お知らせ
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2011年8月1日
「利根川 川歩き」源流に到達して

8組 山田 正敏
この計画は、モトモトなにか飲み会の席で川合の突拍子の無い発案から始まった。大河を河口から源流まで河の土手を徒歩で行くというのである。まさか実現するなどとは真剣に考えもせず安易に賛成したが、榎本が加わり、泉も乗ってきてとうとう実現の運びとなってしまった。さて、どの河にするネンということであるが、思い切って坂東太郎の異名を持つ日本第二、関東最大、最長の大河「利根川」に決定した。
その第1回目は2,007年10月30日利根川河口の銚子に近い犬吠岬の京成ホテルで壮行会を兼ねて一泊し、翌日の第1日:歩行距離30キロ。宿泊は潮来のホテル。翌々日の第2日:歩行距離20キロで終点はJR成田線神崎駅で解散するという計画であった。壮行会と1日目は泉が仕事の都合で出られず、1日目の夜、潮来のホテルで合流ということで当初メンバーは川合、榎本、山田の3人で始まった。その後、大石橋、西條の参加を得て総勢6名。そして、4年の歳月を経てとうとう今年2,011年 第9回目(5月9日~11日)の5月10日最終目的地点「八木沢ダム」の標高856Mの提頂に到達した。(八木沢ダムは利根川水系最上流、最大のダムで、提高131M、提頂長352M、提頂幅7.9M、提頂標高856M、有効貯水容量175,800,000㎥。)
本当の利根川源流は大水上山の頂上であるが、それには、八木沢ダムに堰き止められた奥利根湖を、ボートを仕立てて10KM行き、そこから、水平距離10KM、標高差1,076Mの沢登りをしなければならず、我々の登山技術ではとても無理だと判断し「八木沢ダム」を終点とした。
(さらに…)2011年8月1日
利根川を歩いて-川合君のリーダーシップ-
8組 榎本 進明
正直、私はリタイアするかもしれない、そして続くとは思わなかった。利根川全長322kmは、322kmに意味があって、それはウォーキングコースを毎日7km歩くと46日で踏破できる。それで利根川の長さを歩いたことになる。実際に地球を一周しなくても40,000kmをどこで歩こうが地球を一周したのと同じ距離になるのと似ている。そんなことを考えていた。
しかし、川合君の情熱には負けた。河口から連続して歩かなければならない。利根川を歩いたことにはならない。利根川を区間に区切って暑いときには涼しい上流を歩いたり、たまには下流に下ったり、最終的には全区間を踏破しても歩いたことにはならない。そんなことは一切許さない。実に律儀で河口から上流に向かって一歩一歩ひたすらに上流を目指す。まるで鮭の遡上のように反則は許さない。このリーダーシップに私はついていったのである。
私は第2回と第3回は不参加だったが、川合君と山田君の二人は完歩した。しかし、山田君の日程が合わず参加が危ぶまれたときがあった。それは第8回のときで、山田君は「皆の都合のいい日にしてくれ」と言ったが、川合君は全区間踏破が途切れるのは良くないと言って皆に声を掛けて調整した経緯もあった。もちろん皆は山田君の日程を最優先にしたが、結果的には山田君が日程を空けることに成功して事なきを得たのだった。

この川歩きは第9回で最終となったが、12泊21日を一緒に過ごして、やはり河口からひたすら上流を目指したことに意義があったのだなとつくづく思う。そして、歩いているときも、宿でも、温泉での裸の付き合いでも、語らいがあり絆が深まっていったのは言うまでもない。
いま回想するとひとつ一つ懐かしさがこみ上げてくる。市岡12期生としてこんなに長く寝食を共にしたことはなかった。一大イベントだったのだなぁと思う。
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2011年8月1日
利根川歩き雑感

5組 泉 信也
「利根川を河口の犬吠岬から源流まで歩き通しました」等と云っても大抵の人はその苦労や喜びを分かってくれない。それで良いのだ、それにしてもこういう途方もないことを考えつくのは市岡のDNAなのか、その上俺も一緒にという輩が6人もいたのも驚きだ。
家康は秀吉に三河の領地を召しあげられ関東に国替えになった時、泣き言を言わず、彼の地には開拓の楽しみがあると言ったそうだが流石の慧眼である。農に始まり、工商の集積そして今につながる人と文化、この豊かさをもたらしたのが利根川の流れだ。足掛け5年、雨にもめげず、風にも負けず、暑さ寒さもなんのその、良い仲間に恵まれてその日本一の流域の景観と歴史を心ゆくまで楽しめたのは秘かな誇りだ。もちろん土地土地のご馳走や疲れた足を癒してくれる温泉も忘れられない。
心残りは源流の一滴を見ていないことだ。もと山岳部のエキスパートにガイドしてもらっても沢を最後まで詰めるのは無理のようだ。越後側から大水上山に登って源流に下ると云う手がある。全員で行こう、そして次は荒川だ。
2011年8月1日
利根川 川歩き感想

6組 大石橋 宏次
9回にわたる利根川河口から源流に至る川歩き(私は8回ですが)を終えて、強い達成感に浸っています。子供時代を関西で過ごした私は淀川、大和川などなど関西の川にはなじみ、親しみがありましたが、成人後東京に来たため、あまり関東の川には親しみを持つことはありませんでした。
今回の利根川歩きを通じて、川沿い各地の風景や人々、古い宿、点在する旧跡などに接し、これまで味わったことのない感動を覚えました。そしてこの川が親しみを超えて、好きになりました。
こんな機会を与えてくれた川合君、榎本君、そして楽しくまた厳しい時に支えながら共に歩いてくれた泉君、山田君、西條君に心から感謝しています。
次回(荒川?)が楽しみです。そして参加者もさらに増えればと願っています。
(さらに…)2011年8月1日
利根川歩きつれづれ

3組 西條 軍蔵
同窓会の二次会で飲んだ数人とのなかで利根川歩きに参加を勧められ 皆について行けるものか心配だったが第6回から参加した。それが私にとっては初体験なのだがいきなり上州空っ風の洗礼をうけ参った。しかし夜のうなぎと酒はうんまかった!
第7回は熱中症と戦いながらの死の行進。第8回は川歩きとゆうより半分山登りの気分だった。疲れを癒した宝川温泉は最高!雨上がりの虹はきれいだった。
そして最終回第9回はダム湖をみながら八木沢ダムで万歳 バンザイ!!と叫びましたね。露天風呂と熊なべ等など一人では決して出来ないことをすばらしい仲間と達成できたことに多々感謝である。有難う!!これからもよろしく願います。
2011年8月1日
川歩きのおまけ
第9回の帰りの列車の中での話。次はどこにしようかということになって「荒川」と決まった。 荒川の源流は標高2475mの甲武信(こぶし)岳直下にあり、約2200mから湧き出る水を最初として、東京湾まで流れ出る延長173kmの川である。秩父側から水源まで歩いて辿り着けるかは調査をしていないが、登山になることには間違いない。
そんな話をしていると、もともと登山に自信のない山田と川合も今まで登ったことのない高尾山なら登りたいと言ったので、急遽計画することになった。標高599mで六甲山よりはるかに低い山を、往復ケーブルカーを使って登ることにした。 このケーブルカーは、高低差271メートルを一気に1分強で昇り降りする日本最急勾配30度8分のケーブルカーである。 |
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男性は利根川メンバー6人に加え、高尾山に近い地元八王子の萩原君(8組)、そして女性4人、杲田さん(2組)、高谷さん(2組)、坂野さん(2組)、藤原さん(1組)を誘い、総勢11人で7月14日(木)登ることになった。 |
2011年7月1日
「12期の広場」 7月号のラインアップ
7月ですね。早いもので、今日から平成23年も後半期に入ります。東日本大震災とそれに伴う福島原子力発電所のメルトダウン。その復旧、復興の足取りは遅々として進まず、心配事ばかりが増えていくようで、梅雨空と同様に心までもが晴れません。
気温も不順そのもの。上がったり、下がったりの大阪で、先日ようやく、上着を半袖に替えました。いよいようだる暑さの夏本番が目の前です。今年は関西でも15%の節電が必須のようです。エアコンに慣れきった体、更なる加齢のことも考え合せて、はてさて今夏を耐え忍ぶことが出来るのだろうかと、またくよくよしてしまいます。
以下が、「12期の広場」 7月号のラインアップです。(敬称は省略します。)
- 「トゥールポンロー みおつくし中学校」 3組 清水 誠治郎
- 「奈良歩こう会に行ってきました」 7組 張 志朗
- 「ヒマラヤトレッキング」 8組 八島 平玐
- 「塚本建生君のこと」 8組 川村 浩一
- 「第8回 利根川 川歩き」 4組 川合 兵治
- 「-高田松原の“希望の一本松”-」 6組 佐藤 裕久
「利根川 川歩き」は1月号から掲載をはじめ次回の8月号で大団円です。したがって8月号はその「総合特集記事」とします。ご期待ください。
川合兵治君、ご苦労さまでした。またありがとうございました。
2011年7月1日
トゥールポンロー みおつくし中学校
約5年ほど前に、北九州に本部があるCMC(カンボジア地雷撤去キャンペーン)代表の大谷賢二氏と会う機会を得て、色々と話を聞かせていただいているうちにカンボジアに中学校を造ろうとの夢を持つようになりました。
地雷の被害に苦しむカンボジアの現状は、メディアを通じてある程度の事は理解してはいましたが、本当の実態は知りませんでした。カンボジアといえばアンコールワットに代表される遺跡群が余りにも有名ですが、これらから得られる利益は確かに国の一部を潤していますが全部ではありません。米作の農業以外これと言う産業はありません。
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2011年7月1日
「奈良歩こう会」に行ってきました。
奈良市岡歩こう会主催の「伊勢本街道と室生古道ハイキング」が5月22日(日曜日)にありました。参加者は全体で27名、我が12期は、畠平君、久保田さん、古藤さん、段中さん、鈴木さんそして私、張の6名です。
恩師の先生方では江本先生、小椋先生のお二人が参加されました。
「風薫る五月、陽光に輝く新緑の中を」といきたかったのですが、天気は曇天。いつ雨が降り出すかとの心配しながら、午前10時に近鉄大阪線榛原駅からバスでスタ-ト地点の高井まで行きました。(榛原は奈良県宇陀市にあり、奈良県北東部。宇陀市の東側は三重県との県境になります。近鉄鶴橋から急行で約1時間です。)
予定コ-スは、高井バス停からすぐに「伊勢本街道」に入り、「千本杉」へ、その後、棚田を見ながら諸木野関所跡、諸木野集落を経て、高城山を右にして北上、佛隆寺へ、そして「室生古道」を辿ってスタ-ト地点の高井に戻る、周回コ-スの全長約8キロメ-タ-です。
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2011年7月1日
ヒマラヤトレッキング
ネパールのトレッキングについて、再度まとめてみましたので、ご覧下さい。ネパールは友人のS君が良く知っており、彼を含め3人で出かけました。コースの目的地は、パンチポカリ(5つの池の意味)というヒンズー教の聖地を目指したものでカトマンズの北東部にあたります。
コースは巡礼の道とのことで、途中にロッジはなく総てキャンプとなり、そのため、テント、食糧、我々の荷物を運ぶのにガイド、コック、ポーターの計10名、合せて13名の大編成となり記録映画に出てくるような山行を楽しみました。(登りはポーターを更に1人雇いました)
カトマンズから小型バスで6時間位かけてチョウタラ、更に、シャウレ村へ入り、この村のひえの段々畑が初日のキャンプ地でした。丁度、テハール祭の時期で村にはタルチョ(色とりどりの祈祷旗)が飾られ、途中の昼食を摂った食堂では、犬がマーガレットで作った花の首飾りをかけて貰っていました。テハール祭は光の祭りであり、収穫祭とのことで、山に入る前日のカトマンズの青空市場は、大いに賑わっていました。
キャンプでは、朝6時頃に、まずモーニングコーヒがテント毎(我々は1人1張りづつ)に配られ、その後、お湯を洗面器に入れて持ってきてくれ顔を洗い食事となります。朝食はスープ、パンケーキ(蜂蜜orジャムを付けて食べる)、卵料理で、結構おいしいものでした(我々に合うように味付けされている)。最後にお粥が出ます。お粥は、味が付いていないので持参した梅干し、ふりかけ、塩昆布で食べるといった食事でした。食事後、水筒にお湯を入れてもらいこの湯冷ましを飲み水としました。そして、テントを畳み、後片付けをして出発となります。山に入った最初の村と、最後の村では鶏を買ってきてくれ捌いてご馳走してくれましたし、山から下りた村では山羊を買ってきてジンギスカンやハンバーグとして出してくれました。また、毎日食後にりんごが付きました。りんごは、小さく、味は上高地で見られるものより更に素朴でした。
(さらに…)
- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
吉川初恵さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: