12期の広場

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『趣味のギャラリー』―「陶芸について (1)」

8組   山田 正敏
 
 昭和39年 大学卒業以来38年間、61歳でサラリーマン生活を卒業。その後の勤めについては一切考えず、生活については退職金、年金と僅かの蓄えで何とかなるだろう位の考えでいた。 問題は、仕事を離れた人生に於ける“暇”というものを、如何に潰し、残りの人生を楽しむかである。 就職するまで、高校、大学と懸命に励んだ「剣道」。その後40年近く止めていたが、その再開と「ゴルフ」、「海釣り」、「囲碁」、友人達との月1~2回の「飲み会」 等々、これで まあ何とか“暇”潰しは出来るだろうと考えていた。
平成15年頃の作品
タタラ作り長皿
 しかし、「剣道」は近くの剣友会に入会したものの、初日早々左足ふくらはぎ肉離れでダウン。2週間程度トレーニングを積んでの事であったがあまりの体力の衰えに愕然。そして再開を断念。「海釣り」は師匠としていつも同行させてもらっていた友人を交通事故で失い断念。
 結局 「囲碁」と 「飲み会」 だけで残り人生を楽しむには何となく寂しい気がしていた。
 「陶芸」 については小生なんら経験が無く、興味も無かったが、毎年、5月と11月に栃木県・益子市で「陶器市」が開催され、陶器の鑑賞を大いに趣味とする、我が女房殿のアッシーとして、50歳ぐらいから車の運転手を務め、ほとんど毎年のように年2回、陶器市に行くようになった。其処で、プロの作品を見たり、作陶の実演を見学したりする内、なんとなくやってみたい、又、自分にも出来るかもしれないと言う気になってきたのかもしれない。
平成17年頃の作品
タタラ作り花器φ24cm
 昭和50年、34歳で大阪から東京に転勤して以来、千葉県船橋市の夏見台団地という690戸の団地に住まいしているが、その東側に隣接して市の 「中央老人福祉センター」 がある。その「センター」には 書道・華道・水墨・詩吟・コーラス・カラオケ・茶道・日本舞踊・等々22のクラブがあり、その1つに陶芸クラブがある。そこに入会できる条件は船橋市民である事、4月1日付で満60歳以上である事の2点だけである。そこで平成14年4月入会。
 当時陶芸クラブの部員は104名だったと記憶している。
 この陶芸クラブに入って思ったことは、現在、小生の付き合いする仲間は、市岡の同期、大学土木科同期で関東に住まいする一部の仲間達、大学剣道部の仲間達であるが、おそらく、この陶芸クラブのメンバーが人生最後の仲間達になるであろうという事を感じている。
平成17年頃の作品
黄瀬戸釉皿φ23cm
 メンバーの年令は60歳~90歳前後、気の合う人、合わない人、耳の遠い人、足腰の不自由な人、月に何日も医者通いしている人、在籍中に亡くなる人、小生のこれからの人生が全て詰まっているような気がする。
 このクラブのシステムは未経験の新入会員は、1年間講師の指導のもと手びねりによる研修を受けることになっている。研修は、当時、月2回の金曜日であったが、やればやるほど面白く、やりかけの作品を自宅に持ち帰り、毎日毎日、女房殿があきれるほど、夜遅くまで土と格闘したものである。そして2年目以降は教室で、手びねりによる自主制作を先輩たちの指導を受けて、作陶する。
 当時、電動ロクロは3台しかなく、一部の先輩達が使う為、我々は手びねりのみの自主制作による作陶ではあったが、慣れてくると、益々のめり込み、他に用事が無い限り、センター作業室や自宅の一室を工房とし、のめり込んだ。
平成18年頃の作品
飛び鉋文茶碗
 さすがに女房殿も「電動ロクロ」を買うことを勧めてくれるようになる。金額は10万円を少し超えたが、センターで使用しているものと同じものを買い、益々の上達を確信していたが、これがなかなか思うようにいかない。
 先輩で上級者と思われる人の作陶を、一心不乱に見学させてもらったり、又、船橋の東武百貨店や東京三越百貨店で陶器市をやる時、たいがいプロによるロクロの実演がある。11時頃から昼食をはさんで1時から3時頃まで色々な作品の製作(水引きと言う)について、初めから終わるまで見学させてもらった事が、小生のロクロ上達にずいぶんと役に立ったと思っている。あまりに熱心に見学しているのでけっこう顔見知りになり、「何でも判らんことがあれば聞きなさい」と言って貰った時はさすがに嬉しくて、色々質問させて頂いた事を思い出す。
平成19年頃の作品  三島手茶碗
 見よう見まね、悪戦苦闘の毎日であったが、入会後8年、当時講師をしておられた先生が、高齢を理由で引退される事になって、その後任に部員の総意により、小生が選出され、福祉センター及び船橋市の同意を得て講師に就任。今年3月で満6年になる。技術的にはまだまだと自覚しているが、クラブ全員の技術アップの為、小生の益々の技術アップの為、精進し、もう一年講師を続け、後進に道を譲るつもりでいる。
 
(次号につづく)

「12期の広場」3月号のラインアップ

 「春は名のみの 風の寒さや  谷に鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声もたてず  時にあらずと 声もたてず」(唱歌『早春賦』から)
 
 春は弥生の3月です。冒頭に書きだした『早春賦』がぴったりの時節です。
 今しがたも駅近くまで行ってきたのですが、ダウンジャケットに手袋までしていました。それでも、陽だまりを選るように歩くと、日差しに春独特のもわっとした暖かさを感じられ、街路樹やちょっとした植え込みのそこかしこに若緑の点々とした芽吹きを見つけることができました。「春はもうそこに」ですね。
 これから関西では東大寺二月堂の“お水取り”、お彼岸、選抜高校野球の開幕と続く「春の階段」を登りつめて、爛漫の桜にめぐり会う事になります。やはり暖冬とは言え冬をやり過ごしての早春3月の感興は格別です。
 今月号の上原澄子さんの絵手紙は「雛祭り」です。添え書きに「少しずつ春が近づいていますね。今月はお雛様を描きました。顔がむずかしくて何度も描き直しました。」とあります。女の子のお祭りですから、私には経験がありません。お呼ばれもなかったのでショーウインドウのひな飾りを目にするだけでした。ふと、白酒やあられ、菱餅の宴はどんなだっただろうと、思ってしまいます。
 先日、母校の創立100周年記念誌を見ていて興味深い記録を見つけました。「校内マラソン大会」を覚えておられますか。マラソンと言えば、冬ですが、市岡高校では11月14日~22日の土曜日、短縮2時限の授業後に行われていました。距離は男子が10.2km、女子が6.8km(3年次の記録)です。コースは、普段使わなかった狭い裏門を押し合いへし合いして出て、安治川沿いを走り、天保山から折り返し、正門から入ってのゴールだったようです。
 そこに順位記録が残されており、12期の同窓生が上位に名を連ねていたのには「ビックリポン」です。
 高校1年次が第10回マラソン大会。団体成績では1位から3位まで1年生である12期のクラスが独占、個人男子で北尾晃君が2位となっていました。翌年の第11回大会ではなんと、個人男子、女子ともに1位から3位までを12期(男子1位 高市恒和、2位 北尾晃、3位 森武雄、女子1位 宮崎郁子、2位 中島久美恵、3位 大川澄子)が独占していました。3年次が第12回大会で、男子は駄目でしたが、女子はまたもや1位から3位までを12期が独占しています。1位がなんと絵手紙の作者の大川澄子さん、2位が宮崎郁子さん、3位が松谷美智子さんとなっていました。テニス部、バスケット部の所属で12期きってのスポーツウーマンだったのですね。脱帽することしきりです。残念ながら松谷美智子さんはすでに鬼籍に入っておられます。上位の颯爽とした韋駄天ぶりに比して、ダラダラと青息吐息で走っていた自分の姿が思い出され、「さもあろう・さもありなん」と納得しつつも少々恥入っています。
 
 さて今月号の12期の広場は次の通りですと書きたいのですが、残念ながら1本のみです。ご容赦宜しくお読みください。

1.  「市岡高校吹奏楽部第8回定期演奏会が開催されました。」
以  上

「市岡高校吹奏楽部OB・OGバンド第8回定期演奏会」が開かれました

 2月21日(日曜日)午後2時から阿倍野区民センター大ホールで開催された「市岡高校吹奏楽部OB・OGバンド第8回定期演奏会」に行ってきました。
 なくなった4組の内田勝章君に誘われて初めて定期演奏会に行ったのが、2011年2月。当時が第3回で、今回が第8回ですから、5年ぶりです。JR天王寺駅で降りて急ぎ足でギリギリ、開演に間に合いました。




 すでに会場は、ほぼ満席(会場は660席)。ようやく中央の右はしに空きを見つけて着席後、間もなくの開演でした。
 今回の演奏会は3部構成で、第1部がオリジナルステージ、第2部がアンサンブルステージ、第3部がポップスステージとなっていました。
 「コンサートマーチ『テイク・オフ』」(作曲:建部知弘)の演奏から第1部が始まりました。
 舞台一杯にOB・OG総勢56名のフルバンドが登場です。指揮は42期の赤塚弘一さん。『テイク・オフ』(離陸)の楽曲名通り、開演にふさわしい、華やかさと力強さに満ちあふれたダイナミックな演奏に引き込まれます。続いて「Music in the Air」(作曲:アルフレッド・リード)と「フライト-大空の冒険-」(作曲:ベンジャミン・ヨー)が演奏されました。
 「フライト」は「若いパイロットの大空での経験」を音楽表現したものだそうですが、あたかも機上から空と海と緑の島々を俯瞰するような感覚と爽快さ感じました。特に一般的な楽器以外に、洗濯機の排水ホースのような形のもの(これも楽器だそうです)を振り回して音をだしたのにはその意外性と調和にちょっと驚きました。
 第二部はリコーダー、クラリネット、サキスホーン、打楽器、各パートのアンサンブルです。
リコーダーは8名で「ハイホー」(ディズニー映画「白雪姫」から)と他1曲、クラリネットも8名とパーカッション1名で「情熱大陸」(作曲:葉加瀬太郎)、サキスホーンは7名で「ルパン三世のテーマ」(作曲:大野雄二)他1曲、打楽器は7名で「星物語-風の章-」(作曲:野本洋介)をそれぞれ演奏しました。OB・OGバンドの打楽器は大阪でも指折りのグループで一昨年のコンクールで金賞を取ったそうです。そのはずです。十種類を超える打楽器を使いながらの繊細で余韻一杯の演奏に目を瞠りました。
 吹奏楽の醍醐味はスゥイングです。それがはじけたのが第3部のポップスステージで、舞台と客席が一体になって演奏を楽しみました。第3部のテーマは『踊り』です。
 楽曲は「踊り明かそう(マイ・フェア・レディから)」に始まり「Shall We Dance ?」までの4曲です。演奏も再びフルバンドです。したがって迫力は満点です。また各所に変調が入り、「あれっ、これってボサノバ?」などとスゥイングの自由自在さが際立ちました。
 演奏途中にソロが入る、掛け声が入る、最前列に並んでのダンスが入る、「ちびまる子ちゃんメドレー」では客席にまでおりて菓子袋を配るなど、盛り上がりは最高潮です。
 客席も手拍子で答え、中には体を揺らす人がいるなど、楽しさが会場中に充満しました。こうしていよいよエンディング。
 鳴り止まないアンコールの大拍手に答えて2曲-NHKの朝ドラ「あさが来た」の主題歌「365日の紙ヒコーキ」とスマップのヒット曲「JOY」が演奏されました。
 5年前の演奏会でご縁ができた高橋正憲(18期のトロンボーン奏者)に幕間、ちょっとご挨拶し、写真を撮らせて頂きました。18期ですからOB・OGバンドでの最高齢者でしよう。しかしご覧のように若々しく、今回の舞台でも抜群の存在感で、溌剌とした演奏をきかせてくれました。
 後日、お礼の電話をしてお話したところ、観客数は560人、また観客のみなさんにお願いしたアンケートの回収数が250数通、今までで一番多かったそうです。
 「精いっぱいの演奏が客席に届き、それがはねかえってきて演奏が一層、変わって行きます。これが生演奏の最大の魅力ですね。それを今回も味わうことが出来たことを大変嬉しく思っています。特に『楽しかった』『無料はありがたい。いつまでも続けて下さい』など、素朴ですが、感動的なアンケートのコメントにはいつも泣かされますよ。」と明るい声で語ってくれました。
 ほとんどが社会人であるOB・OGバンドの一番の悩みは、日常生活と仕事をやりくりしても十分な合奏練習の時間がとれないことだそうです。そんな中にあっての演奏者と客席の得難い交歓は、第8回を数えた定期演奏会を実現したからこそのものでしょう。
 そのご苦労に思いを馳せながら、市岡高校吹奏楽部OB.OGバンドの皆さんの更なる活躍を期待し、また応援して行きたいと素直に思いました。
(文責: 張 志朗)

「12期の広場」2月号のラインアップ

 2月です。
 1月は、予想外の暖冬で、正月三が日をはじめ、下旬まで暖かい日和に恵まれましたね。
お蔭で毎年2月頃、わが家に「春一番」を告げる庭の水仙がなんと、お正月の花に仲間入りして玄関を彩りました。そればかりか、はやばやと蝋梅までもが満花、今はメジロが飛んで来てさかんについばんでいるありさまです。加齢の身ですから、暖かいにこしたことはありません。しかし並みはずれた天候不順は、それを喜ぶ気持ちよりも、穏やかならざる心地がして不安にさえなります。
 年明けから暗いニュースが続いてそんな気持ちに拍車がかかったようで、あらためて、今年が良い年になりますようにとの願いを強くしています。
 大寒を迎えた先日、ようやくのように厳しい寒波が日本各地を襲い、雪をふらせました。関西も今冬一番の冷え込みでした。水盤の氷は見事な厚氷に、ウッドデッキは真白になりました。やはり季節の移ろいにはゆるぎがないようです。寒風の中、祝祭が過ぎた後の日常の手ごたえと、春を待つ心とが入り混じるたしかな2月、如月がここにあります。
 上原澄子さんの今月の絵手紙はやぶ椿です。添え書きに「急に寒くなりましたね。富士山が真っ白になりました。今月は村崎裕昭さんからいただいた柚子の絵手紙も送ります」とありました。したがって今月号の絵手紙は二枚、上原澄子さんと村崎裕昭君の作品です。
 お二人の絵手紙の交流の始まりは、平成17年7月21日の東京12期会の1泊2日箱根旅行がきっかけでした。この旅行には関東在住ほかの19人が参加して、お天気に恵まれた箱根を存分に楽しんだそうです。宴会の席上、各人の自己紹介で上原さんの趣味が絵手紙であることを村崎君が知り、その後、上原さんの手ほどきを受けて、めきめき腕を上げられ、今では上原さんが教えることがなくなったと言うほどの腕前と聞いています。市岡の同期として素晴らしい出会いが出来たと上原さんは感激されているそうです。
村崎裕昭君の作品です
 6回目を数えた上原さんの絵手紙に加え、村崎君の絵手紙に感謝、感謝です。「12期の広場」に寄せて下さるお二人の気持ちに心が暖かくなります。
 こんな日には何が何でも鍋と熱燗です。幸いに同窓の友人から届いた京都の「生ゆば」もあります。身も心も元気にして2月を乗り切りたいと考えています。
 
 さてわが「12期の広場」2月号のラインアップは二編です。
「リレー投稿 つれづれに③」は新人の「1月の寒い朝 ごんべ」さんの登場です。お楽しみ下さい。

1.  「リレー投稿 つれづれに ③」            1月の寒い朝 ごんべ 
2.  「市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました」
以上


『リレー投稿』  - つれづれに -  ③

筆者が愛読している「現代俳句」と所属している「山河」の記念号
 暮れから年明けにかけて恩人が立て続けに亡くなった。「人間は死ぬものなり」と知りつつ、身近な死の衝撃は大きい。
 早や1月も過ぎようとするが、衝撃は感傷に変わりつつあり、時の癒しの早さにとまどう昨今、好きな俳句を読みかえしながら「人間の肉体」を題材とする句を見つけた。
 「からだとこころ」は一体である。
 とりあげた句は「からだ、またはその一部」を詠み「こころ」は云わない。体は滅するが心は滅びない。死者はいつでも側にいてくれると知って心が安んじられた。
 「人間紀行」と称し、拙い鑑賞を試みたのでお付きあい願えれば幸いである。
 
人体冷えて東北白い花ざかり         金子兜太(とうた)
 肉体とは頭のてっぺんから足の先まで外皮に包まれた全体を云い、類語に身体、対義語に霊体、精神などがある。人体とは自然科学的な表現だがその外観は頭、首、胴体、手、足に分けられ五体と云い、霊的なものを加えて六体と云うこともある。この骨太な兜太の句は六体をまるごと地吹雪の中に立たせ、哀しいまでに美しい。ダ・ヴィンチは「画家は自然を師とすべし」として美の真実に迫るため夥しい数の解剖図を描いたが、人間の体は未だに自然界の謎である。
 
しぐるるや 蒟蒻(こんにゃく) 冷えて (へそ) の上      正岡子規
 数多い病床吟詠の一つだが、苦痛を訴えず、腹を温めるはずの 蒟蒻(こんにゃく) の冷たさを云い放つことで上等のユーモア、俳味が生まれる。長患いの中で鍛えられた心の強さと生への執着が「死は近づきぬ。文学はようやく佳境に入らんとす」の凄絶な言葉を生む。
 
(はらわた)に春 (したた) るや (かゆ) の味         夏目漱石
 子規に誘いこまれて俳句の道に入った漱石の句は余技、低徊趣味とそしられることもある。修善寺で「卒然として閃いた生死二面の対照」を感じた後のこの句は、『朝寒や生きたる骨を動かさず』、とともに「自然はよく人間を作れり」と観じた漱石の句の白眉といえる。病は俳句の肥やし、だそうだが健康は大切にしたい。
 
なきがらや秋風かよふ鼻の穴          飯田蛇笏(だこつ)
 鼻孔が句材になるとは新鮮な驚きだ。蛇笏の句の格調の高さを些かも損なうことなく、秋風を通わす虚ろな穴を拡大することで哀切の情をいっそう深めている。子息の龍太が、『手が見えて父が落葉の山歩く』、と尊敬する所以である。
 
万緑の中や吾子の歯生えそむる        中村草田男(くさたお)
 人が初めに覚える言葉は人体のパーツである。目、鼻、口、耳、おてて、あんよ。草田男の代表作とされ、「万緑」を季語として確立したと云われるこの句では白い歯と濃い緑を対比させ、自然界と人間の生命力をためらうことなく祝福、讃美している。赤ん坊の肉体や動作は驚きであり、創造者への畏敬ともなる。
 
陽炎の我が肩にたつ (かみ)() かな        松尾芭蕉
 元禄二年、奥州への旅立ちの春である。うららかな春日、旅支度の肩に立つ陽炎に、高揚感と先へのかすかな不安、こころのゆらめきを感ずる。
 
 新しい年を迎え、我々にもそれぞれにまた人生の新しい旅立ちが待っている。
 
1月の寒い朝 ごんべ

市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました。

 市岡OB写真クラブの第7回作品展が1月7日から12日にまで、大阪天満宮近くのMAGギャラリーで開催されました。
 1月10日の日曜日、年初めとは思えない暖かさに誘われるように、見に行ってきました。会場は前回と同じ場所。この日は、丁度、「えべっさん」の日。周辺には有名な「堀川戎」に加えて、「大阪天満宮戎」もあり、日本一長いと言われる、天神橋筋商店街は大変なにぎわいでしたが、作品展のシックな会場は別世界。OB・OGの暖かく、思い入れにあふれた作品をゆっくりと鑑賞することができました。
 会場入り口近くに下のような挨拶文が掲げられていました。
 「私たち市岡OB写真クラブは、市岡高校OB・OGとその家族や友人たちが集まって、月に一度撮影に出かけ、母校で例会を開いています。
 旧制中学の卒業生から社会人として忙しく活躍中の会員まで年齢差30歳あまり。写真を撮ること、見ることを楽しんでいます。第7回を迎え、少しは上達したかなあ、というところです。どうぞごゆっくりご高覧ください。仲間入りしようという方は是非どうぞ。」
 出展された作品は撮影者数が19名、一人2作品の38点でした。最高齢の片山孝雄さん(旧制中学42期)の「柿一葉」(撮影場所:和歌山県かつらぎ町)、「岩壁の紅葉」(撮影場所:滋賀県高島市)はじめ、モチーフは主として風景写真です。その風景写真も、花びらに光る水滴から、雄大なネパールの山々に移ろう暁光まで実に多彩で、これがアマチュアの写真なのかと、感じ入ることしきりでした。
車のボンネットに映る建物・題名は「ゆらぐ」
 遠景があったり、近景があったり、接写があったり、カメラアングルも多様で目を瞠ります。撮影場所も、体調不調で自宅の庭がその場所であったり、国内では北海道利尻島、遠くはネパールや桂林、ハワイにまで及んでいます。
 何より、老いてますます磨きがかかる森羅万象への感性には、ただただ驚きながらも励まされるばかりでした。高校7期、山田美代子さんの「ゆらぐ」は、神戸市の駐車場で自動車のボンネットに映し出された建物の姿を撮ったものだそうですが、その現代的なセンスがとても力強いと感じました。
 わが同窓生の高見政博君の写真は「レースの飾り」と「稚児のかざぐるま」です。山好きの彼らしく双方とも高山に咲く、可憐な花です。「レースの飾り」はハナウド(長野県白馬)、「稚児のかざぐるま」はミヤマホツツジ(長野県小谷)だそうで、草花をこよなく愛する彼の気持ちが鮮明に伝わる写真です。「稚児のかざぐるま」の題名は奥様と一緒に考えたそうです。私のカメラ操作が不慣れで少々、実物とは色合い他が異なっていますが、ご覧下さい。
「レースの飾り」
「稚児のかざぐるま」

 結成されて10年の市岡OB写真クラブ。13期の中務敦行さんをリーダーとして20数名が参加していますが、その作品展も7回目です。ますますの充実ぶりにこれからがさらに楽しみになりました。ちなみに、今回の作品展には延べ120名余りの方々が訪れたそうです。
(文責:張志朗)

12期の広場」1月号のラインアップ

 明けましておめでとうございます。
 幼い頃、この挨拶を不思議に思いながらも、お正月とお年玉をもらえることの呪文のようにくりかえした記憶がありますが、新年の朝を迎えて最初に発する言葉に、これ以上のものは、やはりないようです。齢を重ねるごとに万感の想いがあふれてくるように思われてなりません。
 上原澄子さんの絵手紙の添え文に「今回は富士山を描いてみました。沼津千本浜からの富士山はやさしい感じがします。私の家の二階から愛鷹山(あしたかやま)の向こうに白く頂上だけが見えます。よい年でありますように・・」とあります。今年も健康に留意して精いっぱい、楽しく過ごしていきましょう。
 わが「12期の広場」も、はや6年目を迎えました。新年にあたり、今後ももっとよくしたいとあれこれ考えて、ついつい気負ってしまいますが、「ゆるゆると続ける」ことを基本に置いて、今年も頑張りますので宜しくお願いいたします。
 今年は大阪での同窓会の年。多くの同窓生との2年ぶりの再会を願い、同窓会のクラス幹事の皆さんにショートメッセージを頂きました。酒井代表幹事の挨拶を含めて7名の幹事さんが登場しています。お読みください。
 次に石井孝和君の「思い出を綴る」が最終回です。初回から数えて12回目ですから、1年間の連載でした。私の机の横に86枚に及ぶ400字詰め原稿用紙と提供された数多くの写真を入れた箱があります。「思い出を綴る」はその量もさることながら、内容の多彩さと細密さ、さらに回を重ねるごとに新鮮さを増しながら1年間を通して私たちを楽しませてくれました。この労作の執筆者である石井孝和君に、心から感謝申し上げます。
 またいつ日か、「12期の広場」にご登場いただくことを楽しみにしたいと思っています。

 「12期の広場」新年号のラインアップは、次の通りです。

1.  「明けましておめでとうございます」          4組 酒井 八郎 
2.  「25年続けている水泳と川柳」             2組 北浦 昌子 
3.  「今、ものすごく幸せです」               3組 清水誠二郎 
4.  「して見たいことが沢山」                5組 段中 文子 
5.  「今を大切に楽しくいきたいなー」           6組 畠平 雅生 
6.  「1日、1日をかみしめて」                7組 上野 裕通 
7.  「今年もどうぞよろしく」                 8組 末廣  訂 
8.  「思い出を綴る」(最終回)                3組 石井 孝和 
以上

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
12期同窓会代表幹事  酒井 八郎

 12期同窓生のみなさん、新年おめでとうございます。今年もみなさんのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
 また開設6年目を迎えました「12期の広場」を支え、投稿して下さる12期のみなさんや毎月1日の更新を楽しみにして頂いている読者の方々、毎月の更新に向けて応援して下さるプリンティングサービスのご尽力と、一年中、原稿依頼から編集にと努力を惜しまず奮闘くださっているHP委員の方々に感謝し、心からお礼申しあげます。
 誰でも、何処でも、何時でも、「澪標」のサイトに入っていただければ、「12期の広場」があり、今は遠くに離れていても、市岡の仲間がそこにいます。これからも一人でも多くの同窓生の投稿を機会があるたびに呼びかけ、継続していきたいと思っております。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
 今年は大阪での同窓会開催の年になります。
 昨年9月に京都で幹事会を開催し、それに向けての大枠を話合い、「広場」で報告させて頂きました。また11月には大阪との隔年開催の「市岡高校東京12期会」が開かれ、大いに盛り上がりました。今年、私たちの大半が75才、いわゆる「後期高齢者」の年齢領域にはいりますが、意気込みはいつまでも「市岡健児」のままでありたいと思っています。
 今年の秋、今のところは10月の第3日曜日に、大阪での「2016市岡高校第12期同窓会」を開催したいと考えております。4月舞洲でのお花見の後の幹事会で最終決定し、その具体的な準備に入る予定です。
 30年前、玉田先生が『100人を越えての同窓会ができるとは、12期は仲が良いのだね』と喜んで下さいました。昨年3月に亡くなられた北村先生は『「一会一期」とか言うようですが、市岡で会えたのは深い因縁です。限られた生命のなかで仲良く、楽しくやって行きましょう』と言い残されました。
 今秋、一人でも多くの方との再会を共に喜びあえたらと願っております。
 そのためにも健康が第一です。健康に一層留意して、今年も良い年にしましょう。

25年続けている水泳と川柳

25年続けている水泳と川柳
2組 北浦 昌子(旧姓 小寺)
 12期の皆様、明けましておめでとうございます。お元気に新年をお迎えのことと、うれしく思っています。当方も脳みそ以外は元気にしております。
 「12期の広場」は娘の家でパソコンを開いてもらって折々に読ませてもらいます。例によって脳みそが足りないので、自宅には文明の機器がなく、なにも出来ません。
 さて、私は25年以上続けていることがあります。それは「水泳」と「川柳」(たまには短歌もふくみます)です。
 泳ぐ方は月曜日から金曜日の殆ど毎日、750mから800mをクロールか背泳ぎで3、4回を休憩を入れながら泳ぎます。後のジャクジー風呂が快適でやめられません。
 川柳は、今年米寿になられたよき師(男性)に恵まれて14~5人の会員で、月に2回、ワイワイと、それは楽しい集まりなのです。「お題」を決められてその文字を5・7・5の中に盛り込んで詠みます。少しも上達しませんが、他の会員さんの句を聴くのが楽しみでつづけています。以下、少し恥入りますが・・・・・
  • は財産だよと孫(こ)に教え
  • 筆の友の手紙に返事TEL
  • ねえ安倍さん戦争いやだとったでしょう
  • いました聞きましたけど法は法 (安倍首相の返事?)
  • ランドセル背中でおどる学路
  • 帳はあっても中味のない私
(アンダーライン部は当日のお題です。)
 
 さて皆さん、今年は大阪での12期同窓会です。酒井さん、張さんほか男性の幹事さんたちのお蔭で、ものすごい継続です。東京12期会も毎回20人近く参加されるとか、12期はサイコーです。北村先生もさぞ喜んでくださっているでしょう。今年、平成28年、前回を上回る80名のご出席を目指して呼びかけたいと思っています。

 “市岡の男(お)の子なりぞと頼もしき 殿方見上げて胸躍るなり”

 同窓会では毎回こんな気持ちが味わえて幸せです。元気にお会いできるのを楽しみにしております。

今、物凄く幸せです

今、物凄く幸せです
3組  清水誠治郎

 “元旦や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし”(一休宗純)
 私が小学4年生(昭和26年5月)の時、父は脳溢血と言う突然の病で48歳の天寿を以ってこの世を去りました。おそらく戦後の動乱期の期末とはいえ、かの歌等考えすらないままに、逝ったのだろうと思います。
  家系の血は争えないもので、私は52歳で中度の心筋梗塞があってからは、今日まで循環器系の病との戦が続いています。近代医学のお陰で、心臓を流れる動脈の支流には4個のステントが入っています。腹部の大動脈にも瘤(52ミリ)があったのですが、適切な手術処置で破裂せずに小さくなり、元気な活動ができています。
 昨年3月、10年間の町会代表や西宮市の校区のスポーツクラブの代表等々、長きに亘って社会奉仕させて頂いていましたが、立派な後継者が出来たのでスムーズに交代する事が出来ました。そして10月には会社の代表を息子に譲り、私は悠々自適の生活を満喫出来るものと確信していました。が、そう上手くはいきませんでした、何か判らないのですが日々多忙です。
 何の趣味も持たず、ひたすら仕事と奉仕に打ち込んできた私ですので、全てを後継者に託した時、家内から“貴方はこのままではすぐに呆けてきますよ!何か趣味をもちなさい!”。まだこの歳ですし、呆けるのはいやだったので考えた挙句、写真を始めようと思い立ち、最新式のレンズシャッターの高級機を購入して写し始めましたが、これがまた難しすぎて手に負いません。特に動体撮影は写そうと思っても、身体や目や頭がついていかないのです。残念で悔しいですが、動かない花や景色を撮っています。
 それともう一つ、絵を習い始めました。未だ10カ月しか経っていませんので御見せ出来るような作品はありませんが、4~5年間、健康に注意して修業が出来れば、喜寿の個展が出来ればいいなと淡い夢を持っています。でもやっぱり好きな画家(特に日本画・河合玉堂や上村松園) の絵をゆっくりと時間をかけボーと観ている方が心癒されます。
 私は今、物凄く幸せです。少し元気になった妻と息子たちと四人の孫に固まれて!