同期会
2019年7月1日

夏至の日にこの文章を書いています。夏至は太陽の南中高度がもっとも高くなる時期で、太陽が真上から照り付け、そして日照の時間がもっとも長くなります。容赦のない強い日射と、どんどん貯えられる地熱で、今年も猛暑・酷暑とうだる熱帯夜は避けがたいようです。またその先ぶれにじめじめ、むしむしの梅雨の洗礼を受けるわけですから、少々気分が滅入ります。すでに梅雨入りし、先日激しい雨に見舞われた関東地方のそれは、梅雨と言うより"雨季”の豪雨と言った感じです。
さてさて“この一夏”をどう切り抜けるか、何が出来るわけではない思案に今から心が細りますね。元気に、心健やかに、何事もなく、“この一夏”をすごしたいものです。
今月号は季刊更新の二回目の夏号ですが、編集記事の内容やそのペース配分は、いまだ手探り状態です。月更新と異なる“よそおい”があるはずと思いながらもそれがはっきりしません。当面はこの状態が続くと思いますので、宜しくお付き合いください。
今号で初めて母校のクラブ活動紹介に類する記事を掲載しました。母校への応援も実状を知ってこそとの考えから言えば、もっと早くに扱うべきであったと思っています。できれば、これからも多角的に紹介できたらと考えています。
さてわが「12期の広場」2019年夏号のラインアップは次の5編です。お楽しみ下さい。
1. | 「舞洲市岡の森お花見会」 | |
2. | 「第34回 兵庫市岡歩こう会」がありました | |
3. | 「母校吹奏楽部の第57回定期演奏会に行ってきました」 | ・・・・7組 張 志朗・上野 裕通 |
4. | 「今しか出来ないこと」 | ・・・・大阪府立市岡高校吹奏楽部部長 森下 遼 |
5. | 「四季の花篭 ― つれづれに ①」 | ・・・・6組 高見 政博 |
以 上
2019年7月1日
4月14日(日曜日)、恒例の「舞洲市岡の森お花見会」(此花市岡会主催)が開かれました。
残念ながら当日は、朝から曇天、開会時の11時頃には小雨がパラ付くあいにくのお天気。舞洲でのお花見が始まって以来、初めての雨天でした。
それでも全体の参加者は、150名程度おられたと思います。12期の参加者は、酒井八郎君、末廣訂君、川村浩一君、上野裕通君、松田修蔵君、八島平玐君、上山憲一君、武田博君、清水清治郎君、石井孝和君、段中文子さん、八島節子さん、柏木赫子さん、古藤知代子さん、嶋田ハル子さんの皆さんと筆者の私、張志朗の16名でした。
肝心の桜ですが、駆け足の桜も寒の戻りがあったせいか、なんとか持ちこたえたようで、十分に名残の桜を楽しむことができました。
宴が始まる頃には小雨模様で、肌寒さがつのります。あらかじめ準備されていた舞洲ロッジの2階和室を利用しての宴会となりました。
お花見の会終了後、ロッジの1階喫茶店でお茶をしながら、お喋り。舞洲を後にして大阪駅前まで行って、またお茶とお酒を楽しんで解散でした。
残念ながら当日は、朝から曇天、開会時の11時頃には小雨がパラ付くあいにくのお天気。舞洲でのお花見が始まって以来、初めての雨天でした。
それでも全体の参加者は、150名程度おられたと思います。12期の参加者は、酒井八郎君、末廣訂君、川村浩一君、上野裕通君、松田修蔵君、八島平玐君、上山憲一君、武田博君、清水清治郎君、石井孝和君、段中文子さん、八島節子さん、柏木赫子さん、古藤知代子さん、嶋田ハル子さんの皆さんと筆者の私、張志朗の16名でした。
肝心の桜ですが、駆け足の桜も寒の戻りがあったせいか、なんとか持ちこたえたようで、十分に名残の桜を楽しむことができました。
宴が始まる頃には小雨模様で、肌寒さがつのります。あらかじめ準備されていた舞洲ロッジの2階和室を利用しての宴会となりました。
お花見の会終了後、ロッジの1階喫茶店でお茶をしながら、お喋り。舞洲を後にして大阪駅前まで行って、またお茶とお酒を楽しんで解散でした。
2019年7月1日
第34回兵庫市岡歩こう会が、5月12日(日曜日)に開かれました。コースはJR大久保駅(大阪からいえば、西明石の次の駅)を出発し、屏風が浦から江井島・なぎさ海道を歩いてJR魚住駅にいたる8Kmです。
お天気は快晴、五月晴れを通り越して一足先の夏日で、今年最初の日焼けをしました。
行程のほとんどは、播磨灘を左に海沿いの道を行くコース。遠く淡路島を眺めながら海風に吹かれてのんびりと歩きました。陽光に光る初夏の海と行きかう船は、それだけでも美しいもの。さらに整備されて延々と続く砂浜や、係留されている漁船群、なぎさに遊ぶ家族づれや釣り人の姿には自然と心がなごみます。そしてここはまた、明石原人の腰骨発見の地と言いますから驚きです。海に向かって建てられた大小の住吉神社が何か所にもあり、そこに万葉歌碑もありました。
豊かな自然とその恵みの中で営々と続けられてきた人々の営みが深く刻み込まれた所でもあるようです。
参加者は36名、最高齢は高校2期の大先輩です。最多参加は13期の11名、12期は、古藤知代子さんと私、張志朗の二人でした。
お天気は快晴、五月晴れを通り越して一足先の夏日で、今年最初の日焼けをしました。
行程のほとんどは、播磨灘を左に海沿いの道を行くコース。遠く淡路島を眺めながら海風に吹かれてのんびりと歩きました。陽光に光る初夏の海と行きかう船は、それだけでも美しいもの。さらに整備されて延々と続く砂浜や、係留されている漁船群、なぎさに遊ぶ家族づれや釣り人の姿には自然と心がなごみます。そしてここはまた、明石原人の腰骨発見の地と言いますから驚きです。海に向かって建てられた大小の住吉神社が何か所にもあり、そこに万葉歌碑もありました。
豊かな自然とその恵みの中で営々と続けられてきた人々の営みが深く刻み込まれた所でもあるようです。
参加者は36名、最高齢は高校2期の大先輩です。最多参加は13期の11名、12期は、古藤知代子さんと私、張志朗の二人でした。
2019年7月1日
4月28日(日曜日)、29日(月曜日)の両日、母校吹奏楽部の第57回定期演奏会が大阪市立住吉区民センター大ホールで開催されました。28日は午後6時開演、29日は午後1時30分の開演で、二日間にわたっての演奏会は、第53回以来、4年ぶりのチャレンジだったそうです。常々、母校吹奏楽部の活躍に注目し、またそれを是非「12期の広場」に掲載したいと思っていたこともあって、28日の初日公演に出かけました。
「満員の観客に支えられて」
梅田から難波に出て、南海電鉄高野線に乗るのは久しぶりのこと。会場の最寄駅である沢ノ町駅までは何故か落ち着きませんでしたが、下車後、演奏会に向かうと思われる人並みにすっかり安堵しました。会場に到着し、開演まで40分もあるのに、すでに400人くらいが行列しているのを見て、今度は大いに驚きました。
開場は5時30分、定員数800の客席は、すぐにほぼ満席状態になり、6時の開演時には、両側に立ち見の観客がいるなどの盛況ぶりでした。
観客は子供から高齢者まで実に多彩です。やはり多いのは部員の家族や同窓生・友人、吹奏楽部のOB・OGの市岡の関係者のようで、一般観客の中には他校の吹奏楽部部員と思われる人や、市岡の吹奏楽部に憧れて来たと思われる中学生が目立ちました。後日確認したのですが、二日目もはかったような満席だったそうです。
定期演奏会は年に1回です。今回が57回目ですから、第1回は1962年ということになります。創立100周年記念誌によると、音楽部の中にブラスバンド部が出来たのが、1960年で、そこから独立してブラスバンド部として創部されたのが、1963年となっています。
実質的には音楽部内のブラスバンド部が、独立し創部する以前から演奏活動を始めていたとするのが自然で、その第1回を1962年としても矛盾はありません。私達12期の卒業が1960年です。その時に初めてブラスバンド用の楽器を卒業記念品として贈呈しており、翌年13期が同様に楽器を贈り、それらが現吹奏楽部の出発点になったのは間違いないようです。一寸嬉しくなりますね。
創部以来、概ね60年、吹奏楽部はブラスバンドからウインド・オーケストラに成長してきました。筆者もはじめて知ったのですが、ブラスバンドは主として金管楽器(トランペットなど)による編成で、ウインド・オーケストラは、金管に加え木管楽器(クラリネットなど)が入った編成だそうで、そのぶん緻密で多彩な音色を持つ合奏形態になるのだそうです。
「『聴く人の心に響く音楽を!! 』と、楽しんでこそ」
公演は2,3年生中心、楽器種別11パート、72人編成と、それに元気一杯の新1年生43名を加えた115人編成で行われました。
第1部は3曲、(『音楽祭のプレリュード』― A・リード 作曲、『管弦楽と打楽器のためのセレブレーション』― J・スウエアリンジェン 作曲、『Requiem』― G・ヴェルディ 作曲)第2部は企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』、第3部はディズニー映画曲に乗せてのパート楽器紹介とほか3曲(『Merry-Go-Round』― P・スパーク 作曲、『心の瞳』― 三木たかし 作曲、『富士山-北斎の版画に触発されて』― 真島 俊夫 作曲)でした。
いずれの演奏も部員の皆さんの心と練習の成果が一つになった音楽性の高いもので、個人的には、第一部の『音楽祭のプレリュード』と第3部の『富士山-北斎の版画に触発されて』に魅了、圧倒され、鳥肌が立ちました。
プログラム構成全体も、よく工夫されています。『聴く人の心に響く音楽を!! 』との合言葉と客席と一体になって音楽を楽しもうという気持ちがみなぎったものです。
特に第2部の企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』はその真骨頂で、懐かしのメロディの数々に加えて、ダンスあり、コントあり、パロディありのアンサンブルでした。客席からの手拍子と歓声、笑いが一杯、そして大盛り上がり。吹奏楽の生演奏ならではの大迫力と醍醐味に溢れていました。
会場の入口でプログラムを配布していたのですが、そのすべてに名刺大の手書きメッセージカードが付いています。私が貰ったそれには「第57回定期演奏会にお越しいただきありがとうございます。最後まで楽しんでお聴きください。」との言葉と名前、担当楽器が書かれており、部員皆さんの熱い気持ちが直に伝わります。
「多彩な吹奏楽部の活動」
定期演奏会は、毎年、この時期に行われていますが、新1年生にとっては、初ステージへの挑戦、2年生には吹奏楽部主力への自立、3年生には引退を前にしての総仕上げなど、それぞれの課題への号砲ともなるようです。この後、吹奏楽部の活動の中心は、6月の「全日本吹奏楽コンクール」の地区大会、大阪府大会への出場に移って行きます。地区大会をクリアーした大阪府大会では、近年、金賞を連続受賞するなど、安定した好成績を残していますが、関西大会への出場は、出場枠の数の制限に阻まれ2015年以降、実現していません。関西大会の先に全国大会があるわけですから、コンクール出場のハードルは非常に高いようです。また部内でも、ブラインドオーディションを行うなど、コンクール出場者55人枠決定のための厳しい選抜があります。
コンクールを終えた後の8月に、「ファーストコンサート」(昨年は淀川区民センター)、9月に3年生を送り出すための「ファミリーコンサート」(昨年は住吉区民センター)を主催し、それを縫うように、各種行事への招待出演や賛助出演を10回程度こなしています。昨年度の記録を見ると、10月28日の「天保山まつり」に始まり、11月27日の「第3ブロック音楽会」までの一か月の間に、さらに2回の演奏を行うなど、息を付く暇もないのではと思われるほどの活躍です。また、これらを学校や、指導スタッフ、OB・OGの支えがあるとは言え、すべて吹奏楽部の部員自らの力で計画・組織し、実行・運営していると言いますから驚きです。
「全員が奏者、マネージャーなしの自主的運営」
定期演奏会の後、お願いして吹奏楽部部長の森下遼君(トロンボーン担当)、副部長の菅原ひかりさん(打楽器担当)、同じく副部長の河口莉緒さん(サクソフォーン担当)、金管セクションリーダーの松野美妃子さん(トランペット担当)、木管セクションリーダーの上原誠実君(クラリネット担当)の5人の3年生から色々なお話を聞かせてもらいました。
そのすべてをここには書けませんが、そのどの言葉も115名の部員と共に市岡の吹奏楽を作る自負と喜び、そして責任感にあふれるものでした。
二日にわたる定期演奏会は、このメンバーでは初めての経験です。練習は勿論、気持ちと体力への負担が相当大きかったはずですが、それを「満席のお客様に楽しんで頂き、また自分たちも楽しんで最後まで吹けました」と笑顔で言い切る姿が清々しく印象的です。
吹奏楽部はピッコロ、フルート、オーボエ、ファゴット、エスクラリネット、ベークラリネット、アルトクラリネット、バスクラリネット、テナーサクソフォーン、アルトサクソフォーン、バリトンサクソフォーン、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、コントラバス、パーカッションなど、20余種の楽器と100名を越える大編成です。部員の出身中学を見ても南は和泉市、北は池田市などの大阪府下全域に広がり、楽器経験も当然のように様々です。さらに言えば、学業とクラブ活動の両立が原則の公立高校ですから、練習時間をはじめさまざまな制限があります。楽器の数も十分とは言えないようで、クラブ所蔵の楽器を中心に、個人所有の楽器や一時借用した楽器でまかなっているそうです。専用施設や有名楽器を潤沢に揃え、専用バスまでを持つ有名私学吹奏楽部との環境のハンディキャップは実に大きいと言わざるを得ません。
このような条件をクリアーしながら、府下公立高校で、トップクラスの吹奏楽部として活動している訳ですから、練習や演奏会とその運営での自主的努力と創意工夫やチームワークは、大いに称賛されるべきものと言えそうです。演奏活動の運営と大部隊を動かす手法やノウハウは、代を継いで先輩から教わり、それを確実に体得してきたはずです。
しかし、新入生を迎え、絶えず 変化する部員の人間関係やチームワークだけはその都度、愚直なまでのコミュニケーションとぶつかり合いを繰り返すことによって築いているようです。そしてそれが、深く貴重な"生きた学び”として実を結んでいるようです。
「“生きた学び”を通して」
インタビューでの一言を下に紹介します。
「これだけ部員がいるといろんな意見があって、ぼくらが予想もしていなかったような意見が出てきたり、全然違う方向を向いている新入生もいたりして、それをまとめて行くことは大変だなと思いました。しかし、部長になって思った事は、1年生の頃には全然そういうところが見えていなかったことです。先輩方もいろんなことがあって頑張って来られたのだなと思い、最後まで頑張ろうと思っています。」(部長:森下君)
「副部長の立場で、練習以外に定期演奏会プログラムに載せる協賛の広告をもらいに回る仕事や、演奏会のホ-ルの予約等、外部の人との関わりを持たせていただきました。将来のために良い経験をさせていただいたと思っています。」(副部長:菅原さん)
「中学校の時から、人に指示をするようなことがありませんでしたが、今は、自分が変わって
きたことを実感できています。演奏会を見に来ていただいた人で、よかったよと涙を流してくれる人がおられ、“あぁ聞いてくれる人に届けられる演奏ができているのだ”と思い、そこに携われているということが嬉しいなと思っています。」(副部長:河口さん)
「セクションリーダーになって一年とちょっと経つのですが、定期演奏会まで、特にこの春前ぐらいまでの期間が一番しんどかったように思いました。でも、自分達が引っ張って行く初めての定期演奏会であったので、今ものすごい達成感があります。自分一人ではできない演奏会なので、
自分にこれだけの人が手を貸してくれているということに気付きました。17年生きてこれほど感謝の気持ちを強く感じたことはありません。」(金管セクションリーダー:松野さん)
「セクションリーダーとしてよくミーティングをしましたが、部活全体をどう動かしていくかという立場で物を考えることができるようになりました。集団でしているのだから複雑な形で良い経験をしています。」(木管セクションリーダー:上原君)
最後に“めざす市岡サウンドはあるのでしょうか”などと、余分な言葉を付け加えてこれからのことを聞きました。
森下君は「コンクールへの出場と、そこでの成績も重要ですが、部員全員が存分に楽しむことを大切にしたい」と言い、菅原さんは「モチベーションが下がることがあります。その時こそつながりが重要で、人としてのつながりをより大切にしていきたい」と話してくれました。
また河口さんは「心を動かせるような演奏をしたい」とめざす音楽について話し、松野さんは「あと4か月で引退ですが、今後につながる何かを残したい」と、これからを見つめています。上原君は「毎年、変わるのでゴールはありません。吹奏楽が生きてゆく糧になれば、自然と演奏も厚みが出るのではないでしょうか。楽しんで行けたら良いなと考えています。」と、ぶれがありません。
部長の森下君をはじめ5人の皆さんから返ってきた的確で冷静な言葉は、自主・自律的に部活動に精進してきた人だからこそ出てくる言葉だと、少々たじろぎながら、感じ入りました。同時にまた、その言葉は、吹奏楽部の部員全員がともに市岡の吹奏楽を作る過程で育んだきずなを示すものとして心に響きました。
吹奏楽部創部57年の歴史が脈々と受け継がれているようです。
そして、市岡高校の代表的クラブ活動の一つになった吹奏楽部は、新しい伝統につながる確かな足跡を残しながら、今日も、コンクールや演奏活動、その練習にと猛暑の中、頑張っているようです。
(取材: 張 志朗、 上野 裕通)
「満員の観客に支えられて」

開場は5時30分、定員数800の客席は、すぐにほぼ満席状態になり、6時の開演時には、両側に立ち見の観客がいるなどの盛況ぶりでした。
観客は子供から高齢者まで実に多彩です。やはり多いのは部員の家族や同窓生・友人、吹奏楽部のOB・OGの市岡の関係者のようで、一般観客の中には他校の吹奏楽部部員と思われる人や、市岡の吹奏楽部に憧れて来たと思われる中学生が目立ちました。後日確認したのですが、二日目もはかったような満席だったそうです。
定期演奏会は年に1回です。今回が57回目ですから、第1回は1962年ということになります。創立100周年記念誌によると、音楽部の中にブラスバンド部が出来たのが、1960年で、そこから独立してブラスバンド部として創部されたのが、1963年となっています。
実質的には音楽部内のブラスバンド部が、独立し創部する以前から演奏活動を始めていたとするのが自然で、その第1回を1962年としても矛盾はありません。私達12期の卒業が1960年です。その時に初めてブラスバンド用の楽器を卒業記念品として贈呈しており、翌年13期が同様に楽器を贈り、それらが現吹奏楽部の出発点になったのは間違いないようです。一寸嬉しくなりますね。
創部以来、概ね60年、吹奏楽部はブラスバンドからウインド・オーケストラに成長してきました。筆者もはじめて知ったのですが、ブラスバンドは主として金管楽器(トランペットなど)による編成で、ウインド・オーケストラは、金管に加え木管楽器(クラリネットなど)が入った編成だそうで、そのぶん緻密で多彩な音色を持つ合奏形態になるのだそうです。
「『聴く人の心に響く音楽を!! 』と、楽しんでこそ」
公演は2,3年生中心、楽器種別11パート、72人編成と、それに元気一杯の新1年生43名を加えた115人編成で行われました。
第1部は3曲、(『音楽祭のプレリュード』― A・リード 作曲、『管弦楽と打楽器のためのセレブレーション』― J・スウエアリンジェン 作曲、『Requiem』― G・ヴェルディ 作曲)第2部は企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』、第3部はディズニー映画曲に乗せてのパート楽器紹介とほか3曲(『Merry-Go-Round』― P・スパーク 作曲、『心の瞳』― 三木たかし 作曲、『富士山-北斎の版画に触発されて』― 真島 俊夫 作曲)でした。
いずれの演奏も部員の皆さんの心と練習の成果が一つになった音楽性の高いもので、個人的には、第一部の『音楽祭のプレリュード』と第3部の『富士山-北斎の版画に触発されて』に魅了、圧倒され、鳥肌が立ちました。
プログラム構成全体も、よく工夫されています。『聴く人の心に響く音楽を!! 』との合言葉と客席と一体になって音楽を楽しもうという気持ちがみなぎったものです。
特に第2部の企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』はその真骨頂で、懐かしのメロディの数々に加えて、ダンスあり、コントあり、パロディありのアンサンブルでした。客席からの手拍子と歓声、笑いが一杯、そして大盛り上がり。吹奏楽の生演奏ならではの大迫力と醍醐味に溢れていました。
会場の入口でプログラムを配布していたのですが、そのすべてに名刺大の手書きメッセージカードが付いています。私が貰ったそれには「第57回定期演奏会にお越しいただきありがとうございます。最後まで楽しんでお聴きください。」との言葉と名前、担当楽器が書かれており、部員皆さんの熱い気持ちが直に伝わります。
「多彩な吹奏楽部の活動」
定期演奏会は、毎年、この時期に行われていますが、新1年生にとっては、初ステージへの挑戦、2年生には吹奏楽部主力への自立、3年生には引退を前にしての総仕上げなど、それぞれの課題への号砲ともなるようです。この後、吹奏楽部の活動の中心は、6月の「全日本吹奏楽コンクール」の地区大会、大阪府大会への出場に移って行きます。地区大会をクリアーした大阪府大会では、近年、金賞を連続受賞するなど、安定した好成績を残していますが、関西大会への出場は、出場枠の数の制限に阻まれ2015年以降、実現していません。関西大会の先に全国大会があるわけですから、コンクール出場のハードルは非常に高いようです。また部内でも、ブラインドオーディションを行うなど、コンクール出場者55人枠決定のための厳しい選抜があります。
コンクールを終えた後の8月に、「ファーストコンサート」(昨年は淀川区民センター)、9月に3年生を送り出すための「ファミリーコンサート」(昨年は住吉区民センター)を主催し、それを縫うように、各種行事への招待出演や賛助出演を10回程度こなしています。昨年度の記録を見ると、10月28日の「天保山まつり」に始まり、11月27日の「第3ブロック音楽会」までの一か月の間に、さらに2回の演奏を行うなど、息を付く暇もないのではと思われるほどの活躍です。また、これらを学校や、指導スタッフ、OB・OGの支えがあるとは言え、すべて吹奏楽部の部員自らの力で計画・組織し、実行・運営していると言いますから驚きです。
「全員が奏者、マネージャーなしの自主的運営」

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二日にわたる定期演奏会は、このメンバーでは初めての経験です。練習は勿論、気持ちと体力への負担が相当大きかったはずですが、それを「満席のお客様に楽しんで頂き、また自分たちも楽しんで最後まで吹けました」と笑顔で言い切る姿が清々しく印象的です。
吹奏楽部はピッコロ、フルート、オーボエ、ファゴット、エスクラリネット、ベークラリネット、アルトクラリネット、バスクラリネット、テナーサクソフォーン、アルトサクソフォーン、バリトンサクソフォーン、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、コントラバス、パーカッションなど、20余種の楽器と100名を越える大編成です。部員の出身中学を見ても南は和泉市、北は池田市などの大阪府下全域に広がり、楽器経験も当然のように様々です。さらに言えば、学業とクラブ活動の両立が原則の公立高校ですから、練習時間をはじめさまざまな制限があります。楽器の数も十分とは言えないようで、クラブ所蔵の楽器を中心に、個人所有の楽器や一時借用した楽器でまかなっているそうです。専用施設や有名楽器を潤沢に揃え、専用バスまでを持つ有名私学吹奏楽部との環境のハンディキャップは実に大きいと言わざるを得ません。
このような条件をクリアーしながら、府下公立高校で、トップクラスの吹奏楽部として活動している訳ですから、練習や演奏会とその運営での自主的努力と創意工夫やチームワークは、大いに称賛されるべきものと言えそうです。演奏活動の運営と大部隊を動かす手法やノウハウは、代を継いで先輩から教わり、それを確実に体得してきたはずです。
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「“生きた学び”を通して」
インタビューでの一言を下に紹介します。
「これだけ部員がいるといろんな意見があって、ぼくらが予想もしていなかったような意見が出てきたり、全然違う方向を向いている新入生もいたりして、それをまとめて行くことは大変だなと思いました。しかし、部長になって思った事は、1年生の頃には全然そういうところが見えていなかったことです。先輩方もいろんなことがあって頑張って来られたのだなと思い、最後まで頑張ろうと思っています。」(部長:森下君)
「副部長の立場で、練習以外に定期演奏会プログラムに載せる協賛の広告をもらいに回る仕事や、演奏会のホ-ルの予約等、外部の人との関わりを持たせていただきました。将来のために良い経験をさせていただいたと思っています。」(副部長:菅原さん)
「中学校の時から、人に指示をするようなことがありませんでしたが、今は、自分が変わって
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「セクションリーダーになって一年とちょっと経つのですが、定期演奏会まで、特にこの春前ぐらいまでの期間が一番しんどかったように思いました。でも、自分達が引っ張って行く初めての定期演奏会であったので、今ものすごい達成感があります。自分一人ではできない演奏会なので、

「セクションリーダーとしてよくミーティングをしましたが、部活全体をどう動かしていくかという立場で物を考えることができるようになりました。集団でしているのだから複雑な形で良い経験をしています。」(木管セクションリーダー:上原君)
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森下君は「コンクールへの出場と、そこでの成績も重要ですが、部員全員が存分に楽しむことを大切にしたい」と言い、菅原さんは「モチベーションが下がることがあります。その時こそつながりが重要で、人としてのつながりをより大切にしていきたい」と話してくれました。
また河口さんは「心を動かせるような演奏をしたい」とめざす音楽について話し、松野さんは「あと4か月で引退ですが、今後につながる何かを残したい」と、これからを見つめています。上原君は「毎年、変わるのでゴールはありません。吹奏楽が生きてゆく糧になれば、自然と演奏も厚みが出るのではないでしょうか。楽しんで行けたら良いなと考えています。」と、ぶれがありません。
部長の森下君をはじめ5人の皆さんから返ってきた的確で冷静な言葉は、自主・自律的に部活動に精進してきた人だからこそ出てくる言葉だと、少々たじろぎながら、感じ入りました。同時にまた、その言葉は、吹奏楽部の部員全員がともに市岡の吹奏楽を作る過程で育んだきずなを示すものとして心に響きました。
吹奏楽部創部57年の歴史が脈々と受け継がれているようです。
そして、市岡高校の代表的クラブ活動の一つになった吹奏楽部は、新しい伝統につながる確かな足跡を残しながら、今日も、コンクールや演奏活動、その練習にと猛暑の中、頑張っているようです。
(取材: 張 志朗、 上野 裕通)
2019年7月1日
吹奏楽部 部長 森下 遼

まず一つ目は100名を越える部活動をまとめることはすごく難しいということです。一人ずつが違う意見を持っていて当然なのですが、それが分かっていてもうまくいかないのが部活動なのだとよく思います。
例えば、練習時間について、吹奏楽だけあって中学校からの経験者は非常に多くいます。中学時代にある部員は毎日練習していて、土日も朝から日が暮れるまで練習していた部員もいれば、練習は平日と土曜日の朝のみで、日曜日は休みでしたという部員もいます。現在市岡高校の吹奏楽部は、前者に近いようです。しかしながら、今まで後者だった部員にとっては毎日、厳しい練習するということは大変だと思います。どうしたら大変であっても楽しむ事が出来るのか、未だ、私たちも答えは見つかっていません。それを見つけようとするのが部活動の良いところだと思うので、色々なことにチャレンジし見つけたいと思っています。
二つ目は、人間関係について学ぶことが出来るということです。私は部活に入って良かったなと思う理由に、先輩や同期、後輩、大人の方と接する機会が多いというのがあります。例えば、「あいさつをする」というのは当たり前のことですが、一年生の時に、学校の先生方や先輩には立ち止まってあいさつをするという風に教わりました。社会に出てあいさつが出来ないとなると常識のない人だと思われても仕方がないところ、部活動で身に付いているとあいさつが自然と出来るようになり、そう思われることもありません。これも、先輩や大人の方との関わりがあるから身に付くものです。目上の方には敬語を使う、メールを送る際にも文面に気を付ける、最初は面倒くさいと感じた部員もいると思いますが、それでも大切なことだと私は思います。年下の人と付き合うのも同じです。

二つのことについて取り上げましたがまだまだ感じたことは沢山あります。すべてに共通していることは、部活動をしていないと経験できないということです。演奏をすることは大事ですが、吹奏楽を通して部員一人一人が何か一つでも学んでくれたら良いなと思っています。
2019年7月1日
6組 高見 政博
写真を趣味の一つにしています。元々、気が多い「材木屋」を自認していまして、そのため、どの趣味も道楽の域を脱することが出来ず中途半端なものばかり。
そんな写真を昨年1年間、HP委員の依頼で「広場」に掲載して頂きました。掲載は、月更新の「ラインアップ」のカット写真として1枚のみでしたが、その時に候補写真として送った複数枚の写真を、「夏号」から、『四季の花篭―つれづれに』 と題したコラムに掲載することになり、それに添える文章の執筆依頼を受ける羽目になった次第です。

今回は夏の花です。
1番目は「ハナウド」
「ウド」と名がついていますが、葉がウドに似ているところからの命名でいわゆる「ウド」の仲間ではありません。
近畿でも郊外に行けば見る機会がある花です。この写真は長野県の白馬村で撮影しました。長野県の白馬村に姫川の源流となる湧水地があります。そこへのアプローチの途中で撮りました。同行の皆に遅れないように急いでカメラを構えて撮ったものですが、思いの外旨く撮れたと自画自賛しています。

花を見たときの第一印象は「レース編み」。そんな雰囲気を感じて頂けたら嬉しく思います。
次の花は「クルマユリ」、栂池自然園での撮影です。
栂池自然園は北アルプス後立山連峰の白馬乗鞍岳の山腹、標高1,880mに位置する高層湿原です。
10年以上毎年夏に訪れています。10年以上も通っても飽きることがありません。広大な湿原に木道が整備され、高山植物であふれています。全ての花を紹介出来ないのが残念です。昨年は高山の人気者「オコジョ」に出会いました。
クルマユリの名前は葉が輪状についていることが由来です。
夏の花というと欠かせないのが蓮の花です。奈良の藤原京跡の蓮田で撮影しました。7月末の猛暑の中、遮るもののない陽射しの下での撮影でした。俗に、蓮は花が開くときに「ポッ」と音がするといわれていますが、どうもそんな音はしないそうです。もし音がするのなら、聞いてみたいものです。

まるで、小さなランタンのような花姿です。北海道の大きな「ラワンブキ」の下に住むという小人、「コロボックル」。そのコロボックルが持つランタンをイメージして、「コロボックルのランタン」と名付けて、市岡写真クラブの作品展に出展しました。
ここ数年、この花を目指して六甲高山植物園へ行きますが、早かったり、遅かったりで、きれいな花姿の花になかなか出会えません。このときは少し早くて開花している花は数輪しかなかったのですが、やっときれいな花姿の花を見つけました。
2019年6月6日
令和元年5月15日(水)快晴 絶好のゴルフ日和。
19の春(19期ゴルフ部会)、20の恋(20期ゴルフ部会)合同の第3回懇親ゴルフコンペは
総勢16名で奈良県のディアパークゴルフクラブにて開催しました。
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2019年5月31日
37期生の皆様には益々ご活躍のことと存じます。
さて、37期生は4年に一度の夏季オリンピックの年に同窓会を開催していますが、早いもので2020年東京オリンピックの記念すべき年の同窓会のご案内をする時期となりました。
2019年5月7日

平成31年4月28日(日)に、鶴崎篤先生にご参加いただき、バリタワー大阪天王寺において37期クラス会が開催されました。毎年恒例のクラス会ですが、18回目の今回は『平成最後のクラス会』と題して、1次会49名、2次会55名、3次会42名(いずれかに出席の方の合計65名)の方にご出席いただき、いつも以上に賑やかな会となりました。
今回のクラス会は、4年に一度の夏季オリンピックの年に開催する市岡高校37期同窓会がいよいよ来年(2020年)に迫ってきましたので、そのキックオフ会としても位置づけて、各組幹事、開催候補日、同窓会テーマ名等のアンケートを実施しました。来年(2020年)の37期同窓会の詳細なご案内は、近日中にこのホームページでお知らせしますので、よろしくお願いします。
(報告:市岡高校37期クラス会幹事・久米秀樹)
2019年4月1日

4月です。今日、新しい元号が発表され、5月1日から年号が変わりますね。
昭和に生まれ、平成を生き、そして新しい年号を迎えるわけですから、皆さん、さまざまな感慨をお持ちのことと思います。
私達の昭和が、産声をあげてから壮年期を迎えた時代であって、戦後の貧しい時代から高度成長へ、そしてその絶頂から混迷への時代とすれば、平成は、壮年から老境への時代であり、バブル崩壊に始まり、

新しい元号がどうなったのか、この文章を書いている時点では、知るよしもありません。ただ社会や生活が激しく変貌するだろうとの予感だけが強くあり、とにもかくにも穏やかで希望や夢がある時代であってほしいと切に願っています。
今月の「12期の広場」は、季刊更新の第一号にあたる春号です。
この文のカット写真には高見君が送ってくれた7枚の写真から、一面ピンク色の「桜の群生」と風に揺れる可憐な「つつじ」の二枚を選びました。
そのコメントに、桜は「曽爾村の屏風岩の桜です。屏風岩の上から見下ろしたアングルです。」とあり、つつじについては「『コバノミツバツツジ』です。この花もこの時期に咲くツツジ類の中で私の好きな花です。」とありました。いずれもこの春の百花繚乱を代表する花で、じっくりと見入ってしまう程、素敵な写真です。
高見君はこの欄に都合10回、60枚以上の写真を提供してくれましたが、今回が最後になります。そのご苦労に皆さんと共に心から感謝申し上げたいと考えています。
広場が季刊になったことで、編集に時間的な余裕が出来るだろうと思っていたのですが、どうしてどうして、あい変わらずのスロースタート、納稿が近くならないとエンジンがかかりません。結局は月更新とおなじような感じで、ペース配分にも慣れません。これから夏号、秋号と、3か月毎の更新が続きますが、今後とも宜しくお願い申しあげます。
同窓会幹事でもある6組の畠平雅生君が、2月12日に病気で亡くなられました。通夜に酒井八郎君はじめ、8人の同窓生が出席して、お見送りしました。
畠平君は同窓会の幹事としてその運営に大きく、そして長期にわたり貢献してくれた人物の一人で、特に会場の設定やその折衝では中心的役割を果たして頂きました。御子息のお話によると、仕事が好きで、家族が好きで、奥様が大好きであったとのことです。いつもニコニコ、何をするのもフットワークが軽やかで、社会奉仕にも積極的でした。東日本大震災後の支援に何度も東北地方を訪れたと聞いています。
慎んでここに哀悼の意を表し、お知らせいたします。また今号に、無二の親友である、清水君が書いてくれた「畠平雅生君とともに65年」と、畠平君が「卒業50周年記念文集」に投稿された文章、「今日までを振り返って。これから願うこと」を掲載し、彼を偲びたいと思います。合掌。
「12期の広場 」 春号のラインアップは以下の5編です。ご覧ください。
1. 「豚汁会に行ってきました」 | |||
2. 「畠平雅生君とともに65年」 | ・・・・・・・ | 3組 | 清水 誠治郎 |
3. 「今日までを振り返って。これから願うこと」 | ・・・・・・・ | 6組 | 畠平 雅生 |
4. 「私の趣味 - 弓道 」 | ・・・・・・・ | 8組 | 八島 平玐 |
5. 「直木三十五記念館を訪ねて」 | ・・・・・・・ | 7組 | 張 志朗 |
以 上
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