12期の広場
2022年7月1日
圓尾君の“大作”を見に美術文化展に行って来ました
8組 榎本 進明
「作品を見て、何かを感じてくれれば、それでいいんだよ」圓尾博一君の口ぐせである。それでも「作者の意図が知りたい」のは筆者だけではないはずである。3.11の大震災時の作品でも同じことを言われた。でも、こちらも身をもって経験しているので、説明を受けなくてもわかる。今回、東京・上野の東京都美術館展示室の高い天井から床までの大作を観て圧倒された。
添付の文書に「作者の思い」が書かれているので、筆者なりに理解できたのであった。
5月12日(木)美術館に集まったのは、5組・泉信也、6組・大石橋宏次、8組・萩原貞雄、8組・榎本進明、の4人であった。約1時間、11もある広いブースを急ぎ足で歩き、いよいよ彼の作品の前に。布製の大きな作品の前で記念撮影。作品の大きさが伺える。
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あっという間に一時間が過ぎて、雨の中、上野駅の近くの居酒屋で懇親会をして、近況を語り合って、お互いの長生きを誓い合った。美術展はいつも楽しい。
World Art Day と<ダ・ヴィンチ>知の行方 についての思い
6 組 圓尾 博一
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の没後500年を記念して、彼の誕生日4月15日をWorld Art Day(世界アートデイ)とすることがユネスコIAA(国際美術家連盟)によって提唱され、昨年国連で承認されました。
レオナルドといえば万能の天才として、世界中の人にその名声が知られています。ルーブルの至宝「モナリザ」は特に有名です。彼は終生手許において手を加え続けたといわれています。あの魅惑的なほほ笑みは万人の心を引きつけてはなしません。
彼の完成作は世界に十数点と言われていますが、彼はそれらの絵画制作より多くの時間を手稿という形で、私生活から大自然や宇宙の成り立ちに至るまで膨大な論考を残しました。その中には大量殺人兵器といわれる光学兵器や戦車、速射砲などのアイデアとスケッチも残されています。
彼の生まれた15世紀はペストによって壊滅した中世の終焉の後、ルネサンスと呼ばれる人間性への目覚めや讃歌と、自然科学の合理精神によって物事を見つめる時代の到来でした。彼が洗礼を受けた近代科学的な思考はその後の欧米の合理精神を決定づけ発展させて、今日に到っています。
それは現在の私たちの今を規定する物差しとなっています。あの優美で高い精神性を湛えた彼の芸術作品と大量殺人兵器の間にどんな思考の架橋があるのか、それを考えてみることは、私たちの眼前にある世界のカオスの中で、芸術を試行するものにとって、その意味をみつける為の大きなヒントになると私は考えます。
今世界には、何十回も地球を壊滅させられる数の核兵器が存在します。それを是認する愚かな論理はどこからくるのでしょう。長崎の被爆跡から発見された傷ついたマリア像とレオナルドが描いた「聖アンナと聖母子」を並置することによって、レオナルドに代表される西洋の科学的知の敷衍として結実した核爆弾の存在をレオナルドはどのように考えるか。<ダ・ヴィンチ>知の行方—という題名で私はこの作品を提示してみたかったのです。それがWorld Art Dayに関する私の解釈でもあるからです。
この提示は掘り下げの浅い未熟なものですが、見ていただいた皆さんの、忌憚のないご意見がお聞きできれは誠に幸せです。
2021.4.15 作者拝
2022年7月1日
利根川 川歩き
4組 川合 兵治
今号より(“ひろば”リバイバル)を掲載します。これは110号を数えた「12期の広場」の中から特に想い出深い投稿文をリバイバル掲載するものです。初回は「広場」開設初期、まだ手探り状態であった編集内容に、一本の筋を通してくれたユニークで、楽しい連載投稿であった「利根川 川歩き」です。スタートの第1回分(平成19年10月30日~11月1日)とゴールした第9回分(平成23年5月9日~11日)を以下に掲載します。
筆者はリーダーの川合兵治君です。約4年にわたる“壮途”を詳しく書いていただき、また毎回手書きのコース図まで添付していただきました。ご覧のように第1回目は川合兵治君、榎本進明君、山田正敏君の3名ですが、第9回目は泉信也君、西條軍蔵君、大石橋宏次君が加わっての6名となっています。「利根川 川歩き」の後、引き続いて「荒川 川歩き」が投稿されましたが、そのリーダーは西條軍蔵君でした。
残念ながら川合君、西條君ともにすでに亡くなられておられます。お二人を偲びながらお読みください。
第1回利根川 川歩き(平成19年10月30~11月1日)
その1:利根川下流には堤防がない!
1日目:10月30日は利根川歩きの壮行会。夕刻、千葉県銚子市犬吠埼、犬吠崎京成ホテルに、山田、榎本、川合の3人が集結。そぼ降る雨の中、本州で一番早く初日の出が見えるという露天風呂を満悦した後、酒宴はくたびれないよう控えめにして、いつもと違う緊張感で全員床に就く。
2日目:10月31日、快晴。AM9:00にホテルを出発。「君ヶ浜」の海岸線を利根川河口に向けて歩き始める。すると、どこからともなく丸々と太ったかわいい子犬が現われ、まるで我々を見送りに来たかのように一緒に3キロほど歩き、浜の海岸線が切れるところまで来ると、どこへともなく去っていった。

ホテルから約5.5キロ歩いた所にある「千人塚海難漁民慰霊塔」を過ぎて、800メートルほど行くと、スタート地点となる河口の直ぐ側に漁協の「卸売市場」があり、尾びれの根元をぶった切られたマグロが沢山並んでいた。もう競りが終わったのであろうか静かだった。歩いているとこんな風景も体験できるので今後が楽しみとなった。
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2022年4月1日
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さてこうして時の移ろいと同窓生の消息や出来事にふれながら記事を紹介してきたラインアップも今回で最後です。
次号以降、「12期の広場」はギアチェンジをして簡素化、ラインアップ欄もシンプルに記事の目次一覧にする予定です。また同窓生の書き込みや行事予定などをお知らせする「掲示板」と「巻頭随想コラム」、そして「バックナンバーの再掲載」の三本が柱になります。「どこでも、だれでも、いつでも同窓会」は開設時のモットーです。傘寿を超えましたが今まで通り、ゆるゆると継続していくつもりです。宜しくお願い申し上げます。
振り返ってみますと、わが「12期の広場」は11年3カ月の長きにわたり続き、今号が110号になりました。掲載された記事数は360余篇です。これに、ラインアップと同窓会出欠返信書の近況短信の数を入れると、500篇を超えそう。また執筆者の実数は65人、近況短信執筆者を入れると100人を超えることでしょう。この文章を書くにあたって手持ち原稿を印字してみました。A4サイズで1000枚をゆうに越えました。大雑把で恐縮ですが、400字詰めの原稿用紙に直すと、2000枚位になるのではないでしょうか。正直、うろたえるばかりの迫力とボリウムです。
なによりその一篇、一篇に12期の皆さんの人生があります。心温まる生活の記録があります。行間から溢れ出る物語があります。多彩でかけがえのない足跡と熱い友情、感動と共感があります。長文もあり短文もあります。そのすべてが楽しく、嬉しく、切なく、懐かしくあり、教えられ、励まされ、響きあえる文章群です。
「12期の広場」は卒業50周年記念文集の「みをつくし」に連なるものです。また「広場」を通して“発掘”された学級文集「烏合の衆」(2年8組)と「独白」(3年5組)が、その原点です。そして共に学んだ高校在学時を起点として今に至る紛れもない「心の軌跡」でもあるのです。
近況短信の「晴耕雨読しています」のさりげない言葉からその心映えが、ほのかに熱を帯びて伝わります。「12期の広場」ならではのことでしょう。
「12期の広場」に投稿し、閲覧し、支えてくださった皆様への感謝の気持ちで一杯です。
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偶然ですが、「広場」は「東日本大震災」の地震・津波災害、福島原発のメルトダウンの年に始まっています。その後の11年、年号も平成から令和へと変わりました。そして地球環境の悪化や度重なる自然災害(最近も福島・宮城県を襲う震度6強の地震がありましたね)、「分断」と「対立」、「広がる格差」など、問題が山積する社会の中、近年は新型感染症によるパンデミック、果てはロシヤのウクライナ侵攻による戦争の惨禍が続いています。
世の中はさらに厳しく、おおきく変わりそうです。そして自身の老いは、加速します。そのどの時にあっても、付和雷同することなくたおやかに、「市岡健児」らしく前を向いて在りたいものです。
末尾になりましたが、「広場」をバックアップしてくれた代表幹事の酒井八郎君をはじめとした同窓会幹事の皆さん、ねばり強くまたパーソナリティ豊かなHP委員の皆さんと有志の皆さんに、心からの敬意と感謝を申し上げます。
わが「12期の広場」2022春号のラインアップは、以下の通りです。「広場」に焦点を合わせた投稿を5人の皆さんにお願いしました。お楽しみください。
1. 「『12期の広場』は時空を超えて」 | ・・・・・・・・・・ | 8組 | 萩原 貞雄 |
2. 「『朝刊』から」 | ・・・・・・・・・・ | 3組 | 高橋 要 |
3. 「絆深き12期生よ 永遠に」 | ・・・・・・・・・・ | 7組 | 柏木 赫子(後藤) |
4. 「ラストスパート」 | ・・・・・・・・・・ | 8組 | 川副 研治 |
5. 「市岡十二期の皆様へ」 | ・・・・・・・・・・ | 5組 | 山本久美子(古荘) |
以上
2022年4月1日
8組 萩原貞雄
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そこには18歳の頃の多感で将来に対する不安と希望を抱いた若者がいる。その頃の友にも会える。でも話をした人の数は限られている。話す時間も少なかった。この「広場」で、記憶にある友の別の面を発見することもあるし、たくさんの新しい友とも出会えるのだ。
一生懸命生きてきた証としての記録の数々だ。迷うことなく目標に
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「広場」には多種多様な経歴の人がこんなにいるのだ。
「広場」は過去を遡り、今を語り、将来を話す場だ。過去から未来まで繋がっている。そういえばあの人は逝ってしまった。心温まる弔意文もある。何よりも本人が書いた記事がある。ここに行けばいつでも会えるのだ。行先の定まらなかった18歳の時から随分経った。
今年は81歳、もう行先に迷うことはない。
しばらく元気で「12期の広場」でお会いしましょう。
2022年4月1日
3組 高橋 要
2022年2月19日 記
2022年2月19日 記
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1972年、警察に追い詰められた「連合赤軍」のメンバー5人が、「あさま山荘」に管理人の妻を人質にして立てこもった10日間にわたる事件の発端が2月19日だった。クレーン車に吊り下げた巨大鉄球が山荘の外壁をぶち壊すテレビの実況に釘付けになったものだ。12期生の多くが30歳、その2年前にはあの「三島事件」もあった。
ところで昨年12月8日は「真珠湾攻撃から80年」を多くのメディアが大々的に取り上げた。我々の多くが誕生した1941年は真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦の年であり、散々な目に遭わされての敗戦は4歳になる前後であった。
当時私の家族は東京市荏原区(現在の品川区の西部)で暮らしていて空襲にあっている。米軍のB29爆撃機によって東京は100回以上の空襲を受けたが、荏原区が大きな被害を受けたのはよく知られた「下町大空襲」(1945年3月10日)のあとの「城南大空襲」(5月24・25日)だった。
深夜、両親が防空壕を捨てて外へ逃れた時の記憶がある。私は父に、弟は母に背負われて地上に出ると炎と熱風に追われるように逃げた。闇の中で聞いた無数の叫び声と熱い!熱 い!の悲鳴は今も耳に残る。
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大阪大空襲も同じ戦争末期に市内を中心に無差別爆撃が繰り返され(母校の木造校舎も消失)、「玉音放送」の前日にも「鶴橋駅空襲」があり、悲惨な体験のある方も皆さんのなかにはおいでのことと思う。
という訳で、朝刊を手にして、とりとめもなく遠い記憶をたどることになった一日でした。
2022年4月1日
7組 柏木(後藤) 赫子
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受付を済ませ会場に入場した時、“カッちゃん”と一人の男性が声をかけて下さいました。一瞬「?」と、眼鏡の奥で笑っている目を見て“張君”と思わず大きな声を上げていました。懐かしかったです!嬉しかったです!先生方、友人達との再会に興奮している私がいました。
その後、同窓会の出席を重ねる毎に、忘却の彼方にあった記憶が順次脳裏に蘇り、紅一点で受けた授業(英語、数学)や合唱コンクールで指揮棒を振ったこと等は、掛け替えのない思い出になっています。
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今回、この原稿を書くにあたって、今一度、バックナンバーに目を通し、その膨大な数に只々驚いています。
毎月1日の更新が楽しみとなり、かかさずパソコンを開いてきました。数ある寄稿文で私が興味をそそられたのは、8組八島平玐さんの「ヒマラヤトレッキング」と5組泉信也さんの「ブータン紀行」でした。それは私には行きたくても行けない秘境でワクワクして添付された美しい写真を見ながら、現地の空気、風、匂いを想像していました。
12期の広場から、発見、刺激、元気、勇気を貰い、私の日々の生活の活力の源になっていました。良き仲間達と共に市岡に学べたことを幸せに思い、12期生を誇りに思います。広場の運営に携わって下さった編集委員の皆様のご尽力に心からの敬意と御礼を申し上げます。今後は簡素化して継続して下さるとのことで、こんな嬉しいことはありません。何卒宜しくお願いいたします。
さて私自身ですが、3月上旬に傘寿を迎えます。よくぞここまで生かされて来たと感謝の思いです。両親達4人を見送り、趣味としていたお煎茶と一向に上達しない英会話を再開しました。お籠り生活の中で、ラジオ体操、テレビ体操、ラジオ英会話を聴くことを日課として今の自分を保っています。俳優、画家でもある榎木孝明さんの追っかけに東奔西走し、第二の青春、人生最良の絶好調時代と思っていましたが、コロナ禍で上京も出来ず体力の衰えも感じ、そろそろ卒業かなと思っています。「憎しコロナウイルス!!」です。
12期生の皆々様、お元気でいてくださいネ
2022年4月1日
8組 川副 研治
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「12期の広場」は実に彩り豊かで、執筆者も多士済々です。小生にとっては、いずれの記事も門外漢とはいえ、各分野でそれぞれご活躍されている様子を興味深く、楽しく読ませていただいてきました。
市岡東京12期会には、もう少し身体の自由が利く頃に出席したかったし、利根川、荒川川歩きの記事では、皆さんの健脚ぶりが羨ましく思いました。そのほかにも3.11東日本大震災(佐藤裕久君)、JAXA宇宙ロケットの開発と設計(小野義雄君)、再生医療の話(辻紘一郎君)世界旅行を始めヒマラヤ、ブータンの紀行文(段中文子さん、八島平玐君、泉信也君)、カメオの話(前川光永君)、作陶の日々(山田正敏君)等々、数えだすときりがありません。
今後、「12期の広場」を継続するにあたってはスタッフ諸氏のこれからの健康と意欲の低下が心配です。我々も80歳を過ぎ、これから益々、体力の衰えや集中力の低下に拍車がかかりそうです。
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人生100年時代、小生には100年は到底無理な話ですが、コロナ終息後、せめて2~3年でいいので普通の生活を満喫したいものです。コロナ以降ほとんど外出していないので、ダベリング、カラオケ、ランチ等々行きたいところ、したいことが山積です。
どうかそれまで「お迎え」を少し先延ばしして頂ける様祈るばかりです。
2022年4月1日
5組 山本(古荘)久美子
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この三年間、トロントも公共の建物や買い物など、閉鎖、50パーセントの人数制限・・・等を何度も繰り返し、3月14日からすべて解除、撤廃になるようですが、その時になってみないと信じていいものやら、まだまだ安心できません。
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昨年9月にトロントを引き上げて、日本に帰国した友人のエピソードにビックリ
日本のアパートを借りるのに「高齢者であること(75歳)」「年金生活者であること」を理由にすべて断られ、2か月経ってやっと見つけたのはいいけれど、礼金、敷金、補償金など訳の分からない名前の金額を取られたそうです。礼金って誰に対するお礼でしょうか。
日本語も随分変化しているようで、これは私たちも帰るたびに感じてきたことですが、丁寧語や敬語等々。 言葉は変化するものだから、ある程度は仕方がないのかもしれませんネ。
丁度海岸沿いのアパートに落ち着いた時にトンガの爆発があり、一晩中津波警報が鳴り響き、慌てて飛び起き隣り近所の様子をうかがうと、皆静かだったそうです。警報には慣れっこなんでしょうか。
私もトロントに来て46年が過ぎました。年を得るごとに日本に対する郷愁がつのります。災害が多いのが難点ですが、丁度ウクライナのニュースが世界を騒がせている今、侵略されたことがない日本ほどいい国はない、とつくづく思います。
一日も早く安心して帰国出来る日が来ることが今一番の願いです。
2022年1月1日
新年あけましておめでとうございます。今年も「12期の広場」を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
写真は、美しい日の出です。泉信也君が提供してくれ、榎本進明君がレイアウトしてくれました。新しい年のスタートにふさわしい写真で、元気が出ますね。何とか収まってほしいコロナ禍はまだ続きそうですが、めげずに頑張りましょう。
さて、我が 「12期の広場」 2022年新春号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
写真は、美しい日の出です。泉信也君が提供してくれ、榎本進明君がレイアウトしてくれました。新しい年のスタートにふさわしい写真で、元気が出ますね。何とか収まってほしいコロナ禍はまだ続きそうですが、めげずに頑張りましょう。

さて、我が 「12期の広場」 2022年新春号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
1. 「あけましておめでとうございます」 | ・・・・・・・・・・ | 4組 | 酒井 八郎 |
2. 「12期の広場」の形式変更のお知らせ | |||
3. 「市岡の森」の記念植樹の「桜」 | ・・・・・・・・・・ | 7組 | 張 志朗 |
2022年1月1日
12期同窓会代表幹事 酒井 八郎
明けましておめでとうございます。丸2年のコロナ騒動の中、12期の皆様、どのように新年をお迎えでしょうか。感染者数が激減しているとは言え、オミクロン株による感染拡大の不安を抱えての正月ですが、新しいカレンダーを前にすれば、心もあらたになり、清々しい気持ちがあふれるものですね。わが家でも元日に家族がそろって、正月膳を囲み、今年一年の平穏無事を祈っています。
平清盛が安芸の宮島から分社していただいた厳島神社が、わが家の近くにあり、兵庫の海がすぐそこにあった昔は、

あらためて、令和4年、同窓生皆様とご家族一同様のご健康ご多幸を、慎んでお祈り申し上げます。
大阪での全体同窓会を終えたあと、早や4年が経ちます。さらにこの2年間は新型コロナの影響で、東京での12期会も開くことができず、関西から出かけての交流もなく、唯一、「12期の広場」が同窓生の共通項として活動を続けてまいりました。
古希から始め傘寿、「12期の広場」は開設して満11年です。この節目を中締めにして、今年の夏号から形式を変更することになりました。これからは「掲示板」形式を主にして、引き続き12期生のパイプ役を担ってまいります。皆様のご投稿、引き続きよろしくお願いいたします。
長年にわたり投稿してくださった皆様、支えて下さった読者の皆様、またHP委員の皆様に心からお礼申しあげます。同時に便宜をおはかりいただいたプリンティング・サービスの皆様に深く感謝申しあげます。
今号でもふれていますが、昨年の秋、大阪の舞洲、「市岡の森」へ記念植樹した桜の木の「銘板」を取り付けに行ってきました。記念碑の前の「卒業50周年植樹」の桜は「病」のため、腰の高さで切断されていましたが、まだ頑張っています。「母校創立100周年植樹」は、周辺が草ぼうぼうで特定できませんでした。残念なことです。母校南門(私たちが通学していた頃の正門)横に記念植樹したツバキは、昨秋も花を咲かせてくれました。母校へお立ち寄りの際は、一度ご覧ください。
毎日南門をくぐって母校に通っていた頃、市岡高校には個性豊かな先生方がおられ、生意気な私たちを感性豊かに育てていただいたと思っています。
「スバル座」で「道」を映画鑑賞したことがありました。ジェルソミーナが男に捨てられ、男が去っていくシーン。神澤先生は国語の時間に「なぜ彼女はあのような手の振り方をしたのか」を解説して下さいました。皆さん、憶えておられますか。「人を愛することの大切さ」をあの場面を想いうかべながら、先生の解説を通して教えていただいたと思っています。
わが家の屋上のプランターに、昨年たくさんの小菊が咲きました。そのちいさな白い花びらが、一枚一枚、まだ元気なのに少しずつ、薄紫に色を変え、見る者の目を楽しませてくれました。
12期の私たちも80代。元気でありたいと願いつつ、つつましく、鮮やかに咲く小さな花に、わが身を重ねあわせてしまいます。
アイルランド民謡で、賛美歌にもなった歌が好きなのでここにご紹介します。
1 |
春の日の花と輝く うるわしき姿の いつしかにあせてうつろう 世の冬は来るとも わが心は変わる日なく おん身をば慕いて 愛はなお緑いろ濃く わが胸に生くべし |
2 |
若き日の頬は清らに わずらいの影なく おん身今あでにうるわし されどおもあせても わが心は変わる日なく おん身をば慕いて ひまわりの陽をば 恋うごと とこしえに思わん |
最近のコメント
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