12期の広場

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「12期の広場」 9月号のラインアップ

 9月、長月(ながつき)です。残暑はあいもかわらず、厳しいようですが、9月の声を聞くと気分は、少し変わりますね。
 8月号で「夏の想い出」に触れましたが、今夏の甲子園の熱闘は、高校球児は勿論のこと、高校野球ファンに印象深い記憶と大きな感動を呼び起こし、忘れがたい思い出になったようです。私といえば耐え難い暑さや天候不順に辟易、高校の夏休みの宿題をS君と徹夜で仕上げたことばかりを思い出し、そのギャップに笑ってしまいます。
 先日、美しいヒグラシの鳴き声をききました。そこかしこの蝉しぐれがようやく静まった夕暮れ時、木立にこだまするようにその声が降ってきました。なんとも言えない清涼感にあふれ、またどことなく儚げです。体に沁みいるようでした。蝉の季語は夏または晩夏、ヒグラシは秋とありました。今更ながらですが、晩夏から初秋へのあわい、それが今、今日からの9月なのですね。
 7月23日(日曜日)の朝日新聞(朝刊)「自遊時間」欄に、6組の井東一太郎君の図書ボランティア活動が紹介されました。タイトルは「本と一緒に笑いも皆さんのもとに」です。L版くらいの大きさの写真に彼の笑顔が写っていました。新聞からスキャンしたものをここに貼り付けます。
 内容は井東君が2003年から続けている図書ボランティアと市内の介護老人保健施設「健勝園九条」の入居者との交歓を紹介する記事です。図書ボランティアは、図書館に足を運ぶことが難しい高齢者へ、図書館の出前よろしく、本を届けるボランティアだそうです。記事によりますと「本を貸し出すだけではない。童謡を歌ったり、紙芝居を読んだり。井東さんは手品をも披露する。たたんだ新聞紙に水を流し込んで再び出す手品だが、おぼつかない様子に会場は大笑い。『失敗しても良い。笑ってもらわな』」とありました。一度、二人で一杯飲んだ事がありますが、井東君にはやはり楽しい笑いが良く似合うようです。同窓生からの訃報や入院中などの知らせが続く中、愉快で明るい話題にほっこりとしました。
 
 さて、わが「12期の広場」9月号のラインアップです。以下の3篇をお楽しみ下さい。

  1.    「(株) ツーセル(社長:辻紘一郎)、大塚製薬と連携」
  2.   「第3回 美術文化の作家展」      ・・・・・・・・・・・・・・・   8組   榎本 進明
  3.   「マルオヒロカズ ガラス絵展」のご案内

                          以 上

(株) ツーセル(社長:辻紘一郎)、大塚製薬と連携

 
 辻紘一郎君(8組)が社長をしている、広島大学発ベンチャーの(株)ツーセル(広島市)がその業績を順調に伸ばしています。
 5月15日、大塚製薬によるツーセルの株式引受と再生医療での連携が発表され、それについての新聞報道資料などを6月に頂きました。
 これでツーセルは大塚製薬から新たに3億円の出資(出資比率3%)を受けることになります。またアルツハイマー病や中枢神経の障害に伴う病気を治療するための治療薬の開発の事業化が大きく前進することになります。
 以前「12期の広場」で中外製薬との膝軟骨再生治療のライセンス契約について紹介していますが、今回の大塚製薬との連携は、アルツハイマー病や脳梗塞など中枢神経疾患領域の再生治療および創薬にかかわる分野です。
 資料によりますと、大塚製薬樋口達夫社長は「このたびの連携強化が、ツーセル社の再生医療技術による新たなカテゴリーの製品創出につながり、現状の治療法で満たされない脳梗塞を含む中枢神経領域の治療にさらに貢献できることを期待している」としています。
 またツーセルの社長の辻紘一郎君は「介護ゼロの社会を実現可能にするため、『軟骨』と『脳梗塞』にたいする研究は、私が20年間続けてきた主な研究テーマです。このたびの契約締結で『再生医療によって寝たきりを防ぐ』という目標に大きく近づき、多くの患者さん達に貢献できると考えております」と述べています。
 辻紘一郎君は、2003年に創業した(株)ツーセルを14年にわたり、社長として牽引してきました。その合言葉は“広島を世界の再生医療の拠点の一つにする”ことだそうです。
 昨今、再生医療の進化は、実にめざましいものがあります。その中にあって、(株)ツーセルが確かな実績でその一翼を担い、またそれを我が同窓生の辻紘一郎君が牽引している訳ですから、頼もしく、誇らしいかぎりです。
 前々回の同窓会の特別講演で辻紘一郎君が「人の自然治癒力と再生医療」について熱く語ってくれた姿を思い出します。
 何を聞いたのか多くは忘れてしまいましたが、辻君の講演が揺らぐことのない「ヒトへの信頼感」に貫かれているとの記憶が残っています。
 今回の連携を含め、「介護ゼロの社会を実現可能にするため」との高い目標とそのための努力が、さらなる飛躍を遂げることを祈念しながら、ここに紹介いたします。(文責: 張 志朗 )
 

第3回 美術文化の作家展

8組 榎本進明
 去る8月21日(月)東京みゆき通りの「銀座ギャラリー 向日葵」で行われました。
圓尾君からは1ヶ月ほど前にお誘いをいただいたので、初日のパーティーに出席しました。
集まった同期生は、平松、大石橋、山田、榎本、西條、萩原の6名。圓尾君を入れて7名の同期会となりました。
 早速作品を拝見。彼から「何か評してほしい」と言われても我々は評するほどの力量もなく、同期のよしみで遠慮なく「いつもと変わらない」とか「子供は孫か?」とか「墨ですか」とかたわいもないことを聞くだけ。今まで聞かれたこともなかったので、芸術鑑賞のセンスのなさを暴露。
今後、上の人物(孫)の左右に1枚ずつ絵を足して完成形にする構想があるようです。
  話し込んでいるうちにパーティーの開始です。リーダーの浅野さんのご挨拶の中で、この会の設立趣旨は日本中の優秀な作家の掘り起こしと援助であると仰っていました。そして、乾杯のあと、全16人の出展者が作品の紹介と説明をされ談笑となりました。
 紹介された中で印象に残った数人の方をご紹介します。岡山のかたで、ご自宅が全焼となり作品も焼け、今回の出展は難しいと連絡があったのですが、しかし
小さな作品なれど、頑張って送ってくださった作品「祈り」がありました。
 

「マルオヒロカズ ガラス絵展」のご案内


 6組の圓尾博一君の個展が開かれます。今回は「イーハトーブ」と題した、ガラス絵展です。
 日時は10月の10日から21日まで。場所は大阪市中央区内久宝寺町の「路地カフェ」です。(地下鉄谷町6丁目下車、長堀通りとの交差点の北側。添付した案内図をご覧ください。)
 御存じのように、イーハトーブは宮沢賢治文学に表れるドリームランド。
案内状に「イーハトーブで生まれた青い交流電燈のおはなしをガラス絵にしました。“どなたもおいでんなさい”」とありました。
 興味津々です。東京についで大阪での個展と、精力的に創作を続ける圓尾君ともここしばらくお会いしていません。是非、この個展に行って見たいと思っています。同窓生とご一緒できればと、ここにご案内いたします。
 ちなみに15日の日曜日はお休み。また、土曜日は10時から、平日は13時から圓尾君が会場に居られるそうです。



 
 

「12期の広場」 8月号のラインアップ

 8月です。
 空は真っ青に晴れ渡り、早朝から蝉しぐれの大音量です。日差しがじりじりと肌をこがして、あっと言う間に汗がしたたり落ちます。近くの小学校からは、夏休みのプール開放を楽しむ子供たちの歓声が聞こえてきます。まさに盛夏、猛暑日が続いています。予報によるとこの夏の暑さが例年に比べて長く続くといいます。少々、うんざりしてしまいますね。
 
 それにしても7月の日本各地の豪雨とそれによる被害、とりわけ惨い土砂災害のニュースには言葉がありません。特に九州朝倉市と東峰村の惨状には「こんな事が起こり得るのか」とテレビ画面にくぎ付け状態でした。多くの人命が失われたこと、倒壊した家屋と数知れない流木と深さが2.0mはあると思われる堆積土砂の映像には呆然としてしまいました。その後、秋田でも大規模な豪雨被害が続きましたが、これらの豪雨被害が地域性のある偶発的災害でない事が明らかになっているように思えるだけに、決して人ごとではないとの不安が大きくなります。
 局地的ゲリラ豪雨、積乱雲の連続現出と線状降水帯、海水温の2℃上昇など、さまざまな気象観測結果からの解説は、お茶の間にも溢れていて、それなりに合点が行きます。さらに地球温暖化の影響もあると報道されているだけに、考え込んでしまいますね。
 酷暑のなかの復旧・復興ですが、被災地の皆さんには、お身体大切に頑張って頂きたいと願うばかりです。
 
 暦では8月は晩夏、暑中ハガキも残暑見舞いです。この夏が「行く夏」であることだけは間違いありません。“夏の想い出”などと歌われるのも過ぎ行く夏のこと。そして8月の風物詩である花火、夜店、盆踊り、お盆の送り火なども、炎暑と喧騒が治まって行くことを予感させてくれるもののようです。
 海へ山へと、盛夏を頑張って楽しむ体力はありません。せめて「行く夏」を楽しむ気持ちだけは大切にしたいなどと考え、この暑さをしのぎたいと思っています。 はてさて如何なりますやら・・・。
 
 さて、わが「12期の広場」8月号のラインアップは以下の二編です。お楽しみ下さい。
 
1.「第8回「市岡高校東京12期会」のご案内」
2.「東京市岡会に参加しました」・・・・・・・・・・・・・・・・8組 榎本進明
 

                               以 上

 

第8回「市岡高校東京12期会」のご案内

 
平成15年11月7日の第1回東京12期会 写真  東京駅 11階 ルビーホール にて
 約15年ほど前のなつかしい写真で、東京12期会も第8回を数えるのですね。すでに亡くなられた同窓生の顔もみえます。今回もたくさんの同窓生とお会いできることを楽しみにしています。

 
 前回、第7回から2年経ち、今年は第8回目の東京12期会開催の年であります。
東京は3年後のオリンピック開催や、築地市場移転の問題の絡みで、益々騒がしくなっていますが、皆さんいかがお過ごしですか。 多分、お元気でお過ごしのことと存じますが?
 男性も、女性も、それぞれ精神的、体力的にも、経年劣化は、現実として認めざるを得ませんが、当日は皆さん、76才 同期の戦士。ワイワイガヤガヤ、日頃の鬱憤を晴らし、楽しくやろうじゃありませんか。
 と、いう訳で、どうか万障お繰り合わせの上、御参加いただきます様 ご案内申し上げます。
 

1.日 時: 平成29年11月11日 (土) PM 1.00~3.00
2.会 場: 千代田区霞が関3-2-5  霞が関ビル 35F
東海大学校友会館 「三保の間」 ※ 今回 会場が変わりました
(東京駅→JR新橋駅→地下鉄銀座線虎ノ門 (1駅)・・・11番出口、徒歩3分)
3.会  費 : @7,500円程度
4.二次会 : 皆様の希望があればカラオケクラブを用意します。
5.その他: 出席者の近況報告。又、現在進行中の「多摩川の川歩き」の報告があります。
6.出欠の返事 : まことに申し訳ありませんが、返信用のハガキを用意しておりません。
​ご返事は下記までお願いいたします。
ハガキ、TEL、FAX、携帯メール いずれでも結構です。
 
出席のご返事は9月中旬までにお願いいたします。
※連絡の宛先 : 山田 正敏
以上
注記:山田正敏君の連絡先は個人情報であることから割愛しました。
ご諒解をお願いいたします。― HP委員

 

東京市岡会に参加しました

8組 榎本進明

舞洲での満開のお花見。
中央・福島校長、右・佐藤同窓会長、左・筆者

 平成29年7月1日(土)は、第58回を迎える「東京市岡会」でしたが、いつものように、いつもの時間の9時頃、家を出る。今年は、筆者にとってはいつもとは違った同窓会になって、期をまたいだ交流ができた。
 最初のミニツアーでは、卒業50周年を迎えられた19期の大山泰正さんと大石薫さんとの出会いだった。小雨降る東急東横線・代官山駅に10時集合でミニツアーが始まった。参加者は3名。
 いつもより少ないのはお天気のせいか。大山さんは大阪から、大石さんは名古屋から。大山さんは此花市岡会の会長をされている。「4月9日に舞洲に行きましたよ」と話しましたら、「ありがとうございました。今年の桜は最高でしたね。来年もお待ちしています」と言われて、舞洲と此花市岡会とのよもやま話となった次第。

19期の左・大山さんと、大石さん    
 このミニツアーは、高校15期の近藤太一さんの案内で毎年楽しんでいる。彼は「おかやま観光特使」もされている。このツアーは都内の近辺を歩いて回るのが特徴。いい運動になるが毎年7月なので汗をかくのがつらい。代官山駅を10:00に出発して、西郷公園~朝倉邸~恵比寿公園~恵比寿神社~サッポロビール工場跡でビールの試飲をしてJR恵比寿駅から新宿へ。会場の新宿三井ビルでの同窓会に参加。 
 
河合さん、宇賀神さん、元野球部員

 参加者は80名。来賓として大阪から福島校長。佐藤同窓会長が出席。野球部の河合孝元監督、宇賀神現監督も参加。河合さんは今年高野連から「育成功労賞」を授与された。宇賀神充利さんとは、高校野球のすばらしさについて話に花が咲きました。12期生の参加者は二人で、中柴君は幹事さんに頼まれたのか写真係で動き回って話もできず。しかし、このおかげでお話をするのは全て「他の期」の同窓生となったのである。
筆者はミニツアーとビールの試飲で会の始まる前から心地よく疲れて一休みといった具合。
新会長の小野さんと、左・副会長の梅本さん


 会の冒頭、副会長の15期北浦光昭さんが昨年亡くなられたとのお知らせがありショックだった。又、毎年のように大阪から参加されていた副会長の15期河村美恵子さんも亡くなられたと佐藤会長よりお聞きして、ダブルショックを受けました。去年もお目にかからなかったので、どうされたのかなと思っていましたが残念です。ご冥福をお祈りしたいと思います。
 このような状況のもと、会長の8期菊川忠雄さんは健康の不安で辞任され、後任の会長に11期の小野恵嗣さんが就任されました。
 
同窓生と談笑する福島校長は大人気
44期柴崎さんから本の贈呈がありました
44期多田智美さん、司会と掛持ちで大活躍
締めはやはり佐藤同窓会長の三々七拍子
 
 同窓会も終わり解散となった16:00頃、今から高田馬場に行くんだという集団が輪になっていた。見ると司会や琵琶演奏で忙しく動き回っていた多田さん他44期の皆さんや、4年前に知り合った31期の豊川さん、24期の井原さんは20年前の平成9年から司会をなさっていて、筆者も存じ上げている方がいらっしゃるので、それではと厚かましくも「二次会」についていった。いわゆる単なるカラオケを含む飲み会コンパかと思っていたのが大間違いの「会合」でした。
 場所は高田馬場の駅近くにある44期の向井直也さんの事務所でした。コンビニから飲み物とつまみを買ってきて、10数名がいろいろ話し合いをしました。「なぜ東京に出てきたのか」「今まで何をしていたのか」「これから何をしたいのか」「偉大な先輩は」等々、自分のこと、同窓会のこと、皆さんが熱心に話されました。私の思惑は大外れ。真面目な人たちのお話を聞いて大いに反省しました。一番の年寄りの12期から一番若い44期まで、3時間ほどがあっという間に過ぎていました。帰りの電車ではさすがに疲れてしまったが、なぜか頭は冴えていたのを思い出します。同窓会をもっと素晴らしくできる。マンネリ化にはならない方法もある。若い力を確実に感じた。「11月11日(土)に東京12期会があるのだけれど」と言ったら「呼んでいただいたら参加したい」と言われました。声をかけてみようかな?と考えている。これから幹事と詰めてみることにしよう。

「12期の広場」 7月号のラインアップ

 7月、文月です。何故「ふみづき」かと思えば諸説あるようで、「穂見」(ほみ)からきていると書かれているのを見つけ納得。いよいよこれからが猛暑、酷暑の夏本番です。
 カラ梅雨かと思われたお天気も、ここに来てようやく梅雨らしい雨が続いています。しかし降り出せば、恵みの雨どころか天上の底が抜けたような豪雨になり、それによる土砂災害の心配で不安になりますね。
 7月の暦を繰ってみました。7月の2日が半夏生、7日が小暑と七夕、15日がお盆で、17日が海の日、23日が大暑とありました。大暑のあたりが天神祭になり、大阪でもっとも暑い時期とされています。暑いのはかなわないと思いながら、これも夏の常、酷暑への心構えだけはと、気を引き締めています。
 「広場」の編集にかかわっているせいでしょう、学友からの連絡が二つありました。
 一つは「市岡東京12期会」の同窓会の日時連絡です。11月11日(土曜日)に開催されることが決まりました。大阪とは隔年開催の東京の同窓会ですが、今年もまた、関東在住の学友の皆さんと再会できると思うと、気持ちも晴れます。現在、案内状の作成など、その準備を進めているようです。詳細がわかり次第、また「12期の広場」でご案内致します。なにかとお忙しいでしょうが、予定表に記入して、是非ご参加下さい。
 もう一つは、7組の大西佑治君(市岡中学出身)からのメールです。驚きました。
 そのメールによりますと、平成26年、急性心筋梗塞で倒れ奇跡的に命をとりとめた後の今年4月、体調を崩し検査した所、「膠原病」、それも稀で非常に厄介な結節性多発動脈炎(PN)であることが判明したそうです。また入院後、悪性の胃癌があることも分かり、現在、闘病中であると言うことです。
 筆者は大西君と同じクラスで、卒業後、東京市岡12期会同窓会ほかで二、三回お会いしています。理性的で前向きな人物で、社会に出ても立派に実績を積んでこられたと拝察しています。
 老境にあって病にとりつかれることは、誰にでもあり得ることと思いつつも、大西君の現状は、過酷に過ぎると言わざるを得ません。彼のメールの末尾に「必ず半年~1年後くらいには退院して皆さん方と談笑します。」とありました。その強い意志とその言葉の通りの回復が一日でも早くなるように祈りたいと思っています。

 さて、わが「12期の広場」7月号のラインアップは以下の通りです。
 記事は兵庫市岡歩こう会の30回記念ウォーキングの報告と前号に続いての奈良市岡歩こう会の「しまなみ海道を歩く」の報告の二編です。お読みください。

1. 「兵庫市岡歩こう会に参加しました。」            5組  段中 文子
2. 「しまなみ海道を歩いてきました」- ②           7組  張 志朗

                              以上

兵庫市岡歩こう会に参加しました。

5組  段中 文子

 
 
木漏れ日の道。左側は森閑とした杉木立でした。
 

 今回は「兵庫市岡歩こう会」15年目の第30回という記念すべき会で、6月4日(日曜日) 晴天に恵まれ能勢電鉄ときわ台駅に集合しました。集合はちょっと遅めの10時半でした。
 行き先は一庫ダムの完成で出来た知明湖沿いの道を歩き一庫ダム展望台から広大な湖の眺めを満喫した後 日生中央駅まで、歩行距離9km弱の行程です。 ときわ台駅を出発するとすぐに上り坂がつづきますが道の両側には緑の木々が茂って吹く風も爽やかで、鶯の声を背に聞きながら気分よく登っていきます。参加者は38名で7期の先輩から30期までと奥様同伴の方もいて和やかな雰囲気のなか12期は張志朗さんと段中文子の2名です。
 歩く側には綺麗な花をいっぱいつけた木があちこちに見えますが残念ながら名前がわかりません。白や茶色の蝶も道案内をするように飛び交って久しぶりに豊かな自然に包まれたような気分で歩いていく道には知明湖の広がりが見え隠れします。水量も多いようです。

 
左は見事なやまぼうしの木、右はなんと野生のにほん鹿です。まだ小鹿のようでした。

 
 知明りんどう橋を渡り、湖畔沿いをしばらく歩くと「丘の駐車場」があり家族連れが多いのか車がたくさん並んでいました。ここから知明山の頂上まで500段の階段を上ると子供たちが遊べる広場があるらしいです。
 私達は広場には行かず駐車場のそばにある大きな屋根つきの休憩所で湖を見下ろしながらお弁当を頂きました。
 休憩後の自己紹介では昔の話や今やっている楽しい話などをお聞きしてあらためて市岡の同窓生という絆を感じます。
 その後知明さくら橋を渡りしばらく湖畔沿いを歩いて行くと遠くに見えていた一庫ダムの大きな堤防と広大な湖の眺めが目の前に広がる一庫ダム展望台に到着です。
 山と湖の景色を充分満喫した後ゴールの日生中央駅に3時過ぎに到着。そこで解散となりましたが、久しぶりに森林浴で爽やかな空気をいっぱい浴びて明日からの元気をもらったような素敵な一日となりました。
 

一庫ダムは川西市の北部、猪名川町と豊能町に接して広がっています。また、一庫大路次川の氾濫防止を目的の一つに昭和57年に建設された都市型ダムです。清流に遊んだ懐かしい一庫龍化峡は、今は水底。ダム堰堤から、扇状に広がる川西市の住宅地が見下ろせました。

しまなみ海道を歩いてきましたー ②

7組  張 志朗


 5月22日、ウォーキング二日目です。
 海辺の朝は、本当に気持ちが良いものです。雲一つない晴天。眼前の海の青と、対岸の生口島の観音山(しまなみ海道の島々で一番高い山だそうです)の緑が一層鮮やかです。早起きの家内と同室であった皆さんは、観音山にのぼる“ご来光”を見たそうです。
 出発は8時。ここ大三島にある大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)に向かいました。
 

 社伝によれば、大山祇神社はおよそ2600年前、祭神である大山積神の子孫の乎知命(あちのみこ)により鎮祭されたとありました。全国にある一万社余の分社の総本社、山の神、海の神、戦いの神として尊崇を集めてきたそうです。また、村上水軍ゆかりの神社でもあります。
 朝早かったせいでしょう、一般参拝客は見当たりません。静けさの中、鬱蒼とした木々の緑に囲まれ陽を浴びる神社境内は、すがすがしいの一言です。
 大山祇神社にはくすのきが多く、その内の巨木、38本が天然記念物に指定されています。境内中央、神殿正面のくすのきは樹齢二千六百年、「乎知命御手植の楠」とあり、それを少し離れたくすのきには樹齢三千年、「天然記念物 能因法師 雨乞いの楠」とありました。かの有名な能因法師もここを訪れたのですね。また神社の「国宝館」は武具の収蔵で有名です。その数は、全国で国宝や重要文化財に指定されているものの4割近くにのぼり、なんと源義経のものと伝えられる鎧や弁慶の薙刀までもあるそうです。残念ながら時間の関係で見学することはできませんでした。

 いよいよ二日目のウオーキング最初の橋、全長328mの「大三島橋」です。橋の長さは比較的短いのですが、バスを降りてから橋までのアプローチが約1.5kmと長い。おまけに橋が高い位置にあるので、道はすべて緩勾配とはいえ、登りです。左右が雑木林で、絶え間のない鳥のさえずりと咲き誇る草花を楽しみながら歩きました。

 「大三島橋」は大三島から伯方島に渡るアーチ橋です。橋の中央でせり上がっているアーチが力強く、懐かしい。小さい頃、いたずらで淀川大橋のアーチの上を歩いてよく叱らたことを思い出しました。ここは島の間が狭いだけに潮流が速く、「鼻栗の瀬戸」と呼ばれる海の難所。海の水は一層澄んでいるようで、橋の上から水に透けて海底の岩礁がくっきりと見えました。伯方島の緑が海になだれ込む突端付近では、白い日よけの布を張って漁をする小さな船が、青い水面をゆったりと回転していました。一幅の絵を見るようです。
 橋を渡り終えて一般道で待機するバスまで、また長い距離を歩きました。

 次は大島へ渡るのですが、時間の関係で、ウーキングが予定されていた「伯方・大島大橋」はパス、大島の道の駅「よしうみいきいき館」に直行しました。途中、車窓から切り出された石がたくさん積み上げられているのを見ました。有名な「大島石」はここがその産地だそうです。

 
 道の駅「よしうみいきいき館」は下田水港にあり海が目の前です。来島海峡にかかる三つの大橋が一望できます。またここは来島海峡の「急流観潮船」が発着し、ウォーキングやサイクリングで橋を渡る人達が一息入れる場所でもあります。お土産を買ったり、休憩したり、自転車の点検をしたり、記念撮影をしたりと、今回のウォーキングで一番のひとだかりでした。
 
 眺望は最高です。青く広々とした海と陽光に映える島々の緑、青い海原に白波をたてて橋に向かう観潮船と100mはゆうに越をえて林立する「来島海峡大橋」の白い主塔群、優美なケーブルの曲線と緩やかなむくりをもつ桁の線が遠くかすむようにつながる様は、実に雄大で美しいものでした。  
 ここで小休止と記念撮影をして、いよいよ「しまなみ海道を歩く」の最後の橋に向かいました。  
 来島海峡大橋は第一大橋が960m、第二大橋が1515m、第三大橋が1570mで、全長4045mの長大橋。世界初の三橋連続のつり橋です。橋の上を1時間以上歩くわけですからその長さが実感できます。路面は海面から約50m、17階建てのマンションの屋上の高さ位になります。主塔が建つ馬島や武志島などの島はすべて橋から見下ろす形になり、見晴しにを遮るものがありません。橋は緩やかなむくりがついているので、歩き始めると青く晴れ渡った大空に向かって登っていく感じになります。ピラミッドは天に架ける橋と聞いたことがありますが、そうかも知れないとなどと思いながら歩きました。

 幸いなことに、車道の車は少なく、ときおりの通行音もウォーキングを煩わせるものではありません。橋の両側に歩道がありましたが、人が歩けるのは右側のみで、対面通行になりましたから、今治側から大島に渡る人や自転車に注意が必要でした。若いお父さん、お母さんとサイクリングを楽しむ孫によく似た子供達には思わず、「ガンバレ!」と声を掛けてしまいます。寝そべるような形の自転車にのった外国旅行者ともすれ違います。若い女性の一群が、レンタルサイクルに乗って、「チョー、気持ちが良い」と歓声を上げて通り過ぎていきます。
 欄干に寄ると、青い海にさわやかな風。近くは馬島の白い灯台、遠くは今治の市街地がかすむように見えています。ここまでの歩いた距離が、約8kmのはずですが、疲れもなんその、気分はすこぶるつきの爽快さです。
 この橋の路面を支える桁は、高さが4.3mもある鉄骨の箱型で、先端はひし形になっていて台風などの強風を逃がす工夫が施されていました。
 第二大橋の下が中水道、第三大橋の下が西水道です。両水道ともに潮流が激しい。大潮時には最大10ノット(時速18km)、落差2.0mにも達し、「八幡渦」と呼ばれる大渦が出現するそうです。この日は大潮ではなかったのですが、渦をあちらこちらで楽しむことができました。
 第三大橋付近で、今治市街地に高い表示塔があるのに気が付きました。上下にSとNが電光表示され、真ん中が↓の矢印でした。帰って調べてみると、潮流観測所の信号塔。いわば海の信号機みたいなもののようです。
 船の航行は通常、右側通行ですが、ここでは「順中逆西」と言って、船が潮流に乗って航行する場合(順潮)は中水道、潮流に逆らって航行する場合(逆潮)は西水道を進み、潮流が北向きの場合は右側通行、南向きの場合は左側通行に切り替わります。こうした切り替え方式を採用しているのは世界で唯一、ここだけだそうです。

 西水道をと通りすぎようとしていた大きな貨物船が、大きく左に舵を切って左側通行?で橋の下を通過していきました。
 かすみの中にあった今治の造船所群が次第にはっきりと見え始め、二日にわたるウォーキング「しまなみ海道を歩く」も最終地点が間近かです。
 吊り橋のケーブルが今治側のアンカーレイジに固定される姿を右に見ながら、橋を離れてまた長い距離を歩きました。
 終着点の来島海峡展望館付近についたのが、午後1時前ですから大山祇神社を出てから約4時間の行程でした。この日の歩行距離が13kmで二日間で約25kmを歩いたことになります。86才の先輩を含む37名、全員の見事な完歩です。
 勿論、12期の久保田靖子さん、古藤知代子さん、高見政博君も元気一杯、笑顔一杯でした。
 今治の「タオル美術館」で遅めの昼食をとって、帰路につきました。あわてものの私はもときた道を帰るものとばかり思っていましたが、ルートは松山自動車道から徳島自動車道を経て大鳴門橋、そこから神戸淡路鳴門自動車道に入り、淡路サービスエリアでの小休止でした。言ってみれば、瀬戸内海国立公園に架かる本州・四国連絡橋を大きく一回りした格好です。
 
 淡路サービスエリアから見る世界最長のつり橋・明石海峡大橋は、すでに暮色の中、ピンク色に美しく染まっていました。対岸には舞子、神戸、大阪と、いつもの大都会の市街地風景が広がります。明石海峡大橋の車列は延々と続き、切れ目がありません。巨大貨物船が通り過ぎます。それらの物量は、突然のように、しかも圧倒的です。
 ここに来て、ようやく「しまなみ海道を歩く」が終わることを実感しました。
 
 二日間にわたり名にし負う「しまなみ海道」のウォーキングを十分に楽しみました。
 群青色に輝く海と連なる島々の鮮やかな緑の絶景に目を瞠りながら、心地よい初夏の海風に吹かれて歩いた長大橋群、その道は「海の道」そのもの。そしてまたそれは、長い歴史の年輪と島々に暮らす人々のたしかな営みに彩られた「人の道」でもあったようです。
 
 追記:私ごとで恐縮ですが、一緒に行った家内は大喜びでした。
     そのせいでしょうか、私への待遇が少し良くなったようです。
     しかしこれも、年季の入った夫婦の事とていつものように、
     そう長くは続くまいと二人して笑っています。