同期会

メダカ池とゴーヤ

4組 内田 勝章 

2012年 7月

 今年はもう無理かと、あきらめていたことが出来てホットしている。

 その一つが長さ90cm、幅45cm、深さ40cmと大きいメダカ池( 蓮池でもある )の大掃除と蓮の株分けが4月中に出来たことです。おかげで、今、黄色のきれいな水蓮が順々に咲いています。

 水蓮はメダカ池を浄化するだけでなく、メダカにとっても葉っぱの裏に卵を産みつける最適な場でもある。梅雨明け後の暑さが、メダカの孵化を促し、次々とメダカが生まれる。じっと目を凝らして見てもなかなか見つけられない。

 市立第八一保育所の年長さんが家の前を通って図書館へ、又その横の公園へ散歩に行く時に我が家の前を通る。

 声をかけるとメダカの赤ちゃんを必死になって探す。すぐ見つける子は少ないけど、たまにはいる。

2010年3月の同窓会3次会での筆者

 帰りも寄って行くが、遊びが押しているのに給食の準備もあって先生の時間コントロールが大変だ。

 今一つは緑のカ-テン、ゴ-ヤの垣根作りが出来たこと。

 昨日2個収穫して、ワタを出して妻の塩麹にキュウリやトマトと一緒にいれた。残りはワタを取り、少し塩をして、豚や玉ねぎや豆腐などで炒める。近くのお百姓さんからもらったゴ-ヤの初物は、塩麹につけておいたが食べ頃だと思う。

 今年は花芽が多いので、小さなハケで人工受粉させ、実をたくさん収穫して漬けたい。妻は独特な苦味が苦手で、まったくゴ-ヤ料理をやってくれない。

 今一つ昨年から出来ていないことがあるが、ぜひやっておきたいことに娘宅の藤棚がある。2mも枝が伸び、今年は小さな藤の花房が垂れ下がって、咲いた。枝を大きく伸ばして来年春先には甘い香りと藤の房を楽しみにしている。この炎天下の作業は大変だが、無理せずボチボチと。


 2012年 10月

 体調は一進一退でも良い方ですが、食欲のむらが無くなったのに食べた割に体重が増えないので心
配です。

 上の娘が焼いた食パンや宝塚の「パンネル」の食パンは天然酵母でイ-スト臭く無くおいしい。市販品が食べられない。厚切りなら一枚をペロリと食べる。小松菜やゴ-ヤや果物、バナナなどを入れた野菜ジュ-スは、野菜不足を補うのにちょうどいい。しかし、あまり欲を出して色々混ぜると、かえっておいしくない。オモチ、ギョウザ、ハンバ-グ、うどん、お好み焼きなど手作りでないと食べられなくなった。昨夜は土鍋の鍋焼きうどんで、馬路村のポン酢は少し高額だが味は最高においしい。新しくて少し大きいアジは開いて塩をして干す。塩かげんができて、魚の臭みがなく納得のおいしい開きは最高。

 久しぶりに近くの銭湯へ行ったら釣りキチに会い、シーズンのタチウオを釣ったら持って行くからと、約束してくれた。名人にしても釣りははずれがあるのか、いまだに食していない。釣りに行くにも、酸素を義務付けられているのでままならず、ならば堺大浜の魚市場へ朝早く行く以外に方法がない。

 ゆっくり生きれば安くておいしい手作り食品を食べることが出来る。早く元気になって、あったかい和歌山に住みたい。

市岡高校 東京12期会メンバー有志による新年会

4組 川合兵治
 

 さる2月12日(火)、東京は京橋にある「美々卯」にて「うどんすき」を囲んでの市岡高校東京12期会有志による平成25年度新年会が催されました。茨城の宇宙センターに現役で関与されている名古屋在の小野君や、いまだにテニスを頑張っている静岡在の上原(大川)嬢が参加されるなど総勢11人の賑やかな会となりました。

 また、当日は昨年7月突然「ラムゼイ・ハント症候群」、平たく言えば「帯状疱疹」を発症した榎本君の全快祝いもかねていました。発症当時の榎本君は三半規管をやられ満足に立ち居振る舞いできず、その顔はノルウエーの画家エドヴァルド・ムンクの「叫び」に描かれている男性の顔そのものでしたが、昨年10月の川歩きメンバー6人の打合せ会にもマスクにサングラス、杖を突いてビールをストローで飲みながらも出席されるという前向きな姿勢が功を奏したのか、この新年会では顔つきもほぼもとにもどり、下ネタも話せるほどに回復されていました。

 本人はこれから3月にはスキー、4月には恒例の川歩き、5、6月には国内・海外旅行と本当の全快を目指しています。年齢に関係なく常に前向きな姿勢で生きることの重要性を全員が実感した会でもありました。

参加者
1組 上原 澄子(大川)
2組 杲田 慶子(鵜飼)
2組 坂野 雅子(堀内)
3組 西條 軍蔵
4組 川合 兵治
5組 泉 信也
6組 大石橋 宏次
6組 小野 義雄
8組 榎本 進明
8組 萩原 貞雄
8組 山田 正敏

「なにわ福島ものがたり」 の紹介(福島区歴史研究会30周年記念誌)

 先日、末廣訂君から「なにわ福島ものがたり」を送っていただきました。

 これは福島区歴史研究会が発足30周年に際して発刊された記念誌で、B5版、全236ペ-ジからなる労作です。

 福島区歴史研究会は「12期の広場」でもたびたび、お世話になっています。昨年掲載しました「古地図展」は福島区歴史研究会が主催団体の一つ、武田博君の「ジエ-ン台風」の話しもやはり歴史研究会の「災害展」の準備やその資料収集が下地になっています。また同窓生である末廣訂君、武田博君の両名が会員であると同時に、そのほかの会員に母校の先輩や後輩方がおられ、市岡高校と浅からぬ縁がある研究会でもあります。

 「なにわ福島ものがたり」の表紙デザインは、大阪市中央図書館所蔵の『浪華の賑ひ三篇』、それに『野田ふじ』の紫色をグラデ-ションにしてかぶせています。

 歴史研究会の記念誌ですから、専門的、場合によれば学術的な「堅い書籍」ではと思ったのですが、実際、手に取ると、題名そのままの由緒深く、懐かしく、そして感銘を呼ぶ「なにわ福島ものがたり」なのです。なにより、福島区に生まれ育ち福島を愛する気持ちにみちあふれた本であること。間違いありません。

 巻頭部一連の寄稿文に続いて、「遺稿・村から町へ『鷺洲』のうつりかわり」から「芦分紀行-近世福島区域をめぐる」までの大目次が12編。いずれも個性的な切り口で読ませます。


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「12期の広場」2月号のラインアップ

 今年は節分が2月3日、立春が2月4日です。「節を分ける」との文字の通り、立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分なのですが、私達に馴染みが深いのは、 やはり豆まきに象徴される2月の節分です。もっとも最近は「恵方巻き」なる巻き寿司の丸かじりが主役の座を奪いつつあるようですが、恵方を向き、黙しての寿司丸かじりは「暗すぎる」のではと少々苦手です。とは言え、翌日の「立春」には素直に嬉しくなります。

 立冬以来、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と冬枯れの景色や気分一色でしたが、漸くの春一字、立春です。一年でもっとも平均気温の低いとも言われる2月ですが、春待ちの心が、厳冬の重い扉をうがつのもこの月、その先駆けが節分です。

 時のうつろいを写し取り、四季をさらに細かやかに吟味し丁寧に生活する日本人の感性が一段と冴える月、それが2月と思えるのですが、皆さんは如何お考えでしょうか。

8組の村崎裕昭君の作品です。今年、我が家の水仙はまだまだ先のようです。

  さて「12期の広場」2月号のラインアップです。

 昨年、3組の高橋要君から「『烏合の衆』は第2号で終わりだったっけ」と彼が大切に保管していた2年8組の学級文集「烏合の衆」1,2号を手渡されました。ガリ版刷り、B5版ホッチキス止め製本で茶色に変色して、縁はボロボロと欠け落ちそうです。

 50数年前の貴重な文集で、同窓会再開後、30数年間捜していたものだけに、よくぞ残してくれていたと、感謝感激です。12期の学級文集としては唯一のもの。それが残っていました。

 「12期の広場」今月号は「烏合の衆」から次の記事の転載とします。お楽しみ下さい。

 
  1. ママは重すぎる」-(「烏合の衆2号」から)     エエ 男
  2.  詩 「朝」-(「烏合の衆2号」から)           作者 不明
  3. 侘 言」-(「烏合の衆2号」から)           作者 不明
  4. 我が輩は猫である。」-(「烏合の衆1号」から)   山元 賢治
 
 追記:

 山元賢治君はすでに鬼籍に入っています。

 この原稿は編集有志であった彼が「楽しい記事も必要」と考えて執筆してくれたもので、夏目漱石の「我が輩は猫である」のパロディ風文章として2年8組では大好評でした。運動神経のかたまりのような彼から突然のように溢れでた、滑らかな文章とその優しさや、ユ-モアに驚かされました。

ママは重すぎる

エエ男

 ママは重すぎる。

 私はママと二人暮らし。父はママが28才の時、死んだ。それ以来ママは私の為を思って独身を通し、女手一つで現在の此の一人前の私?にまで育ててくれました。

 ママは私を非常に可愛がってくれるので困ります。

 今晩は映画を見てきました。星が沢山輝っています。夜の11時の街を一人口笛を吹きながら帰って来ると、家の2階のスリガラスの窓に、私かどうか確かめに窓を開けるママの姿が映った。

 私は、下を向いてママを見るのを避けて戸を開いて部屋に入ったのでママの顔を見ずにすみました。

 ママは商売をしているから家に帰って来るのはいつも9時過ぎ。今日もそうだったろうに、階下におりて来て、お汁を暖め、お茶をわかしてお茶を出してくれようとしたが、私はお茶を断った。そうしたら風呂をわかしてくれました。

烏合の衆第1号の表紙です。「市岡高2ノ8」を帯のようにして男女が肩を組み、踊っていますね。加藤訓子さんのデザインです。彼女のデザインセンスが光る表紙で、今でも新しい。

 私は食事がすむと風呂に入った。風呂の窓から外を見ると、ママは火鉢にあたりながら、こっちを向いて私を待っていました。家に帰ってからこの時、初めてママの顔をみたのです。

 これまで私はずっと不機嫌面を守り通していましたが、私を大事にしてくれるママに対してこんな態度をとるべきではないと思いながらもママのおしかぶさってくる様な愛情には耐えられなかったのです。

 私のこの男性的なタクマシイ肩にもママは重すぎる。(ママは11貫足らずの5尺女だがね。)

 あなたのお母様は何貫位の重さがありますか。

「ペンギン、ペンギン、うれしいな。」
「わっ! もう7時15分過ぎか。もうちょっと寝ていよう。」
とその時。
「アッチャン、起きなさいよ」と母の声
「あー、にくらしいなあ」
「ううーん」とたよりない返事。
そのまま5分位のうたた寝。
その時の気分の良いことったら。
夢心地とはこんな時をいうのであろう。
「さあ、早く起きなさいよ」ともう一度母の声。
「ふあい。」と今度はちょっぴり元気な声で
「一、二、三。」で起きあがった
「さあ、今から私の今日が始まったのだ」
いそいで洗顔、ご飯を食べ、服を着替え
ああ、なんと忙しいことか、ハンカチ、チリ紙
そらそら そらそら手袋。これで忘れ物なし。
「さあ、では行って来ます!」
満員電車にゆられて
学校へ。


侘言(わびごと)

 近頃「道化」という言葉がふと思い出される。何もない、理由なんてない。ただこの言葉が何か私にふさわしい様なそんな気がしてふと口ずさんでみるだけ。「太宰治は私の今の気分にぴったりします。人は不健康だと云いますが、私もそうですね。」

 これに友は答えてくれた。「太宰治は頽廃的ではありません。真に敬虔な人でなければあの様な文学を生み出すことは出来ないはずです。『表現より深いものを感じとること』。やたらに自己をあまやかす非を改めようと思います。」

 うすぐらい燈のもとで「人間失格」を読み返す。最初に読んだ時のあの胸がなる様な嫌気、自己嫌悪、自分の生活がまるで偽りの道化であるかの様な錯覚。そんなものは今は感じない。やはり友は正しい。中学三年の時のあの幼い感情、それを今までひしと抱き続けた自分のおろかさよ。でも、その時の自分の方がずっと可愛い、成長。これは成長ならばなければよい。つまらない事を針小棒大に悩み時間の浪費を心がけるのが成長ならば。
烏合の衆第2号の表紙です。作者は1号同様加藤訓子さんです。何か分かりますか?そうです。私達が使っていた教室の机です。古く、重たく、座るとプレッシャーを感じました。ガリ版で×を使っての表現には驚きました。

 「人間はあわれむべきものではない。尊敬すべきものだ。=ゴーリキ=」この言葉の横に友はつけ加える。「尊敬=飼犬の頭をなでてやる時に感じるくすぐったさ。」私には何もわかりはしない。自分で自分が信じられない。信じられるのは他人のみ。友の言葉がいやに尊大に聞える。それを又私は喜んでいるのだ。

 元旦に立てる一年の計「今年は無知であること」と友に云う。「今年は何も考えたくない。人間は深く考えずに生きることができますわね。」

 友は答える。「考えを途中で打ち切ればいい。簡単。でも理由は?虚栄心。」私には何も云えない。信念がないから。

 「知れば知るほど疑問を生じる=ゲーテ=。」この横にも友のしっかりしたペンが走っている。「知れば知るほど嫌気がさす。脳細胞の無事を望むなら無知であること。」

 試験がくればよけいに考えたくなる。考えは最も時間を有効に使いはたす。つまり精神的反発を緩和すると云う有効さに。明日は絶対に白紙答案を提出しようと決心する。その夜の気楽さ。明朝真剣な顔で単語帳をくる友を見ると決心がぐらつく。そうだ、それでいいのだ。だが妙な時だけおろかな信念を貫き通そうとする。でも本当に強いのかと云うとそうではない。何々考査となると白い答案に向かって自分の頭を恥じ、苦しまぎれの文字を書きつらね昨夜の自分を恨む。

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吾輩は猫である

山元 賢治

 吾輩は猫である。名前はピー公。例の三毛と違って立派な名前である。色は黒。現在生まれて二ヶ月である。しかし自分としてはもう一人前、いや一匹前だと思っている。

 我々の大先輩である三毛殿はものの本で読んだ所によると、井戸にはまって死んだそうであるが、吾輩はそんな死に方はしたくない。もう死ぬ時期が来たら(あくまでもしであって現在の吾輩には毛頭死ぬ気などない)吾輩は絹の布団を五・六枚重ねた上に寝て、人間共の手厚い看護を受け、その甲斐もなく大往生を遂げる。この様な死に方なら吾輩も満足だし、又そうなりたい。

 ここで吾輩の飼主の家族を紹介しておこう。

 先ず主人であるがこの人は非常に怒りっぽく、吾輩が膝の上にあがる時には必ず顔色を見てから上がることにしている。商売は自動車のパーツ屋。個人商店としては相当羽振りも良いらしい。次に奥さん。奥さんは直接吾輩を引き取って世話をしてくれるのであって非常に吾輩を可愛がってくれる。つづいて主人の令息。つまり奥さんの息子でもある。この息子とくると、吾輩を可愛がってくれているのか、いじめているのか、皆目判らない。吾輩の最も苦手な人である。吾輩は息子が来るとなるべく敬遠して逃げようと試みるがいつも捕まってしまう。捕まったら最後尻尾を掴まれ逆さまにつるし上げをくらひ其の上二・三回ふり回わされ、あげくの果てには畳にぶちつけられる。こんな事を四・五回続けられるのであるからたまらない。腰がふらふらしてうまく立てない。この息子が吾輩をいじめている時、奥さんは止めてくれるのであるが、何と云っても相手が余りに若すぎるので仕方がない。(まだ五才六ヶ月)

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「12期の広場」 新年号のラインアップ

 新しい年のスタ-トです。

 謹んで新春のお喜びを申し上げます。また今年も「12期の広場」で精一杯に頑張りたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 

 ほんの数日前まで、街にはポインセチアの真紅と緑が溢れていましたが、今日は門松です。

 すっくとたてられた竹と松、やわらかい紅白の葉牡丹にちらばるように添えられた南天。『難を転じる』と言われる朱色の南天が目に鮮やかです。

 考えてみればこうしてお正月を迎えるのが、なんと72回目(午年の人は71回目)になるのですね。(念のためですが、0才で一度目を迎えていますから、年齢プラス1です。)日数で言えば2万6千余日、時間に直すと63万時間以上です。悠久の地球の歴史に比せばほんの一瞬とは言え、長い年月をかけて、今ここに至っているわけです。
であればなおさらのこと、清々しい気持ちと希望をもって新年を良い年にしたいと願わずにはいられません。
 

  卒業50周年記念文集「みをつくし」の最後に、7組の上野裕通君の提案で「苟日新、日日新、叉日新」(原典-『大学』)を引用しました。

 「苟(まこと)に日に新たに、日々新たに、また日に新たなり」

 この言葉が新春を迎えた筆者の気持ちに寄り添うようにして腑におちます。

 齢をまたひとつ重ねる今、あらためてこの言葉をかみしめながら、一年をすごすことができればと考えています。 

 

 さて今年最初の「12期の広場」ラインアップは、以下の通りです。お楽しみください。

 
  1. あけましておめでとう」     挨拶文   4組  酒井 八郎
                        年賀状   1組   上原  澄子
                               6組   松田  修蔵
                               8組   村崎  裕昭
  2. 2012同窓会会計報告書
  3. ふるさとは遠きにありて思ふもの」     7組  児嶋 雄二
  4. 荒川安子さんの書を見て」            
 
以 上

あけましておめでとうございます。

 12期の皆様、そしてご家族の皆様、明けましておめでとうございます。

 昨秋の同窓会は、たくさんの方々の応援を受け、無事開催することができました。幹事会を代表して心から感謝申し上げます。

 新年は大多数の同窓生が7回目の「巳年」ということで神社への初詣も、いつもより多いかもしれませんね。

 神戸では「生田さん」「楠公さん」と親しまれる、三宮の生田神社、神戸駅前の湊川神社、それから西の長田神社が、老いも若きも、たくさんの人で賑わいます。「この一年、福をさずかりますように」の願いをこめてのお参りの仕上げは、柳原のえびす神社です。

 昨年のNHKテレビの清盛で福原周辺にならんで観光客の参拝が増えた兵庫の厳島神社の近くに住んでいますが、結婚当時は、神社の通りを挟んで南に住まいしていたこともあり、子供達は神社の境内で大きくなった感じで、まずは厳島神社へ、そして湊川神社への初詣コ-スができていました。昭和40年代の神戸の新年は『ボゥ-』『ボゥ-』と一斉に鳴り出す港の船舶の霧笛で始まりました。教員時代は、その霧笛を聞きながら、教え子への年賀状を書いていましたが、「今は昔」の感があります。

 新年を迎え、上原澄子さん(1組)、松田修蔵君(6組)、村崎裕昭君(8組)が皆さんへの年賀状をしたためてくださいました。ご覧ください。

 今年が同窓生の皆さんにとってより良き年になりますよう願っています。

 西田昭夫先生からの伝言『いつまでもお元気で!!』

 
大阪府立市岡高等学校 第12期同窓会幹事会
代表幹事  酒井 八郎
 

村崎裕昭君(平塚市在住)からの年賀状

松田修蔵君(大阪市在住)からの年賀状


上原澄子さん(沼津市在住)からの年賀状

 12期の同窓会、出席出来なくて残念でした。先日電話をいただき、早速北村先生に電話をいたしましたところ、懐かしい字のお手紙と一緒に「読書感想文」を送っていただきました。セピアカラ-の原稿用紙の字も、文も、懐かしく、最後の1年5組大川澄子という文字にじ-んときました。

 北村先生に感謝いたします。私は藤村の「破戒」を読んでいました。

 私が「大川澄子」だった頃の大切にしている賞状を二枚送ります。セピアカラ-になっていますが、大切にしまってあります。来年の年賀状も同封します。

12月9日   上原 澄子


 HP委員から

 上原さんと電話でお話したときに高校時代のテニス部の頃、宮崎郁子さんとダブルスを組んで近畿大会で優勝したこと、全国大会でベスト8であった事をお聞きしました。その表彰状を保管しているとのことでしたので、是非にとお願いし送っていただきました。下の写真がその賞状です。