中、このような機会を定期的に設けていただき、本当に感謝申し上げます。健康に留意して、次回もまた参加できますよう願っております。まずは、御礼まで。
近況としては、人生80年、90年といわれる長寿命社会ですが、いつまでもイキイキ・元気に暮らしていきたいものですね。
退屈なシニアライフになりがちなので、何か新しい趣味でもと思い、今年春、レンズ交換式デジタル一眼カメラ《デジイチ》を買い求めました。目標は、「ボケ味」のきいた柔らかな雰囲気の写真を撮ることです。さらには、超広角レンズで広々とした風景や、遠近感の利いた風景を撮ることにも関心があります。

そして、撮影のため外出する機会も増え、足腰のためにも良い趣味が見つかったなと満足しています。
「こんな歳になってから、そんなのを買って……、残ったらどうするの……」、と言う家内の“嫌味”な言葉を聞き流し、「ボケ防止の、いい楽しみができたな…」と、ただいま勉強中です。
上原澄子(大川 1組) |
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幹事さん😉楽しい同窓会でした。連絡や準備など色々おほねおり有り難うございました。体調はいかがですか?榎本さんと山田さんが元気でいてくれないと、東京12期会☀は困ります。お互いに一病息災と思って、これからもよろしくお願いいたします✨
泉 信也(5組) |
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快晴に恵まれた晩秋の一日、大阪から多くの仲間も駆けつけてくれて実に楽しい時間を共有することができた。会場の霞が関ビルからは富士も見晴るかすことができ、東京の町並みの緑の多さが大阪組には新鮮に映ったようだ。「市岡東京12期会」発足以来、会場の手配から案内、司会進行まで榎本・山田の両幹事にはおんぶに抱っこで面倒のかけっぱなしである。皆は恐縮しながらも、ひたすらにおしゃべりと美味・美酒に時を忘れる。いつものように遠来の仲間から順に、近況報告や身辺談話、健康指南など話は尽きず、時間切れのまま二次会のカラオケ会場へと流れ込む。三次会ではまた高層ビルの居酒屋でレインボーブリッジから千葉、横浜にまたがる夜景を楽しむことができ、心地良い疲れとともに帰路に着く。
翌日もまた素晴らしい好天、少しアルコールの残る気だるさを振りはらって634メートル(ムサシ・武蔵の国)のスカイツリーに登る。前回の柴又・帝釈天の折もそうだが、大阪の諸兄姉のおかげでお膝元でも行ったことのない名所に遠足ができることは有難いかぎりである。名残を惜しみながらも改装成った浅草・浅草寺で解散、気が早いが来年の大阪での再会を約束する。
いつも思うのだが高校の同窓会はなぜかちがう。一瞬にして当時にワープできるのだ。記憶は断片しかなく、榎本兄に補足してもらって初めて全景が見えるのだが、その後の人生が千差万別にもかかわらず、成長しないままのティーンエイジャーが五十余年後の今集っていて、違和感がまったくなく不思議と居心地が良い。柏木さんのエスコートで遠くカナダから初参加してくれた山本さんは同じ5組、段中さんも5組。当地でマドンナと再会とは思っても見ない幸福であった。一期一会の言葉がことさらに身にしみる今年の同期会、参加がかなわかった皆さんとともに市岡に感謝し、危機が伝えられる母校の発展を祈ります。
末廣 訂(8組) |
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榎本さん、泉さん、東京同期の皆様
この度は久しぶりに、東京12期会に参加させていただき、皆様に大変お世話になって、心からお礼申し上げます。
準備から、当日、そして2日目の東京案内まで、我々大阪組のため時間を割いていただき楽しい2日間でした。
メールアドレスがお2人しか分からず、お世話になった方々に機会があれば、宜しくお伝えいただければ幸いです。来年は大阪でお会いしましょう。
どうぞよいお年をご健康でお迎えください。
佃 富江(岡本 2組) |
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ありがとう。本当にご苦労様です。スカイツリーも好条件で。元気で良かったなー。近況報告は、大した事はなく、皆さんの元気さに圧倒され、嬉しく、幹事さんの、愛情と奉仕に感謝です。楽しめました?お身体大切に。
鈴木政子(酒井 1組) |
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先日、お寺さんから「鈴木さんはお元気ですね。後10年、長生きされると、ご主人の50回忌を迎えることができますよ」と言われました。お寺さんの言う通り、無事、50回忌を済ませれば、私の責任を果たせたと思えそうで、これからも元気を第一に、日々、頑張りたいと思っています。ダンスにコーラス、カラオケにパッチワークと毎日、忙しくしています。最近、ボケ防止に「健康麻雀」も始めました。大阪の同窓会でお会いできることを楽しみにしています。
同窓会の感想としては、とっても良かった。大阪の同窓会はクラス単位の交流が主になりますが、東京はだれ彼なく身近で話が出来て、一層仲良しになれ楽しくなりました。特にカナダから来られた山本さん、三重の柏木さん、東京の児玉さんとは、来年の大阪での同窓会で再会することを約束しました。手製のカバンを皆さんにお送りし、またお送りしようと作っています。
(幹事注:その後お手紙を添えてカバンが届きました。以下はその時のお手紙の内容です)
先日の東京12期会では大変お世話になり、ありがとう御座居ました。とても楽しい想い出に残る日を送れました事に感謝しています。
これは私の趣味で作っている手さげのカバンです。軽い為皆さんに喜んでいただいています。奥様に感謝の気持ちとしてプレゼントさせて下さい。日々寒くなりますので御身体に気をつけて次回も元気でお目にかかれますように! いろいろありがとう御座居ました。
酒井八郎(4組) |
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元気なうちに参加したい」を共通項に、大阪から9人参加しました。過去最高の人数でした。今回の旅程を段取りしてくれた張君に感謝感謝です。アッという間に会場の予定時間が終了。名残惜しく二次会のカラオケへ。そして3次会の夕食会で夜景を楽しみ初日が終了しました。

なんといっても楽しかったのはその後の昼食会でした。気がつけば昨日の12期会と同じ2時間半も経っていました。浅草寺では同窓会の成功に感謝の気持ちで手を合わせました。今年の大阪同窓会に向けて元気がでました。東京の皆さんと幹事のみなさんに感謝!みなさんありがとうございました。
2018年1月1日
藤原久子(森本 1組)
いつもお知らせありがとうございます。出席出来なくて申し訳なく思っております。5月、夫が亡くなり雑用に、追われ、落ち着きませんので、欠席させていただきます。ご連絡ありがとうございました。
坂野 雅子(堀内 2組)
いつも お世話になっております。やはり、今回は 失礼させて頂きます。大阪からいらっしゃる皆様にも、お目にかかりたいのは、やまやまなのですが、残念です!
いつもなのですが、帰る間際になると、もう少し手伝って帰ろうという気持ちに、ついついなってしまいますので、申し訳ございませんが、欠席という事で、大阪からいらっしゃる皆様にも、よろしくお伝えくださいませ。今日これから、高速バスで、行って来ます。台風に向ってなんて・・・・ですよね。我ながら“親バカだわ“と思います。又、厚かましいお願いですが、後程写真を、送って頂けると、嬉しいのですが。
西條軍蔵(3組)
今年は都合により参加できません。残念です。よろしくお願いいたします。
森重 克己(3組)
案内有難うございました。折角ながら小生は不参加として頂くようお願いいたします。ご出席の皆さまによろしくお伝えください。
小川朋邦(5組)
返事大変遅れて申し訳ありません。
小生、10月末まで出席、欠席の返事が出来ません。心苦しいですが欠席とさせて頂きたく。
小野義雄(6組)
案内ありがとうございます。相変わらず東京とつくばへは時々行っており、元気に過ごしています。出張のタイミングがあえば前日東京泊りで参加させて頂きます。ぎりぎりの参加可否決定になるかと思いますがよろしく。ご迷惑をおかけします。
(その後のお便りで)
来月11日の集まりですが、上京日程と合わず欠席とさせて下さい
佐藤裕久(6組)
東京12期会の件、ご連絡有難うございました。小生、現在、9月~11月の火曜、金曜に開催されている、仙台市後援の「元気応援教室」に参加しています。11月21日(火)が最終日になりますので、東京で開催される、市岡東京12期会の同窓会に出かける心の準備が、ここ数日では、出来そうにありません。(すみません)
そのようなわけですので、今年は、東京の同窓会があるといういうことは、心にかけておりましたが、欠席とさせていただきます。
終わりに、今年、11月、第8回「市岡高校東京12期会」が、盛会裏に挙行されます様祈念しております。また、本部、大阪の12期会から、遠路、東京の12期同窓会に出席される皆様にも、機会がありましたら、どうぞ、よろしくお伝えください。 草々
中柴方通(6組)
中柴です。楽しみにしていましたが、明日、出席できなくなりました。
大西佑治(7組)
同期同じ7組だった張様には既に報告済みですが、お陰様で皆さんから頂いた暖かい励まし等により、膠原病は諸治療の結果、今週初めに「寛解(疑似全快)の状態にあると見做し得るとの診断がなされ、胃癌も9月19日(火)に2/3の胃が摘出され、無事終了、縫合不全もなく転移もない等、他の懸案事項もすべて問題なく、10月20日に退院、その後は外来・通院で対応していただくことになりました。
なんとか当初の目標を達成できホットしている所です。病気前は体重62kgでしたが、現在、42kgしかなく体力(特に筋力)低下が著しいので自宅にて体力回復が当面の目標です。
よって11月11日の同窓会には欠席させていただきます。皆様方に機会があればこの旨、宜しくお伝えください。詳細は添付ファイルをご覧頂ければ幸いです。 以上
小原靖夫(7組)
大変申し訳ありません
博多の会社に出張することになりました。ご盛会をお祈りいたします。
橋本 豊(7組)
同期会の件では日ごろ、いろいろとお世話頂きありがとうございます。
澪標に掲載の第1回東京12期会の集合写真を懐かしく拝見している最中に榎本様よりメールを頂戴しました。
近況をお知らせするほどの変わったこともありませんが、年齢には勝てずアチコチ不調なところが出てくる状態での日々を送っております。
完全退職後、マジック教室に通い最近では老人会、介護施設、子供会などからお呼びがかかり、下手な演技を披露して自らも楽しみ、ボケ防止にも役立てております。
来る11月11日の同期会は欠席させていただきますが、本会の一層のご発展と皆様の健康を願っております。 了
三浦孝文(7組)
メール、ありがとうございました。
勝手ですが、同窓会、欠席させて頂きます。申し訳ありませんが、山田君宛て、ご連絡頂ければ助かります。ご盛会を、お祈りしております。
榎本さんは、いつも、お元気なご様子、何よりと思っています。私も、折に触れて、歳をとったものだと感じておりますが、何とか、元気に過ごしております。それでは、よろしくお願いいたします。
稲田 紘(8組)
11月11日(土)に開催予定の市岡東京12期会ですが、欠席させていただきます。一昨年の初めに患った脊髄炎のため、9ヶ月ほど病院に入院し、退院後は歩行困難のため、半年ほど車椅子生活を余儀なくさせられました。
そこで、リハビリに励んだ結果、最近では片手杖を用いながらの歩行が可能になり、独りでバスに乗って病院に受診に出かけたり、ターミナル駅である千里中央や北千里の諸施設にいくことができるようにもなりました。
しかしながら、現状では脊髄に損傷があり、その治癒が難しいことから、東京のような遠方に出かけることは困難に思われ,医師の許可も得られておりません。というわけで欠席のやむなきに至りました。
ところで仕事は、昨年3月末で兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科の特任教授を退職し、名誉教授となりましたが、同年4月から鈴鹿医療科学大学大学院の客員教授を委嘱されました。この仕事では、通信教育のようにメールのやりとりを中心にして、社会人が主である大学院生の指導を行っています。
そのほかボケ防止のため,週に1回北千里にある囲碁クラブに出かけたり、やはり週に1回千里中央のヤマハ音楽教室でクラシックギターのレッスンを受けたりしています。
以上、遅くなりましたが、市岡東京12期会への欠席の連絡を致しますとともに、近況の一端をお知らせさせていただきました。
最後になりましたが、ご盛会を祈念致しますとともに、皆様によろしくお伝え下さるようお願い申し上げます。来年秋の大阪の同窓会には何とか出席できるように頑張りますので、その節にはどうぞよろしくお願いします。
萩原貞雄(8組)
毎日気温が大きく変化して身に着けるものの選択に苦労しております。
11日の東京12期会には出席の返事をしていましたがこのところ神戸に居る99歳の母親の調子が悪くいつどうなるか分かりません。
折角大阪から多数参加される由、参加したいのはやまやまですが今回は見合わせて頂きたくご連絡します。残念また貴殿のお誘いに沿えなく申し訳ありません。皆さんによろしくお伝えください。
(その後、残念なお知らせがあり、ご母堂様が12月1日に永眠されました。ご冥福をお祈りいたします。)
いつもお知らせありがとうございます。出席出来なくて申し訳なく思っております。5月、夫が亡くなり雑用に、追われ、落ち着きませんので、欠席させていただきます。ご連絡ありがとうございました。
坂野 雅子(堀内 2組)
いつも お世話になっております。やはり、今回は 失礼させて頂きます。大阪からいらっしゃる皆様にも、お目にかかりたいのは、やまやまなのですが、残念です!
いつもなのですが、帰る間際になると、もう少し手伝って帰ろうという気持ちに、ついついなってしまいますので、申し訳ございませんが、欠席という事で、大阪からいらっしゃる皆様にも、よろしくお伝えくださいませ。今日これから、高速バスで、行って来ます。台風に向ってなんて・・・・ですよね。我ながら“親バカだわ“と思います。又、厚かましいお願いですが、後程写真を、送って頂けると、嬉しいのですが。
西條軍蔵(3組)
今年は都合により参加できません。残念です。よろしくお願いいたします。
森重 克己(3組)
案内有難うございました。折角ながら小生は不参加として頂くようお願いいたします。ご出席の皆さまによろしくお伝えください。
小川朋邦(5組)
返事大変遅れて申し訳ありません。
小生、10月末まで出席、欠席の返事が出来ません。心苦しいですが欠席とさせて頂きたく。
小野義雄(6組)
案内ありがとうございます。相変わらず東京とつくばへは時々行っており、元気に過ごしています。出張のタイミングがあえば前日東京泊りで参加させて頂きます。ぎりぎりの参加可否決定になるかと思いますがよろしく。ご迷惑をおかけします。
(その後のお便りで)
来月11日の集まりですが、上京日程と合わず欠席とさせて下さい
佐藤裕久(6組)
東京12期会の件、ご連絡有難うございました。小生、現在、9月~11月の火曜、金曜に開催されている、仙台市後援の「元気応援教室」に参加しています。11月21日(火)が最終日になりますので、東京で開催される、市岡東京12期会の同窓会に出かける心の準備が、ここ数日では、出来そうにありません。(すみません)
そのようなわけですので、今年は、東京の同窓会があるといういうことは、心にかけておりましたが、欠席とさせていただきます。
終わりに、今年、11月、第8回「市岡高校東京12期会」が、盛会裏に挙行されます様祈念しております。また、本部、大阪の12期会から、遠路、東京の12期同窓会に出席される皆様にも、機会がありましたら、どうぞ、よろしくお伝えください。 草々
中柴方通(6組)
中柴です。楽しみにしていましたが、明日、出席できなくなりました。
大西佑治(7組)
同期同じ7組だった張様には既に報告済みですが、お陰様で皆さんから頂いた暖かい励まし等により、膠原病は諸治療の結果、今週初めに「寛解(疑似全快)の状態にあると見做し得るとの診断がなされ、胃癌も9月19日(火)に2/3の胃が摘出され、無事終了、縫合不全もなく転移もない等、他の懸案事項もすべて問題なく、10月20日に退院、その後は外来・通院で対応していただくことになりました。
なんとか当初の目標を達成できホットしている所です。病気前は体重62kgでしたが、現在、42kgしかなく体力(特に筋力)低下が著しいので自宅にて体力回復が当面の目標です。
よって11月11日の同窓会には欠席させていただきます。皆様方に機会があればこの旨、宜しくお伝えください。詳細は添付ファイルをご覧頂ければ幸いです。 以上
小原靖夫(7組)
大変申し訳ありません
博多の会社に出張することになりました。ご盛会をお祈りいたします。
橋本 豊(7組)
同期会の件では日ごろ、いろいろとお世話頂きありがとうございます。
澪標に掲載の第1回東京12期会の集合写真を懐かしく拝見している最中に榎本様よりメールを頂戴しました。
近況をお知らせするほどの変わったこともありませんが、年齢には勝てずアチコチ不調なところが出てくる状態での日々を送っております。
完全退職後、マジック教室に通い最近では老人会、介護施設、子供会などからお呼びがかかり、下手な演技を披露して自らも楽しみ、ボケ防止にも役立てております。
来る11月11日の同期会は欠席させていただきますが、本会の一層のご発展と皆様の健康を願っております。 了
三浦孝文(7組)
メール、ありがとうございました。
勝手ですが、同窓会、欠席させて頂きます。申し訳ありませんが、山田君宛て、ご連絡頂ければ助かります。ご盛会を、お祈りしております。
榎本さんは、いつも、お元気なご様子、何よりと思っています。私も、折に触れて、歳をとったものだと感じておりますが、何とか、元気に過ごしております。それでは、よろしくお願いいたします。
稲田 紘(8組)
11月11日(土)に開催予定の市岡東京12期会ですが、欠席させていただきます。一昨年の初めに患った脊髄炎のため、9ヶ月ほど病院に入院し、退院後は歩行困難のため、半年ほど車椅子生活を余儀なくさせられました。
そこで、リハビリに励んだ結果、最近では片手杖を用いながらの歩行が可能になり、独りでバスに乗って病院に受診に出かけたり、ターミナル駅である千里中央や北千里の諸施設にいくことができるようにもなりました。
しかしながら、現状では脊髄に損傷があり、その治癒が難しいことから、東京のような遠方に出かけることは困難に思われ,医師の許可も得られておりません。というわけで欠席のやむなきに至りました。
ところで仕事は、昨年3月末で兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科の特任教授を退職し、名誉教授となりましたが、同年4月から鈴鹿医療科学大学大学院の客員教授を委嘱されました。この仕事では、通信教育のようにメールのやりとりを中心にして、社会人が主である大学院生の指導を行っています。
そのほかボケ防止のため,週に1回北千里にある囲碁クラブに出かけたり、やはり週に1回千里中央のヤマハ音楽教室でクラシックギターのレッスンを受けたりしています。
以上、遅くなりましたが、市岡東京12期会への欠席の連絡を致しますとともに、近況の一端をお知らせさせていただきました。
最後になりましたが、ご盛会を祈念致しますとともに、皆様によろしくお伝え下さるようお願い申し上げます。来年秋の大阪の同窓会には何とか出席できるように頑張りますので、その節にはどうぞよろしくお願いします。
萩原貞雄(8組)
毎日気温が大きく変化して身に着けるものの選択に苦労しております。
11日の東京12期会には出席の返事をしていましたがこのところ神戸に居る99歳の母親の調子が悪くいつどうなるか分かりません。
折角大阪から多数参加される由、参加したいのはやまやまですが今回は見合わせて頂きたくご連絡します。残念また貴殿のお誘いに沿えなく申し訳ありません。皆さんによろしくお伝えください。
(その後、残念なお知らせがあり、ご母堂様が12月1日に永眠されました。ご冥福をお祈りいたします。)
2018年1月1日
5組 山本(古荘) 久美子

毎年帰国する私を暖かく迎えて下さる大阪の同窓生の方々には、言葉に尽くせぬ感謝の気持ちでいっぱいです。
今年は、それにもう一つ、大きな出来事が加わりました。柏木赫子さんの熱心なお勧めで、東京12期会へ参加することになったのです。
私は新大阪から新幹線に乗り、柏木さんは名古屋から乗車。新幹線は早すぎて、ゆっくり長旅を味わうという雰囲気ではありませんが、それでも楽しいひと時でした。
新幹線の車窓から何十年ぶりかで見る富士山は、裾野まではっきり見え、荘厳な姿で私たちを魅了しました。
東京では児玉恭子さんが、御茶ノ水駅近くのホテルを予約してくださり、会場にも近くて大助かりでした。
御茶ノ水駅近辺は、いくつもの地下鉄道が網の目のように交差していると、テレビで見たことがあります。路線がくもの巣のように入り乱れていて、複雑な地下構造に驚きました。
半世紀前の「山手線」しか知らない私にとって、東京は一人ではどこへも行けないマンモス都市と化していました。名称が「地下鉄」ではなく、「メトロ」に変わったのはいつでしょう。私の住んでいる トロントの縦横2本だけの「地下鉄」からは、想像もできないような複雑さに驚いています。
東京12期会での皆さんとの再会は、私にとって卒業以来の事。
毎年会う大阪の人達も何人か参加されていて心強く、半世紀ぶりに会う東京の人達を覚えているかしらと
最初は不安でした。でも皆さん暖かく迎えて下さり、忘れていた高校時代の少年少女の面影も瞬時によみ返り、半世紀以上の歳月も吹っ飛んでしまいました。
皆さん和気あいあいとした雰囲気で、ずっと変わらぬ友情で結ばれているのだなと、羨ましくなりました。
会の後はみんなでカラオケ。 その夜は、高層ビルの夜景の美しいレストランでの食事とおしゃべり。翌日はスカイツリー見学と、盛り沢山の行事を組んで下さっていて、この上なく充実した時間を過ごすことが出来ました。スカイツリーから眺める東京のビル群は、まるでマッチ箱のよう。巨大化した東京は、私にとってまるで未知の“外国”です。特に最近の若者の言葉は、外国語のようでとてもついて行けません。

展望台での雑踏の中、やっとエレベーターを降りてほっとしたのもつかの間、当たりを見回しても顔見知りが誰もいないのに気が付いたのです。その辺を探し回り、空しく何度も店を覗き……。でも誰もいない。
すぐそばにあるエスカレーターを降りても、その後 行くべき場所がわからない。
ホテルに帰ろうかという考えも頭の隅に浮かんだのですが、その旨連絡する手段もない。


終戦直前、和歌山にいた時に迷子になり、よその家の軒下でシクシク泣いていた、おかっぱ頭の幼児だった私の姿が、擦り切れたフィルムのように脳裏に浮かびました。あの頃から全く成長していない私が情けなくもありました。
皆さんと会えて元気を取り戻したあとは、小春日和の中で楽しく過ごしたランチタイム。浅草の人ごみや、帰りの複雑な交通網の中、すっかり浦島太郎になった私は、また迷子にならないように、必死で皆さんの後をついて行きました。
皆様、たくさんの楽しい想い出をありがとうございました。
2018年1月1日
7組) 柏木(後藤) 赫子

トロントから帰国中の山本(旧姓:古荘)久美子さんをお誘いしての出席でした。
山本さんはカナダに移住して42年、毎年夏季休暇を利用して帰国され、倉森(旧姓:津田)田鶴子さん(5組)、私と三人一緒に友情を温めてきました。10数年前から関西近郊の同期生が集まり“古荘さんを囲む会”が発足。大阪、京都、神戸etc.でお食事会を重ねてきましたが、昨年より山本さんの帰国が秋となり、今回初めての同窓会参加となりました。
二人で上京する新幹線で、頂上に雪を頂いたそれはそれは美しい富士山を見ることが出来、又、11月11日、12号車、11番DE席という12期生の12、しかも11がトリプルという偶然が並び、何か良いことがありそうなワクワクした気分で東京駅に到着しました。
ホームで児玉(旧姓:青木)恭子さんの出迎えを受け、

参加者の近況に耳を傾け、和気あいあいと高校時代の思い出etc.(3時限と4時限の休憩時間に食堂に走り素うどんを食べたことなど)に花が咲きました。東京12期会は大阪の同期会と異なり小人数ですので、参加者がひとつにまとまり、会話が弾み愉しい時間が過ぎて行きます。
会の終了後、二次会は新橋に移動してカラオケタイム。久しぶりに山田正敏さんの“桂春団治”、四・八コンビ、張志朗さん酒井八郎さんの“涙をふいて”を聴かせて頂きました。お二人の強い友情と絆を聴く度に感じる曲です。女性陣も皆さんお上手なこと‼ 山本さんと私は唱歌“灯台守”を二部合唱しました。
夕食は新橋の高層ビルのレストランで、宝石をちりばめた様な夜景を見ながらお食事と会話を楽しみ、ホテルに着いたのは10時前。私達三人はクラブ(筝曲部)が一緒で山本さんと児玉さんは卒業以来57年振りの再会でした。三人寄れば“かしまし娘”ならぬ“かしましsenior women”で笑い転げて眠りに就き、一日目が終了。
翌12日も好天気‼ 9時半にスカイツリータワーの4Fフロアに14名が集合。エレベーターで展望台に上がり、再び富士山を目にすることが出来、巨大都市東京の大パノラマに圧倒されっぱなしでした。エレベータで5Fフロアまで下り、ひと休みしてタワーを後にしましたが、ここで予期せぬハプニングが起きました。
スカイツリータワーをバックに記念写真を撮ることになって、山本さんの姿が無いことに気付き血の気が引きました。この雑踏の中で彼女を探し出すことは至難の業。連絡を取る術が無い私は狼狽し、心臓がパクパクと動悸し慌てふためきました。張さん、泉さん、大石橋さんと一緒にタワーの方に戻り、泉さんは館内放送に走り、張さんは5Fフロアへ、大石橋さんと私はタワー周辺と手分けしました。間もなくすると「カナダトロントからお越しの山本久美子様、山本久美子様、泉様がお待ちです。受付カウンターまでお越しください」と、アナウンスが聞こえてきました。やがて「見つかった」との連絡が入り安堵したことは云うまでもありません。山本さん!!不安な思いをさせてしまって本当にゴメンナサイ。
全員が揃ったところでタワー近くのDOG・DEPT・CAFÉのテラスでランチ。お犬様用のメニュー(1200円)に驚き、日向ぼっこをしながら開放的なランチタイムを楽しみ、その後、徒歩で浅草・浅草寺へ。余りの人混みに日頃地方都市で静かに暮らす私は、人に酔ってしまいました。ここで皆様方とお別れし、私達3人はホテルに戻りました。
◎東京12期会に参加して
後期高齢者に突入して体調にも不安があり、今回が最後の出席と云う思いで上京しましたが、余りにも愉しくて、まるでseniorの修学旅行の様‼ 次回もぜひ出席したいと強く思いました。健康管理に徹して2年後に備えたいと思います。
今回、会長の大石橋さん、前会長の泉さん、事務局長の榎本さん、幹事長の山田さんには、大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。
See you again K.Kashiwagi
翌12日も好天気‼ 9時半にスカイツリータワーの4Fフロアに14名が集合。エレベーターで展望台に上がり、再び富士山を目にすることが出来、巨大都市東京の大パノラマに圧倒されっぱなしでした。エレベータで5Fフロアまで下り、ひと休みしてタワーを後にしましたが、ここで予期せぬハプニングが起きました。

全員が揃ったところでタワー近くのDOG・DEPT・CAFÉのテラスでランチ。お犬様用のメニュー(1200円)に驚き、日向ぼっこをしながら開放的なランチタイムを楽しみ、その後、徒歩で浅草・浅草寺へ。余りの人混みに日頃地方都市で静かに暮らす私は、人に酔ってしまいました。ここで皆様方とお別れし、私達3人はホテルに戻りました。
◎東京12期会に参加して
後期高齢者に突入して体調にも不安があり、今回が最後の出席と云う思いで上京しましたが、余りにも愉しくて、まるでseniorの修学旅行の様‼ 次回もぜひ出席したいと強く思いました。健康管理に徹して2年後に備えたいと思います。
今回、会長の大石橋さん、前会長の泉さん、事務局長の榎本さん、幹事長の山田さんには、大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。
See you again K.Kashiwagi
2017年12月1日
12月、師走です。月単位のものですが机の前のカレンダーも、最後の1枚になりました。予定欄に空白ばかりが目立つカレンダーで、何ほどのことでもないと言えばそうですが、ペラっと1枚になってしまうと、やはりどこか頼りない感じです。思わず“ あと一か月か ”とつぶやいてしまいますね。
風も冷たく、気温もぐっと下がったようです。大雪、冬至を経て、いよいよ本格的な冬将軍の到来となるのでしょうから、心身ともに暖かくして、今年1年をしめくくりたいと考えています。
今月号の記事でも触れていますが、市岡高校東京12期会に関西から、8名(代表幹事の酒井八郎君、末廣訂君、段中文子さん、原清明君、古藤知代子さん、鈴木政子さん、柏木赫子さん、筆者の張志朗)が
参加しました。そこにカナダから里帰り中の山本久美子(旧姓:古荘)さんも参加され、今回の東京12期会は一層賑やかで、楽しい同窓会になりました。その詳しい様子は報道文を読んで頂くことにして、ここでは新幹線の様子などに若干ふれたいと思います。
行き帰りともに、新幹線で同行したのは、酒井、末廣、原、古藤、鈴木、張の6名です。6名となれば、3人掛けを向かい合わせにした、ワンボックスです。修学旅行以来と言えば少々大袈裟ですが、年甲斐もなく気分はそれに近いもので、はた目を気にしながらもワイワイと楽しいものでした。
行きも帰りも、飲んでは喋り、食べてはまたお喋りで、話題はつきる事がありません。特に酒井君は、車内でのお酒や、あて、果てはデザートまでを、次から次へと出して来て、鈴木さんの言葉を借りれば、彼のカバンが「福袋のよう」なありさまでした。今回の東京行に際して、東京観光のガイドブックを二冊も買ってあれやこれやと思いをめぐらせていたそうです。原君は東京12期会に初めての参加です。また鈴木さんは、次は無いかも知れないと思っての参加だったそうです。
良い意味での「気のエエ大阪のおっちゃん」の心意気と「大阪のオバチャン」の元気を存分に見せてくれました。原君は「行って良かった。東京の皆さんには大変お世話になり、感謝、感謝。道中も良かった。特に行きの新幹線から見た、富士山は今までで最高やった」と喜んでいました。
8回目の東京12期会でしたが、今回は格別。日常生活のいろいろな場面や、特に健康面で加齢の坂が思いのほか厳しいと感じているだけに、同窓生とともにある事、そしてその友情のありがたさや、暖かさが身にしむようでした。何よりも、さりげない励ましと元気を一杯貰って帰ってきたようです。"市岡で学べて良かった”と、皆さんよくおっしゃいますが、今また、その幸運をしみじみと実感しています。
さて、「12期の広場」今月号のラインアップは以下の二編です。お楽しみ下さい。
1. 「第8回市岡高校東京12期会が開かれました」 ・・・・・・・・ 8組 榎本 進明
2. 「兵庫と奈良の『市岡歩こう会』に行ってきました。」 ・・・・・・・・・ 7組 張 志朗
以 上
風も冷たく、気温もぐっと下がったようです。大雪、冬至を経て、いよいよ本格的な冬将軍の到来となるのでしょうから、心身ともに暖かくして、今年1年をしめくくりたいと考えています。
今月号の記事でも触れていますが、市岡高校東京12期会に関西から、8名(代表幹事の酒井八郎君、末廣訂君、段中文子さん、原清明君、古藤知代子さん、鈴木政子さん、柏木赫子さん、筆者の張志朗)が

行き帰りともに、新幹線で同行したのは、酒井、末廣、原、古藤、鈴木、張の6名です。6名となれば、3人掛けを向かい合わせにした、ワンボックスです。修学旅行以来と言えば少々大袈裟ですが、年甲斐もなく気分はそれに近いもので、はた目を気にしながらもワイワイと楽しいものでした。
行きも帰りも、飲んでは喋り、食べてはまたお喋りで、話題はつきる事がありません。特に酒井君は、車内でのお酒や、あて、果てはデザートまでを、次から次へと出して来て、鈴木さんの言葉を借りれば、彼のカバンが「福袋のよう」なありさまでした。今回の東京行に際して、東京観光のガイドブックを二冊も買ってあれやこれやと思いをめぐらせていたそうです。原君は東京12期会に初めての参加です。また鈴木さんは、次は無いかも知れないと思っての参加だったそうです。
良い意味での「気のエエ大阪のおっちゃん」の心意気と「大阪のオバチャン」の元気を存分に見せてくれました。原君は「行って良かった。東京の皆さんには大変お世話になり、感謝、感謝。道中も良かった。特に行きの新幹線から見た、富士山は今までで最高やった」と喜んでいました。
8回目の東京12期会でしたが、今回は格別。日常生活のいろいろな場面や、特に健康面で加齢の坂が思いのほか厳しいと感じているだけに、同窓生とともにある事、そしてその友情のありがたさや、暖かさが身にしむようでした。何よりも、さりげない励ましと元気を一杯貰って帰ってきたようです。"市岡で学べて良かった”と、皆さんよくおっしゃいますが、今また、その幸運をしみじみと実感しています。
さて、「12期の広場」今月号のラインアップは以下の二編です。お楽しみ下さい。
1. 「第8回市岡高校東京12期会が開かれました」 ・・・・・・・・ 8組 榎本 進明
2. 「兵庫と奈良の『市岡歩こう会』に行ってきました。」 ・・・・・・・・・ 7組 張 志朗
以 上
2017年12月1日
8組 榎本 進明

当日は絶好の秋晴れで、国会議事堂、皇居、東京タワーなどが見える会場で、大石橋東京12期会会長の開会宣言、酒井代表幹事のご挨拶、泉君の乾杯から始まり、しばらく歓談のあと、恒例の全員のショートスピーチの開始です。


これは遠くから来た人からというのが慣わしで、最初はカナダからの山本さん、続いて広島から参加の辻君、というように遠方からの人が最初となりました。今年は人数が少ないので時間は気にせず進めたことが良くなく、近くの重松君以下4人の方が時間切れで話せなかったのは幹事・司会のミスでした。15:00終了予定が20分オーバーしました。すみませんでした。


あわただしく会が終わってしまって、そのまま帰られる方にはご挨拶もそこそこに、二次会会場の新橋へ。歩いて行ける距離ですが、お酒の入った年寄りがふらふらと団体で歩くのはご迷惑になると案内役の山田君が考えて、地下鉄ひと駅を電車にしました。
二次会のカラオケも盛り上がりましたが、そろそろお腹もすいたので夕食会の会場へ移動。泉君がセッティングしてくれた会場は、46階の夜景のきれいな場所で、騒ぎ過ぎてお腹のすいた面々は夜景に見とれてそれぞれが好きなものを召し上がりました。
お腹もいっぱいになったところでホテルに行くことになりました。慣れない街を歩くのは大変です。三井ガーデンホテルのネオンにつられて着いたところは「銀座」の方。泊まるのは「汐留」で、途端に疲れてタクシーで向かった。聞くところによると、ホテルでもやはり宴会をやったそうだが、さすがに翌日の行事を考えてか、原君は早々に寝入ったそうです。
翌日も秋晴れ。9時半には所定の場所に全員(14名)が集合。350mの展望デッキへ。富士山や遠くの方はカスミがかかりすっきりしていなかったが、「まあまあ」で見えただけで満足。



そうこうしているとお昼時。どこへ行っても14名が一緒に食事ができる場所はない。そこで浅草寺・雷門方面に歩いて5~6分のところにあるDOG・DEPT・CAFÉ(ワンちゃんと一緒にくつろげるドッグカフェ)のテラスに陣取って昼食会となった。2時間も立ち通しだったのでやれやれ。のどが渇いた、まずビール。ここは直射日光が当たり暑いぐらい。柱の陰が一番いい席。食事後もデザートを食べたりおしゃべりをしたりで動こうとしない。やっと動いたのは2時間半も経ったころ。
浅草寺の見学をして大阪行きの新幹線に乗ったのは17時前、皆さんご苦労さまでした。東京組も結構疲れたので、大阪組の人を心配しながら家路につくも、最寄り駅を寝すぎて乗り越したりしながらやっとたどり着いた次第。皆様、全員、ご苦労様でした。

(HP委員:関連記事を新年号に載せる予定です。)
2017年12月1日
7組 張 志朗
兵庫と奈良の「市岡歩こう会」の「秋のウォーキング」が開催されました。
兵庫市岡歩こう会は、生瀬~武田尾間、武庫川渓谷の「旧福知山線廃線跡ハイキング」(11月19日)、奈良市岡歩こう会は「談山神社の紅葉~飛鳥石舞台へのコース」(11月23日)です。4組の古藤知代子さんと一緒に両方とも行ってきました。
「旧福知山線廃線跡ハイキング」
19日は、前日からの雨も上がり、冷たい風がふいていましたが、おおむね晴れでした。集合は午前10時JR生瀬駅(宝塚の一つ先の駅)です。私は、次の駅の西宮名塩駅に住んでいますので、「廃線跡ハイキングコース」の入り口まで歩いて行き、そこから合流しました。参加者は市岡の同窓生とそのゆかりの方々、39名です。行程はJR武田尾駅までの約6kmです。

前半は武庫川渓谷を右に見ながら歩きました。コースは廃線跡ですからところどころ枕木が露出していて、足もとに注意が必要ですが、それはそれとしての“味”があります。
武田尾の山々は、ハゼやカシ、ところどころのモミジなどの紅葉真っただ中で、見事で美しい。また、それを背景にした渓谷は、キャンプや林間学校で訪れた時代の清流とは異なっていますが、数多くの巨石と滝のように流れ落ちる水しぶきなど、やはり渓谷の美しさそのものです。川鵜でしょうか、大きな魚を飲み込みながら泳いでいました。
小掠先生とご一緒しながら、紅葉と渓谷美を楽しみました。ここは、市岡高校生物部のフィ-ルドワ-クで良く訪れた場所だったそうです。蓬莱峡もすぐ近くで、フィ-ルドワ-クの後、そこでソフトボールを楽しんだと話しておられました。
大阪や神戸などの都市部から近いせいでしよう、ハイカーが多く、この日も別のグループにまぎれて、市岡のメンバーとはぐれ気味です。
対岸は岩の壁になっている所が多く、その岩も、形とひび割れが独特で変化に富んでいて面白い。初めて気がついたのですが、遠くに光りながら滝が流れ落ちるのが見えました。
6か所のトンネルを通りました。勿論、照明がなく、300m~400mのトンネルになると真っ暗です。皆さんご持参の懐中電灯で足元を照らしながら歩きます。時折、天井からの冷たい水滴に驚いた声が響きます。
トンネルは単線用ですから広くありません。また、古い時代のものですから、側壁は石積み、天井は煉瓦で仕上げているようです。姿、形が懐かしさを誘います。私は、蒸気機関車の時代が長かった旧福知山線で、武庫川沿いを走るこの区間が最も美しいと、今でも思っています。幼かった頃、煙に驚いては、慌てて窓を閉め、トンネルを出るや、開けた窓からのさわやかな風が吹き込み、旧式車両の丸天井に清流の照り返しと木々の緑が美しく映えたことを記億しています。
コースには、唯一の古びた鉄橋があります。ここから武庫川を左に見ながら歩くことになります。トンネルを抜けた所にあるこの鉄橋は、リベット(古い時代は鉄を接合するのにボルトではなく、これを使った)と鉄の組み立て部材で出来た橋で、“手作り感”が一杯、しかもレトロです。またこのコースの見どころの一つです。写真撮影の絶好ポイントということで、多くの人がカメラを手にしていました。
以前は、枕木の隙間から、下の渓流が見えた危なっかしい所でしたが、今は、安全な別の通路が作られています。
午後2時前、ゴールの武田尾の「親水公園」に到着しました。ここで自由解散でした。
私は古藤さんと一緒に、すぐそばの山の上にある「桜の園」まで足を延ばしました。ここは水上勉の「桜守」でも有名な笹部新太郎博士が、桜の演習林として作った「亦楽山荘」(えきらくさんそう)があった所です。急斜面を200mほど登るのですが、息が切れて展望あずま屋まで行き、引き返しました。ここには名前の通り、桜の木が沢山ありました。ヤマザクラが主で、それはそれは見事な巨木でした。また、展望台をはじめ、各所にいろはもみじの群生があり、その紅葉が絶景でした。
紅葉と渓谷の美しさと自然を満喫した一日でした。
「談山神社~飛鳥石舞台ハイキング」
23日も前日夜半から本格的な雨で、中止になるのではと心配したのですが、雨は上がり、曇天からのスタートです。時折、薄日が差すまずまずのお天気です。
近鉄桜井駅に9時20分集合という事で、いつもより早い6時前に起きて、7時に家を出ました。参加者は30名です。駅前から40分程バスに乗って、まずは談山神社に向かいました。
談山神社は初めてです。観光ポスターで見事な紅葉と十三重の塔の写真を見慣れていただけに、期待は大きいものがありました。思いのほか、山深い場所で、到着した広いバス停から、遠く紫色にかすむ山並みが望め、薄日さす中、その山並みに霧が筋状に立ち昇る景色には、道中が長かったせいもあったのか、奈良らしいと思わずにはいられませんでした。
神社は「「談(かたらい)の山」と「御破裂(ごはれつ)山」の南側の斜面一帯を境内とする大きな神社で、全山モミジの紅葉に染まっていました。赤、黄、そしていまだ紅葉していない薄緑とのグラデーションが実に見事です。本殿に向う長い石段から見上げる紅葉に、本殿回廊から見下ろす紅葉、十三重の塔に寄り添う紅葉に、木立を見通しながらの紅葉、そのどれをとっても名にしおう紅葉の美しさです。
入山時のパンフレットに「大和多武峰(やまととうのみね)談山神社」とあり、その横に「大化の改新発祥地」とありました。背後の山「談の山」の中で、中大兄皇子と中臣鎌足が「乙巳の変」についての談合を行なったと言われていることからだそうです。神社自体は中臣鎌足の長男である定慧和尚が678年に遺骨の一部を多武峰山頂に改葬したことが始まりのようです。
11時30分に石段で集合写真を撮って、いよいよ、飛鳥石舞台をめざすウォーキングの開始です。
神社前の坂道を登れば、後は下り坂と言われていましたが、この坂道がきつい。古い屋敷と大きな竹林、苔むした石積みを左右に見ながら、前傾姿勢でゆっくりと歩きました。坂の頂上が、神社の西門にあたる場所、石仏や石碑がありました。しかしゆっくり見る余裕がありません。
たしかに、ここから飛鳥石舞台までは下り道がほとんどで、登り坂の記憶がありません。車が通る一般道を避けて、林や森の中の細い道を歩くのですが、前日の雨に濡れた落ち葉が重なった下り道ですので、結構疲れました。ようやく、集落がある所にでたのが、上居地域で、めざす石舞台まであと一歩の所です。果樹園が多くあり、柿やミカンがたわわに実っていました。見事な瓦葺きの古い家が多く、中には反り返った立派な石垣を持つ家もありました。天気は、晴れたり曇ったり、冷たい風が吹き付けた所もあって、疲れもピークです。
午後1時半頃に石舞台地区の飛鳥歴史公園の入り口付近に到着し、公園のあずま屋で昼食をとりました。食後、恒例の自己紹介とショートスピーチがありました。参加者の内、最高齢者は86才の澤井さんです。その次が、5期の小掠先生で、その次が12期である私達でした。同窓会ではまだまだ、若い方と思っていたのですが、いつのまにか、年長者に仲間入りしていることに一寸うろたえながらも元気にウォーキングできることを改めてうれしく思いました。
ここで自由解散です。石舞台を見られる方、さらに足を延ばして、歴史遺跡を探訪される方など、思い思いに目的地に向かいました。
私が最後に石舞台を訪れてから50年ほどになるので、「特別史跡石舞台古墳」を拝観することにしました。
現在の石舞台は周辺に空堀を巡らせた、方形墳として整備されています。石舞台の石室は、ほとんど土に覆われ、玄室の天井の巨石のみが露出しているかっこうになっていて、初めて訪れた頃より小さく見えます。しかし、総重量2300tにものぼる威容は健在です。石室にも入りました。長さ7.7m、幅、3.5m、高さ4.7mの空間は、玄妙というしかありません。御存じのように被葬者は、6世紀後半にこの地で権勢をふるった蘇我馬子の墓と言われています。
石舞台周辺は国営歴史公園石舞台地区となっており、石舞台を中心に、広い範囲が整備されていました。各所にススキの群生があって、それが陽の光に輝きながら風にそよいでいます。北にむかってなだらかに駆け上がる斜面中腹に植えられた柿の実の赤が点々と際立ち、広々として穏やかな美しい景色になっていました。悠久の歴史、いにしえ人のたおやかな営みとその栄枯盛衰を見守った古代飛鳥は、どんな風だったのだろうとしばらく佇みました。
石舞台を後に、橘寺、亀石、天武・持統天皇陵をへて、中尾山古墳、高松塚古墳まで、4km程度歩きました。
高松塚古墳周辺も国営歴史公園高松塚周辺地区として整備されています。公園を取り巻く木々は、ここでも見事に紅葉していました。また落ち葉が分厚く降り積もった展望台は、ふかふかの絨毯そのものです。陽が西に傾き始め、晩秋の色は一層深くなっていくようでした。
石舞台で手に入れた明日香村観光マップのごく一部しか訪ねることができなかった、名残惜しさを胸に、近鉄飛鳥駅から帰路につきました。紅葉の美しさと、歴史ロマンにあふれる奈良の奥深さを実感した一日でした。
兵庫市岡歩こう会は、生瀬~武田尾間、武庫川渓谷の「旧福知山線廃線跡ハイキング」(11月19日)、奈良市岡歩こう会は「談山神社の紅葉~飛鳥石舞台へのコース」(11月23日)です。4組の古藤知代子さんと一緒に両方とも行ってきました。
「旧福知山線廃線跡ハイキング」
19日は、前日からの雨も上がり、冷たい風がふいていましたが、おおむね晴れでした。集合は午前10時JR生瀬駅(宝塚の一つ先の駅)です。私は、次の駅の西宮名塩駅に住んでいますので、「廃線跡ハイキングコース」の入り口まで歩いて行き、そこから合流しました。参加者は市岡の同窓生とそのゆかりの方々、39名です。行程はJR武田尾駅までの約6kmです。

前半は武庫川渓谷を右に見ながら歩きました。コースは廃線跡ですからところどころ枕木が露出していて、足もとに注意が必要ですが、それはそれとしての“味”があります。
武田尾の山々は、ハゼやカシ、ところどころのモミジなどの紅葉真っただ中で、見事で美しい。また、それを背景にした渓谷は、キャンプや林間学校で訪れた時代の清流とは異なっていますが、数多くの巨石と滝のように流れ落ちる水しぶきなど、やはり渓谷の美しさそのものです。川鵜でしょうか、大きな魚を飲み込みながら泳いでいました。
小掠先生とご一緒しながら、紅葉と渓谷美を楽しみました。ここは、市岡高校生物部のフィ-ルドワ-クで良く訪れた場所だったそうです。蓬莱峡もすぐ近くで、フィ-ルドワ-クの後、そこでソフトボールを楽しんだと話しておられました。
大阪や神戸などの都市部から近いせいでしよう、ハイカーが多く、この日も別のグループにまぎれて、市岡のメンバーとはぐれ気味です。
対岸は岩の壁になっている所が多く、その岩も、形とひび割れが独特で変化に富んでいて面白い。初めて気がついたのですが、遠くに光りながら滝が流れ落ちるのが見えました。
6か所のトンネルを通りました。勿論、照明がなく、300m~400mのトンネルになると真っ暗です。皆さんご持参の懐中電灯で足元を照らしながら歩きます。時折、天井からの冷たい水滴に驚いた声が響きます。

コースには、唯一の古びた鉄橋があります。ここから武庫川を左に見ながら歩くことになります。トンネルを抜けた所にあるこの鉄橋は、リベット(古い時代は鉄を接合するのにボルトではなく、これを使った)と鉄の組み立て部材で出来た橋で、“手作り感”が一杯、しかもレトロです。またこのコースの見どころの一つです。写真撮影の絶好ポイントということで、多くの人がカメラを手にしていました。

午後2時前、ゴールの武田尾の「親水公園」に到着しました。ここで自由解散でした。
私は古藤さんと一緒に、すぐそばの山の上にある「桜の園」まで足を延ばしました。ここは水上勉の「桜守」でも有名な笹部新太郎博士が、桜の演習林として作った「亦楽山荘」(えきらくさんそう)があった所です。急斜面を200mほど登るのですが、息が切れて展望あずま屋まで行き、引き返しました。ここには名前の通り、桜の木が沢山ありました。ヤマザクラが主で、それはそれは見事な巨木でした。また、展望台をはじめ、各所にいろはもみじの群生があり、その紅葉が絶景でした。
紅葉と渓谷の美しさと自然を満喫した一日でした。
「談山神社~飛鳥石舞台ハイキング」
23日も前日夜半から本格的な雨で、中止になるのではと心配したのですが、雨は上がり、曇天からのスタートです。時折、薄日が差すまずまずのお天気です。
近鉄桜井駅に9時20分集合という事で、いつもより早い6時前に起きて、7時に家を出ました。参加者は30名です。駅前から40分程バスに乗って、まずは談山神社に向かいました。

神社は「「談(かたらい)の山」と「御破裂(ごはれつ)山」の南側の斜面一帯を境内とする大きな神社で、全山モミジの紅葉に染まっていました。赤、黄、そしていまだ紅葉していない薄緑とのグラデーションが実に見事です。本殿に向う長い石段から見上げる紅葉に、本殿回廊から見下ろす紅葉、十三重の塔に寄り添う紅葉に、木立を見通しながらの紅葉、そのどれをとっても名にしおう紅葉の美しさです。

入山時のパンフレットに「大和多武峰(やまととうのみね)談山神社」とあり、その横に「大化の改新発祥地」とありました。背後の山「談の山」の中で、中大兄皇子と中臣鎌足が「乙巳の変」についての談合を行なったと言われていることからだそうです。神社自体は中臣鎌足の長男である定慧和尚が678年に遺骨の一部を多武峰山頂に改葬したことが始まりのようです。

神社前の坂道を登れば、後は下り坂と言われていましたが、この坂道がきつい。古い屋敷と大きな竹林、苔むした石積みを左右に見ながら、前傾姿勢でゆっくりと歩きました。坂の頂上が、神社の西門にあたる場所、石仏や石碑がありました。しかしゆっくり見る余裕がありません。
たしかに、ここから飛鳥石舞台までは下り道がほとんどで、登り坂の記憶がありません。車が通る一般道を避けて、林や森の中の細い道を歩くのですが、前日の雨に濡れた落ち葉が重なった下り道ですので、結構疲れました。ようやく、集落がある所にでたのが、上居地域で、めざす石舞台まであと一歩の所です。果樹園が多くあり、柿やミカンがたわわに実っていました。見事な瓦葺きの古い家が多く、中には反り返った立派な石垣を持つ家もありました。天気は、晴れたり曇ったり、冷たい風が吹き付けた所もあって、疲れもピークです。
午後1時半頃に石舞台地区の飛鳥歴史公園の入り口付近に到着し、公園のあずま屋で昼食をとりました。食後、恒例の自己紹介とショートスピーチがありました。参加者の内、最高齢者は86才の澤井さんです。その次が、5期の小掠先生で、その次が12期である私達でした。同窓会ではまだまだ、若い方と思っていたのですが、いつのまにか、年長者に仲間入りしていることに一寸うろたえながらも元気にウォーキングできることを改めてうれしく思いました。
ここで自由解散です。石舞台を見られる方、さらに足を延ばして、歴史遺跡を探訪される方など、思い思いに目的地に向かいました。
私が最後に石舞台を訪れてから50年ほどになるので、「特別史跡石舞台古墳」を拝観することにしました。
現在の石舞台は周辺に空堀を巡らせた、方形墳として整備されています。石舞台の石室は、ほとんど土に覆われ、玄室の天井の巨石のみが露出しているかっこうになっていて、初めて訪れた頃より小さく見えます。しかし、総重量2300tにものぼる威容は健在です。石室にも入りました。長さ7.7m、幅、3.5m、高さ4.7mの空間は、玄妙というしかありません。御存じのように被葬者は、6世紀後半にこの地で権勢をふるった蘇我馬子の墓と言われています。
石舞台周辺は国営歴史公園石舞台地区となっており、石舞台を中心に、広い範囲が整備されていました。各所にススキの群生があって、それが陽の光に輝きながら風にそよいでいます。北にむかってなだらかに駆け上がる斜面中腹に植えられた柿の実の赤が点々と際立ち、広々として穏やかな美しい景色になっていました。悠久の歴史、いにしえ人のたおやかな営みとその栄枯盛衰を見守った古代飛鳥は、どんな風だったのだろうとしばらく佇みました。
石舞台を後に、橘寺、亀石、天武・持統天皇陵をへて、中尾山古墳、高松塚古墳まで、4km程度歩きました。

石舞台で手に入れた明日香村観光マップのごく一部しか訪ねることができなかった、名残惜しさを胸に、近鉄飛鳥駅から帰路につきました。紅葉の美しさと、歴史ロマンにあふれる奈良の奥深さを実感した一日でした。
2017年11月1日

また、いつもなら紅葉の美しさに目をうばわれる時節ですが、気持ちに余裕がないせいもあってか、傘をさしては、足もとばかりをみる始末で、口惜しい気持ちで一杯です。とは言っても、時の移ろいはしっかりしているようで、テレビで見る全国各地の紅葉は見事と言うほかありません。
今月の私の「市岡カレンダー」に奈良、兵庫の「市岡歩こう会」の秋の例会があります。奈良は「談山神社」がそのコース、兵庫は武田尾渓谷の「旧福知山線廃線跡」で、双方とも名にし負う紅葉の名所。好天を祈って存分に紅葉を楽しみたいと思っています。
先月号のラインアップで、市岡東京12期会会長の大石橋君の奥様である、あい美沙子さんのシャンソンコンサートの話を書きましたが、10月8日、川村浩一君と段中文子さんを誘って行ってきました。こじんまりした会場での公演で、久しぶりに心の洗濯ができたようです。少々おこがましいとは思いますが、あい美沙子さんのシャンソンが一層奥深くなり、迫力が増したと実感しました。
やはりシャンソンはしみじみとした味わいがあり、秋に似合いのものですね。
11日に開かれる第8回の「市岡東京12期会」に、関西から一泊泊りで8名が行くことになりました。神戸・大阪発が7名、三重発が1名です。今回、こうして参加者がふえた理由のひとつに、元気な内に皆さんに会っておこうという気持ちがあるようで、ちょっと複雑です。しかし一人でも多くの学友が集えるのは何にましても喜ばしいことです。
神戸・大阪組の内、6名は行き帰り共に、新幹線の6名掛けのワンボックスを予約しています。一寸した同窓生の小旅行です。また東京の学友との再会に今からそわそわしています。その顛末の一部始終と、「12期会」の詳細報告は12月号の「広場」でご紹介します。楽しみにしていて下さい。
さて、わが「12期の広場」今月号のラインアップは以下の通りです。二編ともの報告文ですが、お楽しみ下さい。
1. 「山本久美子(旧姓:古荘)さんの歓迎食事会」
2. 「マルオヒロカズ ガラス絵展 」に行ってきました。
以 上
2017年11月1日
10月20日の夜、カナダから帰国されていた、5組の山本久美子(旧姓:古荘)さんを迎えての歓迎食事会がありました。 

ご存知のように山本さんは40数年前、ご主人とカナダに移住されて、現在トロントに住んでおられます。また例年、この時期に休暇を取り、ご主人とともに日本に里帰りされています。仲良しの柏木赫子(7組)さんのお声かけもあって、毎年、12期同窓生有志の「歓迎食事会」を開いてきましたが、それも10年を越え、今や秋の恒例行事になりました。
6時にヒルトンホテルのロビーで待ち合わせ。皆さん、集まるたびに握手をし、歓声を上げて1年ぶりの再会を喜んでいました。お初天神通りの「がんこ」が食事会の場所です。
ここには、山本久美子さんを中心に、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、田端建機君、木本みつるさん、柏木赫子さん、張志朗(7組)、川村浩一君、塩野憲次君
末廣訂君(8組)の11名が参加しました。毎回参加してきた川副研治君は、残念ながら体調不良で参加できませんでした。
まず、遠来の友を歓迎して、末廣君が乾杯の音頭を取り、食事会が始まりました。酒井君は、自営の店を出る直前にお客さんが来られ、その対応で20分程遅れました。
いつものことながら、同窓生が集うとそのお喋りは楽しく盛り上がります。
参加者全員が、歓迎の気持ちをこめてショートスピーチをしました。近況報告が主でしたが、内容は、主に健康や趣味、そしてボランティアの話や仕事の話などでした。
山本さんはトロントのカレッジで日本語の先生を続けておられます。そろそろ辞め時かと考えておられたとの事ですが、リーダーをしておられた最高齢の先生がリタイヤされ、その役職が回ってくるようで、今しばらくは続けなくてはならないようだと話していました。近年痛められた足の方もかなりよくなっておられるようで、それ以外は、健康そのもののように拝察しました。久しぶりに歩いた梅田界隈がすっかり変わってしまったと、驚きながら、駅前の木造の「旭屋」はどうなったのでしょうかなどと、なつかしく思い出しておられたようです。いまや、山本さんは「日系カナダ人」、カナダの日系社会では「オ-ルドカマ-」です。年齢を重ねるごとに、日本を思う気持ちが強くなっておられるようで、帰国前にいただいたメールでも、日本各地で続いた豪雨被害に胸を痛めておられました。
「友、遠方より来る。愉しからずや。」は一致した感慨、また末廣君の「この集いがこれからも永く続くように」の言葉は全員共通の気持ちです。
9時半ころ、「歓迎食事会」はお開きとなりました。「がんこ」の店先で、記念撮影をしました。ご覧ください。またすぐ近くの「お初天神」に全員でお参りしました。
この日は、暑いくらいの秋晴れでしたが、夜風はやはり秋のそのもの。すがすがしい気持ちとなごり惜しい気持ちで再会を約束しました。 (張志朗 - 記 )



ご存知のように山本さんは40数年前、ご主人とカナダに移住されて、現在トロントに住んでおられます。また例年、この時期に休暇を取り、ご主人とともに日本に里帰りされています。仲良しの柏木赫子(7組)さんのお声かけもあって、毎年、12期同窓生有志の「歓迎食事会」を開いてきましたが、それも10年を越え、今や秋の恒例行事になりました。
6時にヒルトンホテルのロビーで待ち合わせ。皆さん、集まるたびに握手をし、歓声を上げて1年ぶりの再会を喜んでいました。お初天神通りの「がんこ」が食事会の場所です。
ここには、山本久美子さんを中心に、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、田端建機君、木本みつるさん、柏木赫子さん、張志朗(7組)、川村浩一君、塩野憲次君
末廣訂君(8組)の11名が参加しました。毎回参加してきた川副研治君は、残念ながら体調不良で参加できませんでした。
まず、遠来の友を歓迎して、末廣君が乾杯の音頭を取り、食事会が始まりました。酒井君は、自営の店を出る直前にお客さんが来られ、その対応で20分程遅れました。
いつものことながら、同窓生が集うとそのお喋りは楽しく盛り上がります。
参加者全員が、歓迎の気持ちをこめてショートスピーチをしました。近況報告が主でしたが、内容は、主に健康や趣味、そしてボランティアの話や仕事の話などでした。
山本さんはトロントのカレッジで日本語の先生を続けておられます。そろそろ辞め時かと考えておられたとの事ですが、リーダーをしておられた最高齢の先生がリタイヤされ、その役職が回ってくるようで、今しばらくは続けなくてはならないようだと話していました。近年痛められた足の方もかなりよくなっておられるようで、それ以外は、健康そのもののように拝察しました。久しぶりに歩いた梅田界隈がすっかり変わってしまったと、驚きながら、駅前の木造の「旭屋」はどうなったのでしょうかなどと、なつかしく思い出しておられたようです。いまや、山本さんは「日系カナダ人」、カナダの日系社会では「オ-ルドカマ-」です。年齢を重ねるごとに、日本を思う気持ちが強くなっておられるようで、帰国前にいただいたメールでも、日本各地で続いた豪雨被害に胸を痛めておられました。
「友、遠方より来る。愉しからずや。」は一致した感慨、また末廣君の「この集いがこれからも永く続くように」の言葉は全員共通の気持ちです。
9時半ころ、「歓迎食事会」はお開きとなりました。「がんこ」の店先で、記念撮影をしました。ご覧ください。またすぐ近くの「お初天神」に全員でお参りしました。
この日は、暑いくらいの秋晴れでしたが、夜風はやはり秋のそのもの。すがすがしい気持ちとなごり惜しい気持ちで再会を約束しました。 (張志朗 - 記 )

2017年11月1日

岸川君は「ガラス絵展」が初めてで興味津々。会場は大阪市内の谷町4丁目近くのカフェ&ギャラリーの「路地カフェ」です。文字通り、ビルの谷間の「路地」の突き当りで、木造平屋の工場をセンス良くリニューアルしたスペースでした。木造の屋根トラスをあらわしに、そこに今風の照明器具と天井回転翼が温かい雰囲気をかもしだしていて、圓尾君の人柄と「イーハトーブ」と題する「ガラス絵展」にピッタリの会場でした。
宮澤賢治の世界に材をとったガラス絵が16点、不思議の国のアリスに材をとった小品のガラス絵が6点、その他に油彩が2点、展示されていました。
たくさんの方々が見にきておられ、なかなかの盛況。子供を連れてこられた方もおられて、アットホームな「ガラス絵展」でした。
私は「ガラス絵展」を見るのは二回目です。圓尾君の話によると、ガラス絵は4層構造になっているそうです。ほとんどの作品が、背景に多様なホログラムシートを使用し、それから隙間をあけてガラスをはめ込み、それに絵を画いています。ガラスには両面から絵が描かれており、絵の具もさまざまな種類を使われていました。ステンドグラスのようにしっかりと縁取りされたもの、薄く彩色され背景が透けて見えるものなどがあります。一般的な油彩の布カンバスとは異なり、独特の魅力がありました。

圓尾君から岸川君とともに「鹿踊り」の前に立っていろいろ話を聞かせてもらいました。
圓尾君と岸川君は学部はことなりますが、大学が同じです。なつかしい大学時代の話、特に学生寮の今と昔に話がはずんでいました。訪れた日が異なりますが、八島平玐君も同じ大学です。
岸川君は「絵画制作に打ち込んでいる圓尾君の姿とその作品に感動」と話していました。久しぶりのことですから圓尾君と3人で一献酌み交わしたいと思っていたのですが、多くのお客さんが居られたので誘うのを遠慮して、岸川君と二人で一杯やって帰りました。
私は、「ガラス絵展」に先立ち、9月20~24日に開かれていた、「第77回関西美術文化展」の圓尾君の出品作品を見に行っています。その時の作品「かはづ問答」を貼り付けますので、併せてご覧ください。
(左が「かはづ問答」で右がガラス絵の「鹿踊り」です。)
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